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第十二話
第十二話: ⑨
《____2F廊下にて》
眠れない。まあ、今に始まったことではないんだが。
静まり返った船内にコツ、コツと心地よい音が響く。薄暗い廊下、耳当たりの良い気に入りの音、それらに囲まれ、どこか心が安らぐような心地がする。まるで、世界に自分一人しかいないようだ。彼は存外この時間が好きだった。
シャルルは、眠れない夜は決まって、船内をぶらぶらと歩き回るのだ。
眠れないまま夜を明かしても業務に支障がないことを自覚したのはいつだったか。自分たちに睡眠は必要ないらしいと、いつ見かけても大抵は隙間から光が洩れている船長の個室を見て、シャルルがそう仮説を立てたのはもう随分と前の話だった。
何故「眠ること」が船内で常識のようにまかり通っているのか、船長はその必要が無いと知りながら何故船員に何も伝えないのか。必要がないであろうに何故疑問を抱くこともなく全員が夜になれば眠ろうとしているのか。そうあるべきだと深層心理に刻み込まれているのだろうか。眠気の有無は、睡眠の必要性を自覚しているかどうかに影響を受けているのだろうか。漠然とこうした疑問を抱きながら、まあいいかと違和感を思考の隅に追いやって業務をこなしていた。
このイレギュラー、世界の欠片に船を停めるようになってから、これまでなりを潜めていた睡眠に関しての違和感はふとした瞬間に思い返されている。例えばそれは、今のような静かな時間だったり。
シャルルは自身の靴音が反響するのを耳にしながら宛もなく歩いている。変わらず眠気は訪れなかった。丁度良い機会だ、違和感に向き合ってみることにした。
……睡眠に関わる違和感について、世界の欠片を巡るようになり、ひとつ気がついたことがある。
自分たちには睡眠が必要無いと思っていたが、仮説は誤っていた。例外はあったが、世界の欠片においては徹夜してしまえば思うように体は動いてくれず、朝を迎えれば欠伸が出た。きっと、「自分たちに睡眠が必要でない」のではなく、場所の問題なのだろう。現に、眠らず夜を明かして不調が現れている。ここでは睡眠が必要になっていることの証明だった。
ここでは、睡眠は必要。そう改めて自覚して、ため息を零す。
シャルルの眠気とやらは仕事をサボっているようで、まだまだ現れそうにない。見知らぬ世界の欠片、何が起こるか分からないその探索に支障が出てしまうのは避けたかった。
「サボりは程々であってこそなのになあ……」
呆れ半分、諦め半分、零れた言葉に応ずるように眠気が訪れる……はずもなく、シャルルの目は冴えたままだ。異空間にいる間、眠らなくても問題ないと高を括って不規則に睡眠を取っていたのが仇になったのかもしれない。
……船長は、こんなイレギュラーを見越して眠ることを船員の習慣にさせていたのだろうか。それとも、船長なんて関係無くて、睡眠を取るべきだと一人ひとりの心と体に染み付いているのだろうか。だとしたら、船員として同じように過ごしてきたはずなのにどうして自分はこうも寝付きが悪いのか。一人として同じ人間はいないのだから、これは単なる個人差というものだろうか。そもそも普通に眠れていれば睡眠の必要性だとかに目も向かず、与えられたままに夜に眠ることが習慣になっていたはずなのだ。運悪く様々な要素が噛み合って、自分は現在頭を悩まされている。つくづく運が悪い。本当に。
そんなことを考えながら歩いていても夜は更けていくばかりだ。
コツ、コツ。靴音が響く。さて、どうしたものかと、何の気もなくふと足を止めた。
コツ、コツ。靴音が響く。
「シャルル、さん?」
「うおっ……!?……ヘデラ?」
背後からの声に、一瞬で現実に引き戻される。反射的に振り向けば、見知った船員がそこにいた。考え事をしていたシャルルの耳には入っていなかったが、廊下の靴音には知らぬ間にシャルル以外のものも混じっていたらしい。そうだ、ここは船の中で、そんな気になっていたとしてももちろん自分ひとりきりではない。ほかの船員が起きていても、シャルル同様暇潰しに散歩していても、何らおかしくはなかった。肩を跳ねさせあからさまに驚いた自分をほんのわずかに恥じる。心なしか顔が熱い。
「あーびっくりした……驚かせるなって。こんな時間まで起きてるの珍しいな、研究か何かか?」
「……ええ、まあ」
「温室もだいぶ直ってきたからな、お前主みたいなもんだし」
どこか、ヘデラの反応が鈍い。軽い調子で言葉を返し、笑みを浮かべていたシャルルが表情を変えてヘデラをじっと見つめる。ぐ、と眉を潜め、心配そうに。
「……どうかしたか?悩みとか、あるなら聞くぞ。」
「え?」
「いや……なんか、調子悪いんじゃないか?ヘデラ。」
「そんなことないですよ、大丈夫です。」
こいつは、こんなにも軽薄で冷たい、貼り付けたような笑みを浮かべる人間だっただろうか。
「シャルルさん?」
「ああいや、無いならいいんだ。すぐ頼ってくれていいからな。ヘデラ、お前にはみんな……ついてるから。」
シャルルがそう言うと、ヘデラはわずかに目を見開いた。
第十二話: テキスト
「ああ、はい。ありがとうございます……」
第十二話: 画像
「ああ、はい。ありがとうございます……」
第十二話: 画像
何か、このまま話していてはいけないという直感に身を任せて、当たり障りのない別れ言葉を紡ぎ出しシャルルはその場を後にした。得体の知れない違和感には、背筋に伝う冷たい汗には、気がつかない振りをして背を向ける。
シャルルの背が完全に視界から失せると、ヘデラはふっと表情を削ぎ落とした。シャルルが去っていった方を見遣り、ぽつりと呟く。
「……いいな、"ヘデラ"は。こいつにはみんな、いるんだな。……狡いなあ、こいつだって俺のくせに。」
自室で寝ているつもりの、自分の中の"ヘデラ"を嫉む、彼の瞳はひどく澱んでいた。
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《____しはつにて》
頬を撫ぜる爽やかな風は、四季のある故郷を思わせる。言うなれば、夏のはじまり、あるいは春のおわり。季節の変わり目の、快晴の日。ここは居心地が良くて過ごしやすい、きっと多くの人が好む気候を有する欠片だった。
天気予報ならお出かけ日和と称されそうな、レジャー施設は大混雑になりそうな、そんな気候の世界の欠片を一緒に探索しようと言い出したのは一体どちらだっただろうか。同じことを考えていたのが妙におかしくて、二人して笑いあったのは昨夜のことだった。
「それじゃ、行こっか。エマ。」
「うん」
背の高いエマを振り返り笑顔で告げる。以前の遠慮がちな笑顔とは打って変わって心から楽しげな笑みを浮かべるハイルにエマの表情も自然と和らいだ。親友の微笑ましいような視線に気がついたハイルは、誤魔化すようにわざとらしく咳払いをして口元に手を添える。
「い…いけない……はしゃいでたらだめだね」
「どうして?」
「エマ、ここにはね、透明人間がいるかもしれなくて」
「と、とうめいにんげん…………」
真剣な面持ちでフィクションの存在を口にしたハイルの言葉を、ゴクリと喉を鳴らしたエマが復唱する。二人の間に張り詰める緊張の糸を途切れさせたのは、似て非なる世界を知る明るい声だった。
「あれっ、ふたりこれから行くとこ?待って待ってアタシも混ぜて〜!!」
声の主は、いざ参らんと船を降りたばかりらしいウェルテルだ。しはつの前で大真面目に会話する二人に駆け寄り、その顔を覗き込む。
「って、なんか、二人とも怖い顔してどった?アタシジャマしちゃった?」
「!ウェルちゃん。ううん……なんでもないよ。一緒に、行こっか?ハイル、いい?」
「うん、もちろん。ウェルテルも行こっか。」
不思議そうに、大きな目をさらに丸くしていたウェルテルだったが、良い返事を耳にすれば一転楽しげな笑みを浮かべた。共に探索に出られることを純粋に喜び、二人がそれまで何を話していたかは特に気にしていないようだ。真っ先に、 軽やかに歩き始めたのはウェルテルだった。
自身のディスクを発見し、シアターで過去を目の当たりにして、それでも仲間の助けを得ながら立ち上がった。ここに集うは、そんな三人。
ウェルテルは、職業柄人間関係に敏い。船内の会話や関わり合いの微妙な変化を捉え、これまで、ぼんやりとした違和感を抱えてきた。そんなとき、リツィと共に、破れたリストに一部の船員たちの名前を見た。全員自分と同じなのではないかと、違和感が輪郭を得てウェルテルの中に浮かび上がったのはつい最近だ。そんな前提の元これまでの違和感に目を向ければ、なんだか納得できたのだ。何らかの変化を見せた船員は自身の過去を知ったのかもしれないと、そう考えればどれもこれもが腑に落ちた。それは、ハイルやエマに対しても同様だった。
ウェルテルに詳しいことは分からないが、きっと二人も何かを乗り越えてこうした晴れやかな表情を見せているのだろう。
そんなことを考えながら、空が綺麗だとか風が気持ちいいだとか、何でもない話をする。ウェルテルは、何か事情があっただろうことを察している素振りなどおくびにも出さないで、ただ、今を楽しんでいる。
触れない方がいいかなって思って何にも言わないけど、もしも二人が良いのなら。言いたくないことなんて言わなくていいし思い出さなくっていいから、大事な友達の些細な思い出を聞けたらいいな、とか。
アタシたちにしか分かんないこともあるかもしれないし、とか。
こっそり何気なーくアタシが知っててみんなには分かんない単語交ぜてけば、あわよくば伝わんないかな、とか。エマが「明日」を知っていて、二人、顔を見合わせたときみたいに。
ダメ元の期待交じりに、今からはじまる探索に心躍らせて。
にこにこと聞こえてきそうなほどに眩しい笑顔で、ウェルテルは背後の二人を呼んだ。さあ、どこに向かおうか。
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《____おいしいにて》
本当は、もう少し奥まで進むつもりだった。
ペスタや鮫がこの門の奥へ向かうのも見かけたし、そんなに人数を割いたところで得られるものはきっと変わらない。けれど。けれども。
第十二話: テキスト
「えー!!!遊園地じゃん!!!!!!」
「ゆ、遊園地、遊園地だよエマ……!」
「うん……はじめて……かも」
第十二話: 画像
「ね、ねねね、行こ!行こ!!二人とも!わー!コーヒーカップある!!メリーゴーランドもある!!動いてる!!!!」
ゴテゴテと装飾で彩られたカラフルな門に、近づくにつれて主張を激しくしていく軽快な音楽。半分開いている門の隙間からは様々なアトラクションが覗いていた。いつのことだったか、遥か遠い思い出であることには違いないが、ハイルの心に自ずと懐かしさが込み上げる。
そびえる門とその先がどんな世界かを知る、十代そこそこの女子3人組がそれを素通りして欠片の奥に進んでいくことなど出来ようか。吸い込まれるようにして、エマたちは遊園地……たのしいの内部へと消えていった。
やけに興奮した様子で三人顔を突き合わせて話すエマたちの背をぼんやりと見届け、たのしいに通ずる門をくぐることなく、その横を重い足取りで通り過ぎていったのはルークだ。
たのしいの内部は以前のルーク……ノアにとっては縁遠い場であったが、遊園地の存在自体は一般常識として知っていた。人生初、絶好の機会と言えど、アトラクションを手放しに楽しめるような心境ではない。
拠り所を捨て自由を得ようとしたが、惨めにも失敗して地を這って、結局一人では生きられなかった。人として生きることなど自分のようなただの駒には無理だったのだと痛感した。記憶を取り戻して数日経て、咀嚼して、それでも彼には生き方が分からなかった。今だって昔と変わりない、自我のない自分のままだった。
唯一、記憶を取り戻したルークが起こした自発的な行動は、医務室での独りよがりな狡い告白だけだ。
……あのときぐっすりと眠っていた翠は、どうやら無事回復したらしい。噂程度にしか彼女の現状を知らないのは、ルークが彼女を避けているためである。ルークは、翠を避けている。徹底的に。
積み重ねた過去の罪を知らないままに、ただ翠が"ルーク"に向ける純粋な瞳を向けられたなら、ルカと呼ばれたなら、きっと身を焼かれたような痛みに襲われる。後ろめたくて眩しくて、照らされた自分は跡形もなく消え失せてしまうような気さえするのだ。
過去が知られ、彼女が自分に向ける瞳が濁る。自分の過去のせいで、彼女の触れられたくない心の傷をほじくり返す。そんな未来を想像せずにはいられなかった。拒絶されるのが恐ろしくて、避け、会わないようにすることで逃げたのだ。
「……」
もうひとつ、ルークには気がかりなことがあった。彼の、親友について。
映像を見て以来、部屋を訪ねてくるまではなくとも彼がルークに声をかける頻度は明らかに増えていた。事ある毎に気を遣い、けれどもあくまで普段通りに、ルークのことを知っても自分は変わらないと、ヘデラはその行動を以て丁寧に伝えていた。
罪悪感に沈み、溺れてしまいそうだったルークの目の前には、いつでもヘデラの手が差し伸べられている。いつでもそこに居てくれる存在とはルークにとって救いであったが、その手を握り返して自分だけが救われるなどあってはならないと見て見ぬふりをしたのもまたルークだった。
ごめん、一人で行く。
探索の際、朝礼で会えば毎度共に行こうと誘ってくれたヘデラの厚意を何度この言葉で破り捨てただろうか。根気強く誘ってくれていたヘデラだったが、今朝にはようやく諦めてくれたようだ。ルークにヘデラから声がかからなかったのは、今朝が初めてだった。そうだ、はじめからこうなるべきだったと受け入れておきながら、見限られたことにどうしようもない心細さを自覚したのも今朝の話だ。
……今朝の朝礼、人の良いヘデラが、自ら誰かに話しかけることもなく、誰かから声をかけられたならば当たり障りも面白味もない返事をしてやり過ごしていたこと。そんな些細な違和感に気がついた船員はいなかった。彼をよく知る普段のルークならば気がつけていたのだろうが、今の彼の目にヘデラの姿は映っていなかった。
そうして一人、探索というほど周囲に気を向けるでもなく、考え事をしながらただ歩いている。
船員たちが入っていったたのしいに沿って進んで少し、ふと、久しく忘れていた感覚が蘇った。食欲をかき立てる、芳ばしい香りが鼻孔をくすぐる。懐かしいようなそれにつられて顔を上げてみれば、恐らくおいしいとされるであろう建物群が目に入った。建物周囲に他の船員はいないようで、立ち入った姿も見ていない。誰も見ていないのならば、一応。気まぐれに、立ち入ってみることにした。
外から見た際は、掲げられた様々な看板からして一軒一軒が独立しているもののように思われたが、入ってみればその内部は数軒ごとに繋がっているらしい。広い店内には、多くの席数が確保されているようで、椅子の数は2脚であったり4脚であったりとさまざまだったが、どれも異常なく整然と並んでいる。内装はレストラン、飲食店、などと形容するのが正しいのだろう。
第十二話: テキスト
等間隔に配置されたテーブルの奥には、食欲をそそる匂いの元……湯気の立つ料理が並んでいた。
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ひとつの皿には同じ料理が数多く盛り付けられ、そうした皿がロングテーブルを埋め尽くすように置かれている。料理の種類は多いようで、また、それぞれの皿のすぐ隣には、その料理を取るために使うであろうトングのようなものも備えつけられていた。トレーや一般的な食器が重ねられている場もあり、ルークの知識によれば、これは正しくビュッフェスタイルの飲食店だった。ブロック食に疑問を抱くこともない船員たちは知らないであろう、まともな食事。ルークには馴染みのない料理ばかりだが、ここは世界の欠片だ。きっと他の並行世界の料理なのだろう。
まさか、ここで料理を目にするとは。ブロック食すら口にしていなかったせいだろうか、香りや見た目からもおいしいことが明らかなその料理を前にしたせいだろうか、突如、まるで感じていなかった空腹感に襲われた。食欲が湧く機会も、これほどまともな食事を口にできる機会も、後にも先にもここだけ、かもしれない。けれど、得体の知れないもの、ではあるし、冷静に考えれば……いや、貴重な機会を逃す手があるだろうか。いや……。
よく言えば慎重、悪く言えば優柔不断。決めかねていれば、思考を遮るように、囁くように、くぅ、と腹の虫が鳴いた。
一度辺りを見回し、人目がないことを確認する。食欲に素直な腹の虫に背を押され、おそるおそる手を伸ばした。ひとつ、手に取り口に運ぶ。
「………!」
目を見開く。
「…………おいしい…」
おいしい。
これまで口にした料理で最も、とは言わないが、おいしい。
料理が温かいこと、香りが立っていること、久しく味わっていない複雑な味付けであること、ブロックとは食感が異なること、そんな当たり前のことに感動している。味は違えどどれも同じ形で無機質であるブロック食とは比べ物にならなかった。
ルークも年頃の男子だ。ひとつ食べれば余計に空腹を感じてしまう。
こっそりと再度手を伸ばした。
____丁度、その時。
ガタ。ガガガガ。カチャ。
背後から不審な物音が聞こえる。振り返る。
……椅子が、引かれている。今まさに、床を擦りながら、独りでに動いている。先程まではそこにあるのみだったそれが、ある席のある一席の椅子が引かれている。勿論そこには誰の姿もない。息を呑む。
ルークは、背後の明らかな異変に眉を寄せ、他に異常はないか周囲を見回した。……心なしか、重ねられた食器類の数や料理の残量が、減っているような。けれどここにはルークしかいない。ほかの誰の姿もない。
船員が誰もいないことは事前によくよく確認していたし、ここは世界の欠片で、船員以外に人間がいることは有り得ないはずだ。ならば、誰もいないのは当然だった。何ら、おかしいことではない。人の気配がまるでないのに、物を動かす主体がいないのに、様々なものが誰かがいるかのように動いている、今のこの状況こそおかしいのだ。
おいしい食事を提供する飲食店の内部はしん、と聞こえてきそうな程に静まり返っている。途端に足元から這い上がる得体の知れない気味の悪さに、思わずその場に立ち竦んだ。
……一体、どういうことだろうか。
何も無いはずの虚空を睨みつけ、怪訝に眉を寄せる。どこかから、食器の擦れる音が聞こえた。
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《____おしまいにて》
順繰りに進んでいけば、共に船を降りた船員たちも徐々に分散していき、おしまいまで辿り着いたのは見る限り二人だった。船を降りるタイミングも関係があるのだろうが、ちょうど今おしまいにいるのはアインスとエスペランサの二人だった。
男性の船員たちの中で、最年長と最年少。何かとペアにされることも多かった二人である。成り行きではあるが、おしまいでの探索を共にすることになった。
「エスペランサ殿が一緒に来てくれてよかった。心細かったから……」
「何があるかわからないからね。僕もアインスが頼ってくれて嬉しいな」
コツ、コツ、と二人分の足音を立て並び歩いていれば、アインスが突然エスペランサの視界から消え失せた。何に躓いたのか、石畳の真ん中で転んでしまったようだ。膝をついたまま、うう、と唸るアインスにエスペランサが手を差し出せば、ごめんと笑ってその手を取った。制服についた砂埃を払いながら立ち上がる。
「エ、エスペランサ殿、今何が起きたかわかる?気づいたら地面がすぐそこにあったんだけど」
「うーん、うん、何も無いところで転んだかな」
「うう……!!僕こんなんばっかだね……」
「気にすることでもないよ」
これまでと比較して道幅の広い橋を渡りきったにも関わらず続く広い石畳は、見渡しのよいこの欠片でたった一軒、ぽつんと佇む建物へと一直線に敷かれている。
第十二話: テキスト
目を凝らせば、終着点に見える屋根には小さな十字架が掲げられていた。
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「へえ、なんか、綺麗なとこだ」
「……?エスペランサ殿、あれ、なんだろ」
「んー?石……?どこかで、ああいうの見たことある気もするけど……なんだったかな」
第十二話: テキスト
エスペランサの視線の先には、一面鮮やかな花畑……ではなく、ずらりと温度の無い石が並んでいる。
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石の目の前には整備された花壇があったり、みずみずしい花束がたくさん供えられていたりと、一面の花畑と錯覚してしまうような美しい景色が作り出されていた。
建物は教会、その周辺は、恐らく墓地。
どこかの世界の記録で見たことはあるはずだが、記憶を辿り見当をつけられるほど、これらは二人にとって身近なものではなかった。
人生のおしまいを彩る花々をさほど気に留めることもなく、二人は唯一の建物……教会に向け、歩みを再開した。
石畳の終点に辿り着けば、迎え入れるようにその扉は開け放たれていた。室内外の明るさの差だろうか、入口からは内部を完全に確認することは出来ないようだ。教会を一瞥し、エスペランサが口を開く。
「僕は建物周りを確認してから中に行くね。今ちょっと覗いたら裏の方で何か反射してたから……アインス、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。僕も頑張らなくちゃ……!任せて、とは、言い切れないけど……」
「ふふ、ありがとう。それじゃまた、あとで」
慎重な彼が背を向けたのを見て、アインスは再度扉に向き直る。
「……よし!」
小さく拳を握って、自分にだけ聞こえるくらいの声量で気合いを入れる。意気揚々と、足を踏み出した。
中は案外、広さとしては慎ましやかだった。ただ、その厳かな雰囲気にアインスはわずかに息を呑む。
「……綺麗」
第十二話: テキスト
目の前には、敬虔な信者の為の、幻想的で荘厳な空間が広がっていた。
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外がいくら晴れていようとここに陽の光は届かないようで、ぼんやりと橙に滲む照明だけが、並ぶ長椅子や柱の装飾を照らしていた。そんな仄暗い室内とは対照的に、教会内の景観を崩すことなく唯一輝いているステンドグラスは、アインスの目にはやけに眩しく感じられた。
完璧に調律されたパイプオルガンの美しい音色に包み込まれ、危うく空間に飲み込まれてしまいそうだった。教会内に存在するすべてが、この空間を作る一要素として役割を全うしている。
入口付近で全体を見通したその瞬間から見蕩れてしまっていたが、これはあくまで探索だ。任せてほしいと控えめに主張したのは自分なのだから、このままではいけないと頭を振って切り替えた。エスペランサが見回りを終えこちらへ来た時に、何があったか報告出来るようにしておかねばならない。
長椅子に何も無いことを確認しながら、アインスはステンドグラスへと一歩、また一歩と歩みを進めていく。まるで、目に見えない何かに引き寄せられているかのように。
「……?眩しいな」
ステンドグラスが目前に迫る頃、ふと、視界の端に輝きを覚えた。ステンドグラスのそれと同じ、美しく眩い輝きだ。長椅子など他の物品に異常は見当たらなかったため、そちらへ向かうことにした。
「あ、エスペランサ殿が見たのもこれかも」
恐る恐るといった様子で近づいていけば、それはそのままステンドグラスの破片であることが分かった。破片は足元のこれらと、きっと外にも少し。エスペランサが見た反射している何かも、これのことだろう。すぐ傍の窓を見上げれば、確かにステンドグラスが割れていた。そしてそこには、首の無い天使がいた。
足元のこれらは、きっと天使の端麗な顔にあたるのだろう。このままでは危険だと、アインスはその場にしゃがみこんで破片を片付けることにした。
素手では多少心配があるが、注意していれば大丈夫だろう。
失敗続きでこれまで数多のカップを割ってきたアインスだ。破片の片付けは、良いのか悪いのか、慣れたものだった。
ひとつひとつ丁寧に拾い上げていけば、いつの間にか残る破片はたった一つ。しかし、その横には、破片となれど、それでもなお褪せない輝きを放つステンドグラスとは対照的に、鈍く照明の橙を反射するだけの"何か"が落ちている。
最後の欠片を拾い、そして、首を傾げながら残った"何か"に手を伸ばした。片手に収まる程の大きさの、黒い四角。
第十二話: テキスト
「……これ、って」
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以前、白に染まった屋根の上。拳銃と共に落ちていたそれが、その内容が、脳裏に浮かぶ。それを握る指先が震えている。
……どうやらこれは、USBメモリのようだ。
【USBメモリを入手しました。】
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《____3F廊下にて》
保管庫前。神妙な面持ちでそこに立つのはリツィだった。
片手には、船長室で発見した破れたリスト。可能ならば比較して確認したかったが、施錠された保管庫に立ち入ることは出来ない。まかり間違って鍵が開いていたりしないだろうかと足を運んでみたものの、徒労に終わってしまったようだ。
このリストを見て、少し、思ったことがある。そしてそれは、これまでウェルテルやメルトダウンの過去が保存された記録媒体を見て以来ずっと考えていたことでもあった。
ウェルテルが言ったように、このリストは、出力したバグの管理をするリストに酷似している。そして、目にする記録媒体も保管庫で見られるものばかりだ。
通常業務で船長が担当している保管庫の管理は、バグの分野においてはこのリストを用いている。出力した際に共に印刷されるラベルを事前に作成した台紙に貼り付けることで一覧にしたものである。
リツィは普段管制室を任されていたため船長の用いるそれに馴染み深くはなかったが、一通りの業務は把握していた。ただそれは広く浅くといった程度で、このリストに関しては、ひとつの業務を担当している訳ではなく様々に仕事を行っていたウェルテルやシャルルの方が目に馴染みがあった。当然、リツィよりも詳しい。
そんなウェルテルが、リストを見て、バグの管理をするリストだと勘違いしたのだ。そのとき、リツィは、抱きながら口にしてこなかった疑念をほぼ間違いのない確信へと切り替えた。
船員たちの記憶は、恐らく船長が奪っている。
バグを出力した記録媒体と、船員たちの記憶を保持した記録媒体。バグを出力した際に作成するリストと、同じつくりのリスト。そして、バグを出力する機器を扱えるのは、船長だけだ。
ならば、これ以上は言うまでもない。
これは憶測に過ぎないが、並行世界の理に関与出来るのだから一人の人間の記憶に作用することも可能だろう、とリツィは考えていた。
無条件に船長を信じるばかりではいられない立場故の、考えすぎであればいい。杞憂であればいい。どこかで船長のことを信じたかった自分が、次々に追い詰められて溺れていく。考えれば考える程に船長への猜疑心は強まっていくばかりで、頭が痛かった。
このことを隠しているのだから、きっと彼には後ろめたい何かがあるのだろう。人の良い笑みの裏に、一体何を抱えているのだろうか。
本当に全員が記憶を奪われているのか。記憶を奪った船員たちが生活するのを見て、どんな思いで過ごしてきたのだろうか。どうやって船員たちに出会ったのだろうか。そもそも、この仮説は正しいのだろうか。
それらしいことがひとつ分かったところで、必ずしもそれが正しい確証は無い上に、さらに系統樹のように謎が連なって顔を出す。きっと思考を放棄したり、誰かにすべてを打ち明けたりするのが逃げ道になるのだろうが、責任感の強いリツィにはそんなことは出来なかった。
一人、眉間に皺を刻んで悩む。
階段を上っていく足音には気がつかなかった。
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《____シアターにて》
おしまいで、USBメモリを見つけた。
過去の映像が入っている、という、これ。にわかには信じ難い話だが、目の当たりにすれば信じざるを得なかった。アインスは、メルトダウンのディスクをシアターで共に見ている。
拾ったUSBメモリは咄嗟にポケットにしまい込んで、直後に顔を見せたエスペランサには報告しなかった。彼がこれを知っているのか分からないし、報告するならば中身を確認してからの方が皆の手間がかからない。などと理由を並べてみるが、その実言い出すタイミングを見失ったのが最も大きな要因だった。
エスペランサに話を聞けば、彼が見た反射したものとはアインスが予想した通りステンドグラスだったようだ。破片は室内外どちらにも散らばっていたらしく、不思議な割れ方をしたものだなと話したのはつい先程だった。
アインスは、探索を終え船に戻ったその足で、中身を確認するためにシアターを訪れている。途中、3階廊下で立ち尽くすリツィを見かけたが、アインスがシアターに向かっていることには気がついていないようだった。
アインスがディスクを見た経験は、衝撃的なあの一度だけだ。あのときはいっぱいいっぱいで、発見したディスクを見るべきかどうかだなんて考えられる余裕もなかった。未だ、こうしたディスクの存在や使用用途を理解出来てはいない。船員皆そうであろうが、彼は、あまりにも経験が浅かった。
もし再生したとして、中身が他の誰かの見もしない姿であれば、素直に報告してよいものだろうか。自身の記憶であるならば、見る、べきなのだろうか。ほんの少しも見ないで、船長だとかに渡してみた方が良いのだろうか。ぐるぐるぐるぐる、様々な選択とその先を想像しては最初に戻る。一人、そんな巡り巡る思考を繰り返し、もうしばらく経っていた。
「……どう、しようなあ。」
ぽす、と柔らかい椅子に頭を預ける。シアターの壁はそんな音さえも吸収し、室内は静寂に包まれた。思考をやめてこのまま眠ってしまいたいくらいだ。けれど、それは許されない。
今回の探索だって、エスペランサに頼ってしまった。
……自分はこれからも、ずっと誰かに頼りきりで、一人では何も行動出来ないままに生きていくのか。
不意にそんな考えが浮かび上がる。
……いや、それでは成長はない。今の自分は力不足に嘆くばかりで、口先でそれを言い訳にしている。このままでは、ずるずると皆の足を引っ張ってしまうだろう。僕なんか、だとか言う中で、得られる何かはあるのだろうか。いくら衝撃的なものであれど、それが、変わるきっかけになる可能性があるのなら。
アインス自身が見つけたディスクを、アインス自身が決断して中身を確認する。それで何かしらを得られたとして、報告できたならば、みんなの役に立てたと言えるのではないだろうか。
手のひらの中、ちっぽけなこれには、どんな意味があるのだろう。ころころと転がし、そして握り込む。
立ち上がったアインスの瞳には、既に覚悟が灯っていた。
映像機器に読み込ませ、再生ボタンを押す……前に、一度深く息を吸って、吐いた。ゆっくりと瞬きをして、
再生。
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____開演____
【××の切望】
世の中には、与えられた人間と、そうではない人間がいる。
世の中には、必要とされる人間と、そうではない人間がいる。
僕はきっと与えられた人間で、かつ必要ではない人間だった。
生まれに恵まれた。
古臭い階級社会を生き抜く上で、貧困層ではなく貴族だっただけで、既に僕は与えられた側の人間だった。いくら没落寸前であれど、貴族であるならばそうなのだ。
第十二話: テキスト
生まれた時から【アインス・ツー・ヴァンシュタイン】になることが定められていた、それだけで僕は恵まれている。
第十二話: 画像
そこに僕自身の意思も実力も無関係で、第一、僕は無能だった。
家族に恵まれた。
愛すべき家族が、僕にはいる。出来の良い兄は人も良く、僕にだって優しかった。大好きだと心の底から目を見て伝えられるくらいには兄を慕っている。両親は出来の良い兄を愛し、出来の悪い僕をいないものとして扱った。けれど、良いのだ。何も返ってこなくたって、僕は両親を愛していた。家族だから。兄のように、あらゆる場で功績を挙げ家名を広めるような、そんなことはいくら努力したところで僕にはできないから。どうにか、すべてを与えてくれた家族に報いたかったが、僕なんかにはただ愛すくらいしかできなかった。
両親にとってはいてもいなくても変わらない透明人間だったとしても、僕は確かにそこにいたのだ。愛されなくても、必要とされなくても、一人の人間が家族に対してどんな感情を抱こうが自由だろう。役立たずな僕に許された自由はきっと、僕自身の気持ちの在り所だけだった。
僕は恵まれている、恵まれた。そう言い聞かせて、特権を備え名声共に高らかな貴族様の罵詈雑言にはへらへら笑って返事をした。未来永劫繁栄が約束されている貴族を相手に、僕のような没落の一途を辿る貴族の末子が事を荒立てるのは愚かな選択だと、誰もが分かっていた。もちろん、僕自身も。
わかっていた。
わかっていた、はずなのに。
目の前で奴らが頬を押さえて尻もちをついているのを見たって、拳がじんじん痛んだって、頭が冷えたりなんかしなかった。
だってこいつら、兄上殿を馬鹿にしやがった!僕だけならまだしも、賢くて優しくて愛する両親にだって必要とされる、僕の唯一の支えを、大好きな人を、僕の無能さを彼のせいにするような言葉で無闇に貶めて、根も葉もない噂をそこかしこで囁いて!ああ本当に、やること成すことくだらない!
これが、将来この国の上に立つ者なのかと思うと何もかもがやるせなくて、湧き上がる怒りに任せて胸ぐらを掴んでいた。
お前たちが、実力も伴わず努力もせず、それでも不相応な看板に甘えて悠々と待ち構えているだけで未来を得られるお前たちが、兄上殿の何を知ってそれを言うんだ。
許せなかった。誰しも越えられてはならない一線があるとは言うが、僕にとってはそれが兄への侮辱だったのだ。わなわな震える地べたの貴族に、腹の内で、ざまあみろ、と思った。
怒りに身を任せ、衝動に駆られ、殴った。その相手は僕の家とは比べ物にならないほど強大な、太刀打ち出来ないような貴族の家の嫡男だった。わかっていた。手を上げれば不敬として首を刎ねられるような相手なのだと、わかっていた。僕の処遇は未だ確定していないらしいが、死因が定かでないだけで、僕の未来は既に絶たれている。貴族の力を誇示するために、この制度を維持するために、必要な犠牲だった。
迫り来る死への恐ろしさはもちろんあったが、兄の名誉を守れた気がして、また、大きな顔で闊歩する奴らに一矢報いることができた気がして、死ぬ前にようやく何かを残せた気がして、なんだか、どこか誇らしかった。
……世の中が思うようにいかないなんて、そんなことはわかっていた。何事も思い通りには進まない、何一つ上手くいかない。努力が報われることなんてない。そんなことで、その程度で、わかっていると思っていた。
第十二話: テキスト
広場、人集りの中心。絞首台。
第十二話: 画像
力無く四肢がだらりと垂れた、体重に従ってぷらぷらと揺れる、なにか。逆らえばこうなるのだと晒されている。見世物。
目の前のものを認識すれば心が壊れてしまう、と、無意識に防衛本能が働いたのか、まるで何が起きているのか理解が出来なかった。
「な、アインス」
不意に名を呼ばれ、錆びたブリキのおもちゃのように、ぎこちなく振り返る。視界は定まらない。声の主、にたにたと笑うその頬には、真っ白なガーゼや包帯で大袈裟なほどの手当が施されている。
「は、残念だなあ。お前の優秀な"兄上殿"は、そこで揺れてるよ。お前が、殺したんだ。お前の馬鹿で向こう見ずな行動が、お飾りの出来損ないの次男坊が、お前が。"兄上殿"は死んだんだ。お前のせいで。」
お前のせいで
お前のせいで
お前のせいで
僕のせいで。
気がつけば、日が落ちていた。知らぬ間にかなりの時間が経っていたらしい。ずっとひとり、僕が殴った貴族の子息、奴に事実を突きつけられて以来立ち尽くしていたようだ。周囲にいた沢山の野次馬は、あれやこれやと下世話な話をしていたようだが、誰の声も耳に入らなかった。
そんな人々も既に関心をほかに移していて、この場にいるのは僕、と、兄上殿、だった、何か。それを片付ける、たった一人残る僕がそれの弟だとは知る由もない貧困層の労働者。野次馬も去り、見せしめとしての役割を十分果たしたのだと判断されたのだろう。
喉は詰まり口は息を吐きだすのみで、僕は、それが淡々と処理されていくのを止める術を持たなかった。見るに堪えない光景に、ただただこんな現実から逃げたくて、覚束無い足取りでその場を去った。
逃げたくて、逃げたくて、逃げたくて、何を考えることもなく歩き続けて辿り着いたのは家だった。
身体中からどっと吹き出た汗に、急速に全身が冷えていく。両親に会わせる顔がない。大事な跡取りを、出来損ないが殺した。僕も紛れもなく両親の子供ではあるが、僕だけが残ったところで両親が僕に愛を向けてくれる、なんてことはないのだ。開けた扉の先、愛する家族の悲しむ様を、愛する家族に憎むような視線を向けられることを想像して脳を揺さぶられたような恐怖を覚えた。両親に拒絶されることが、兄がいたこれまでよりも、格段に、恐ろしい。
兄でなく自分が生きてしまっているのだと知らしめるように、心臓が強く脈打つ。いつまでも逃げ続けてはいられない。冷えきった指先で、ゆっくりと、豪奢な玄関の扉に手をかけた。
…………。
……ああ、そうか。
どんな目を向けられるだとか、心配するだけ無駄だった。
だって、僕は透明だ。
兄を喪ったこと、それは両親にとってはすべてを失ったと同義らしい。吊られた身体に、直感的にそう理解した。
僕のせいだ。愛する家族をみんな殺して、一人、生き残ってしまった。目の前の二人が遺書すら遺していないのは、僕には遺す言葉すらないということだろうか。僕は、僕は本当に、あの人たちの中に居たのだろうか。
僕は、もしかして、誰の目にも見えていなかったのだろうか。
僕は、居る、のか?
生きる意味。与えられた人間だから、恵まれた人間だからといつだって踏ん張ってきた。与えられた。生まれに、家族に、恵まれた。頑張る理由だった。愛する家族がいさえすれば、何度地に伏しても立ち上がることができた。そんな家族を、唯一の拠り所をみすみす自分の手で壊して、これから、一人で、生きて?
そんなの、意味なんてあるだろうか。
全部、僕が悪かった。僕のせいだ。僕が、僕が。
……もしも叶うならば、家族と、もう一度やり直せたら。なんて、とんだ夢物語だ。ああでも、僕がいるせいでこうなるのなら、いっそ。
第十二話: テキスト
改めて、夢を語るのであれば。
僕が生まれない、僕が透明になった世界で家族が幸せになりますように。
第十二話: 画像
【アインス・ツー・ヴァンシュタインの切望】
____終演____
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映像が終了し、画面が暗転する。シアター内が完全な闇に包まれた一瞬ののち、ぼんやりと、じんわりと、あたたかい明かりが灯る。
手の甲に落ち続ける雫が照らされ、きらきらと光っていた。皮肉なほどに、綺麗だった。
「……、ッ………ひっ、…ぐ、うぅ……」
目の前で繰り広げられた、過去の自分のひどい過ちが、確かな実感を伴って自分自身に返ってきた。押し寄せる自己嫌悪に、罪悪感に、無力感に、絶望に、上手く息を吸うことができない。引き攣るような、声にもならない音が喉から漏れる。
僕のせいで、何にもなれなかった何も出来なかった僕のせいで。兄上殿は、父上殿は、母上殿は。虚しかっただろう、苦しかっただろう、憎かっただろう。僕の余計な行動が、すべてを招いてしまった。彼らを殺したのは僕だった。愛していたのに、それゆえの行動を引き金に殺してしまった。家族でいる資格はないと、自分なんていなければよかったと、自分のいない穏やかな世界で幸せに暮らしてほしかったと、あの時は本当に、心の底から願ったのだ。
それなのに、アインス、と映像の中で家族に呼ばれる度どうしようもなく懐かしい気持ちになった。僕が今だってアインスでいるのは、きっと、心のどこかでまた家族にそう名前を呼んでもらえることを、見つけてもらえることを望んでいたのだろうと理解してしまった。
あの家族の中に自分がいなくてもいい、いない方がよかったと口先では願いながら、心の奥底では自分だって家族に愛されたかったと、あたたかい春の陽射しのような声色で慈しむように名を呼ばれたかったと、幼い自分が叫んでいた。泣いていた。
僕のせいでみんな死んでしまったのに、未だ、身勝手で都合のいい想いを抱いている。船員としての自分の名前が、何よりもそれを物語っていた。
甘えたい盛りに、兄と比較され否定された。努力したところで認められなかった。家族から与えられる無償の愛なんて無くて、アインスはいつしかを自身を卑下するようになっていった。
誰か、客観的な視点から映像を見られる者がこの場にいれば、必ずしも全てアインスが悪いのではないと理解して、彼に言葉をかけられたかもしれない。けれどここには彼一人で、刻み込まれた価値観を自力で覆すことは難しい。アインスは、再び自分を責めている。
ごめんなさい、ごめんなさいと謝罪の言葉を繰り返し、蹲って泣いている。喉の奥がヒリヒリと痛む。声が枯れる。それでも涙は止まらなかった。
自責にまみれた心の内で、ほんのわずかに顔を見せる、家族に愛されたかったという願い。今にも消えてしまいそうな、か弱い、等身大の願いはアインスの心を揺さぶり続けている。
自分がすべて悪かったのにこんな願いを抱くことが許されるはずがないのに、小さいながらも変わらずそこに在り続ける。相反する複雑な感情に揉まれ、身動きが取れなかった。
涙を流しすぎたのか、眼の奥が痛む。呼吸も未だ荒いままだ。でも、どうしてもここに居たくはなかった。このシアターには何の音も届かず、都合良く人が来ることだって滅多に無い。アインスは、自分は今透明ではないと、誰かに存在を認めてほしかった。
疲れきった体に鞭打ってふらりと立ち上がった彼は、そのままシアターを後にした。
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《____橋にて》
朝礼を終え、船を降りる。しはつを通り、はじまりを通り、例の気味悪い体験をしたわんぱくの横を足早に通り過ぎる。マップを見ずとも進める程度には、トロイはこの欠片の探索に慣れてきていた。
たのしいやおいしいへと続く、一際距離の長い石畳。ふと思い立ち、この橋に異常は無いか、調べてみることにした。歩くのに疲れたとも言う。
改めて見直してみても、橋に特に不審な点は無く、欠片と欠片を繋ぐ役割を持つもの、それ以上の意味はないのだろうと判断した。欄干の高さも十分で、誤って落下してしまう……なんてこともないだろう。下は高い高い、青。そしてそんな仮初の青空を作り出す世界の欠片の膜を通り抜ければ、果てのない異空間だ。最悪の事態が頭に過り、その考えを振り払うようにトロイは自身の頬を軽く叩いた。
欄干に身を預け、自分よりも低い位置にある空を見る。
?
今、一瞬。
見間違いだろうか。
何らかの、乗り物のようなものが、黒煙を立てながら空中を進んでいた。
それが見られた辺りへと目を凝らすものの、先程見かけた黒い塊は既に消え失せていた。やはり、気のせいだったのだろうか。何か、まつ毛の影だとかを勘違いしたのだろうか。
ガタン、ゴトンと、ほんの微かに耳に届く音も、黒に目立つピンク色が車窓の奥に見えたのも、きっと、気のせいだ。
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第十二話: テキスト
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