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第十一話
第十一話: ⑨
《____はじまりにて》
降り立ったばかりで情報は十分とは言えないが、船員が抱く現時点でのN▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲへの印象は概ね良好だった。晴れ晴れとした気候に豊かな色彩、橋や建物のつくりだってまともで、さらに道の整備までされている。そんな誰にとっても美しい風景の中を、見る限りは果てのない青空の下を、のびのびと歩き回れる経験は彼らにとっては目新しいものだった。
しはつ、その出口から続く橋の石畳を踏みしめ、ご機嫌に大きく腕を振って歩くのはペスタだ。ラズも、そんなペスタの真似をして歩いていた。
「こーんな天気がいいなんて、探索向きな場所ですね!僕もうワックワクしてます!」
「ふふ、ペスタのことも誘って良かったです。3人!で!お出かけ!嬉しいです!ね、メルト!」
「ん〜?あは、そうだなあ。俺もなかなかたのしーよ」
ラズが振り返って声をかければ、聞き慣れたものよりも間延びした声が返ってくる。メルトダウンの眉間に皺はなく、彼もまたにこにこと笑って二人の後に続いていた。
メルトダウンの様子にラズはわずかに顔を顰め、数歩前を鼻歌交じりに進んでいるペスタに駆け寄った。指先で控えめに彼女の肩を叩き、ペスタの耳に届くよう体を屈めて声をかける。もちろん、口元には手を添えて。これは内緒話なのだ。
「……やっぱりメルト、変…ですよね?いえ、ご機嫌なのはいいことですが……」
第十一話: テキスト
「普段ならこう、『これは業務だ!お遊びじゃないんだぞ!ったく……』みたいな。」

第十一話: 画像
「あはは!全っ然似てないですね!うーん、僕もそう思います……みんなが期限通りに書類出した〜とか、良いことあったんですかね!?でもなんだか、機嫌がいいというよりは様子がおかしい……ような?はぁー、分かりません!」
ぴえん、とお決まりの泣き真似をしたペスタは、直後ころりと表情を変える。背後で橋の下を眺めるメルトダウンを一度見遣り、再びラズに向き直ると笑顔で告げた。
「ま、そのうち元に戻りますよ!あんなメルトダウンさん、なかなか見れませんし。楽しんじゃいましょ!」
楽観的なペスタはその一言を境に、歌詞の曖昧な、鼻歌にしては大きなそれと共に歩みを再開する。残されたラズは不服そうに口を尖らせながらも、ペスタの小さな背を追った。
橋を渡り、三人は既に視界に捉えていた建物に辿り着いた。建物の内部と外を隔てる扉は透明であるように見えるものの、どうにも中の様子は窺えない。不思議な入口らしい。
船員の姿を認識したのか、音もなく扉が開く。所謂自動ドアのようだ。三人は招かれるままに建物へと足を踏み入れた。
内部は実に単純な構造だった。まっすぐ、欠片の奥へと続くだだっ広い通路のようで、対面には既に入口と同様のつくりをした出口が見えている。ただのトンネルのようで、廊下のようだった。
「お?どこかで嗅いだことある匂いですね!んーと、どこでしたっけ……メルトダウンさん分かります?」
「これは〜、消毒液かな。医務室じゃね?」
「医務室!なるほど〜、言われるとそんな気がしてきますね!!」
白とピンクでまとめられた清潔感のある空間には消毒液の匂いが立ち込めており、メルトダウンの言うように彼らの知る医務室の様子とよく似ていた。
二人が匂いについて話している間、ラズは通路の両脇にある窓へと目を向けていた。通路の端から端まで続く窓の奥には彼には見覚えのない何かがあるようだ。手招きしながら、傍にいる友人の名を呼ぶ。
「メルトメルト、これは分かりますか?」
「あー?……ん〜俺、病院とかあんま縁無かったんだよ。なーんだっけなあ、ああほら、ガキ育てるやつだよ。えーっと……保育器だっけ」
「ほいくき」
「知らねーわな!はは!俺も知らねーっ!」
「メルト……間違えてお酒でも……?まっすぐ歩けますか?ラズの手貸しますか?」
「んふ、借りちゃおっかな〜介護してもらおっかな〜……嘘嘘、本気にすんなって」
「ううん…やっぱりなんだか……前はすぐに断ってましたよね?よっぽどご機嫌なんですね……?」
第十一話: テキスト
ラズが指し示していた先……両側の窓の奥には、空の保育器が規則正しく二列に並んでいた。

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コードや複雑な機器は取り付けられておらず、それ本来の役目を果たすことは難しいだろう。窓の奥に入ることが出来そうな扉や入口は無く、展示されているかのような印象さえ受ける空間だった。
通路の端から端までただ並ぶそれが一体何を示唆しているのか。そもそも保育器が何であるのか、そんなことは船員には不要な知識であり、彼らがそれに対して十分な理解を成し得ることはなかった。
一足先に出口に辿り着いたらしいペスタが大声で二人を呼ぶ。相変わらず向こう側が見通せない透明なはずの自動ドアが開いた途端、待ち切れないと言わんばかりにペスタが外へ駆け出した。扉が閉まって彼女を見失う前に自分達も建物を出てしまおうと、並ぶ保育器を後目に二人も出口へと向かっていった。
新しい世界の欠片、ここはそのほんの入り口で、ただのはじまりに過ぎないのだ。奥へ奥へと、探索という大義名分を掲げて三人は歩き始めた。
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《____わんぱくにて》
幻だ、なんて現実逃避でしかないことはとっくに理解していた。あまりに弱く無力な自分を憎み、悔やみ、抱え込んだ膝を濡らしたのは彼女の記憶に新しい。自分の行動が引き金になってしまったのは紛れもない事実で、こんな自分はいっそのこと何の行動も起こさない方が、余計なことを考えない方が良いのかもしれない、とも思った。
けれどそれでは変われない。
もっと素直に愛すべきだったと、自分は彼に愛されて幸せだったのだと、手遅れにも程があるようなタイミングで彼への……執六鮫への想いを自覚してしまった。自身の意識していたそれよりも、募る想いが意外な程に大きかったことを、トロイは自覚してしまったのだ。
もう彼の気持ちが自分に向くことが無いとしても、それでも、素直に愛せばよかっただなんて醜い後悔は二度と味わいたくなかった。叶うのならば、彼の愛する家族の元へと、彼の愛する妹と共に笑って帰ってほしい。それがきっと最善だ。彼らのために出来ることがあるのなら何だってしてやろうと、そう思えてしまうほどにトロイは二人を愛していた。
一生分の苦痛を強いられた、そしてその上で生き延びた彼らの未来は明るいものであってほしい。そこに自分は居なくたって、トロイはまったく構わなかった。
どうせ空回るのなら、盛大に空回ってしまえ。柄じゃないだとかちっぽけな恥や外聞を気にして、そうして行動を起こせず後悔したのは自分自身だ。
幸い、新しい欠片に到着し、切り替えるきっかけにも恵まれている。二人も目を覚ましてもう問題なく動けるらしい。心機一転、やってやろうと腹を括り朝礼へ挑んだのが今回だった。
____しかし結果から言えば、今、どういう訳かトロイは二人を尾行している。
映像を観て以来、二人の姿を確認するのは初めてだった。朝礼でその姿を見るにあたって、悲嘆に暮れているかもしれない、苦痛に顔を歪めているかもしれない、彼らの眩しい笑顔は失われてしまったかもしれないと様々な想像をした。そして、ようやく意を決して二人へ目を向けた。そこには、全くもっていつも通りの鮫と翠がいた。
喜ばしいことであるが、正直なところ、トロイにとっては拍子抜けだった。いつも通りよりかは距離が近いだとか、鮫が構い倒しているだとか、翠がどう接するべきか困っているように見えるだとか、相違点はあったが視線の先で繰り広げられるやり取りは彼女の想像とはまるで違っていた。
意気込みから既に空回っていたのかとトロイははたはた自分に呆れ返ったが、そこで引いては以前のままだ。自分は行動しようと決めたのだ、と二人に声をかけようとするが、思うように体は動いてくれなかった。決意を固めることと実際に行動を取ることとはまた別で、トロイは変わらずトロイのままで、別人になった訳では無い。そう簡単に行動を変えることなど出来なかった。
どうしたって勇気が出ず、けれど彼らの自力で立ち直る強さを目の当たりにして自分もそうなりたいと考え、それでもやっぱりトロイはトロイのままで。そんな葛藤を繰り返し、声がかけられないままに一定の距離を保って行動を共にしている。つまり、尾行していた。
第十一話: テキスト
「なんでワタシはこうなっちゃうんスかね……」
身を隠すのに丁度いい立派な樹に体を沿わせ、トロイは大きくため息をついた。

第十一話: 画像
わんぱくと称されるこの区域は、どうやら公園のようだ。色とりどりに並ぶ遊具は見ているだけでも心が弾むようで、翠は子供のようにはしゃいでいた。

第十一話: 画像
トロイは、公園を囲む様々な種類の木々のひとつに身を潜め、二人の様子を窺っている。馬鹿らしいなと思いつつ、今更どんな顔をして合流すべきか図りかねているらしい。連なる木々の中には見た事もないような姿をしているものもあり、その一つである、綿毛のような白くふわふわした葉をつけた木々からはどことなく甘い香りがした。
「昔もこうして公園来たよなあ。ちょ、気をつけなよ鈴杏!」
「もお、さっきから過保護だにゃ」
公園内では、ジャングルジムに手をかける翠が、咄嗟に声をあげた鮫に向けうんざりした顔をしてみせた。
映像を見て以来、そして目覚めて再会を果たして以来、二人の関係性はゆるゆると変化している。これまで常に喧嘩していた相手が兄と知り、何とも言えない気恥しさに襲われているのが今の翠だった。どんな態度を取るべきか決めあぐねているところで、これからゆっくり順応していくのだろう。
そんな翠に対して鮫は、躊躇うことなく兄の漢林として妹である彼女と接していた。失われていた家族の時間を取り戻すように、当たり前に身近に妹が居るこの生活を楽しんでいた。彼は、以前の経験からか幾分か妹に対して心配性になっている。翠にもその気持ちが理解出来ることもまた、彼女の態度が不安定である一因だった。
登りかけたジャングルジムの上、翠は呆れ顔で鮫から視線をそらす。そして、移動した視界に映りこんだ砂場に小さな違和感を覚えた。
「……んにゃ?砂山?」
「んー?おお!懐かしいな、あんなんも作ったよなー!水で固めてトンネル掘って……」
「いつまで昔の話してんだにゃ!」
「それにしても、……砂山なんてあったっけ?さっき。」
「さ、鮫サン!スイ!早く、こんなところ出ましょう!なんかおかしいっス、この公園……!」
「えっトロイ!?なんでここに、」
「いいから!」
突然現れたトロイに面食らいながら、鮫は何やら焦る彼女に手を引かれるまま歩き出す。すぐにジャングルジムを降りるようトロイから促された翠が慌てて降りると、兄と同様彼女に手を掴まれた。三人で、足早に公園の入口へ向かう。
と、ギィ、と背後で音が鳴った。
「にゃっ!?」
「……ブランコ?」
不気味な音に弾かれたように振り返れば、公園の主役とも言えるブランコが、無人のそれが揺れている。風によるものではない。徐々に大きくなっていく振り幅は、明らかに自然に生じる運動では無かった。言うなれば、そう、まさに誰かが漕いでいるようだ。
奇妙な事態に思わず足を止め、目を奪われていると、突然ブランコの真下の地面から擦るような音とともに砂埃がたった。それに準ずるようにしてブランコは揺れを緩め、ついに停止した。
「っ、はぁ……!?何、誰かいんの……!?」
「だからなんか、おかしいんですって!」
「に、兄サマ、トリィ、……砂場」
翠は、込み上げる不安のままに、空いた片手で鮫の裾を弱々しく握っている。何かに気がついたらしい彼女が砂場を指して二人へ告げた。
「誰もいないのに」
確信を持って言える。先程までは、あそこにあるのはただの砂山だった。だが、視線の先に鎮座するは豪華な砂の城。大きさは立派ながらも粗の目立つそれは、さながら鮫たちがむかしむかしに作ったような、拙い砂遊びの痕跡だった。
息を呑んだ次の瞬間、何かによって数回に渡り叩かれたように城は崩壊し、そしてただの砂へと還った。奇怪な出来事を前に言葉も出ず、三人はただ、呆然と平らになった砂場を眺めることしか出来なかった。
わんぱくな子供が無邪気に遊び回っていたかのような公園に、静寂が戻る。これはきっと気の所為だが、笑い声まで聞こえてくるようだった。
「…鈴杏、トロイ、行こうか。俺様がついてるから絶対大丈夫だけど……気味が悪い。」
「……」
「……うん…」
三人で、公園を後にする。最後に一度振り返った翠は、シーソーが独りでに傾くのを見た。
……鮫たちに声をかけるまで、一部始終を、公園全体を見渡せる場で見ていたトロイは知っている。鮫や翠が気づいたブランコや砂場だけではなく、この場の遊具はどれもが独りでに動いていたこと。それが、透明な誰かが遊んでいるかのように、動いていたこと。
水飲み場から不意に飛び出るオレンジジュースは空中で消え、バネのついた遊具は絶えず跳ねていた。半分埋まったタイヤの上部は時たま凹み、人気らしい滑り台、その到着点には頻繁に砂埃が立っていた。
公園をぐるりと囲うように並び立つ木々はざわざわと揺れ、そこで遊んでいるわんぱくな子供たちを見守っているかのようだった。そしてそれは、きっと訪れた三人に対しても同様で。
木々は、ざわざわ、ざわざわと、公園に背を向ける三人を見送った。
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《____おもいでにて》
新緑が映える道沿いの並木は、彼らの進む木製の通路に濃い影を落とし見事な鱗模様を作り出している。影があるならば光……船内で言う照明、ここで言うならきっと太陽と呼ぶそれも当然あるだろうと白で飾られた高い青を見上げるが、ヘデラには光の出処は分からなかった。不思議なものだと生い茂る若葉を見つめ、ふと足元に視線を落とせば隣にあったはずの影は知らぬ間に消えていた。パタパタと通路を走る、弾むような足音はこの探索だけでもかなりの回数耳にしている。
「うっわぁー……どこもかしこも綺麗だなあ!?」
「ローちゃーん!遠く行っちゃだめですよ!」
道の先、通路に面した樹木に実る果実や花をまじまじと見つめるローレに、ヘデラは大声で呼びかけた。
彼らが訪れているのは、このN▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲにおいて最も大きな欠片であるはじまりやわんぱくがある場を抜け、しはつから続いていたのと同じような石畳の橋を渡り、そして辿り着く、おもいでと呼ばれる地帯のある欠片である。橋を渡った途端に彼らの目の前に現れたのは、一面の穏やかな森と唯一人が通ることが出来そうな木製の通路、その入口だった。
道に沿ってどこまでも続く木々に阻まれ、この木製の通路を逸れて森の奥へと進むのはかなり骨が折れるだろうことは、賢い二人には容易に想像出来た。だから、用意されたような一本道を進むほか無く、ヘデラはそのことに落胆しながらも安心していた。そのおかげで、好奇心の向くままに動き回るローレを見失わずに済むためである。
「!ああ、ごめんヘデラ。ボク、早く先を見たくてさ」
ヘデラがローレに追いつくと、植物を観察しながらぶつぶつと呟いていた彼女もようやく思考の海から意識を引き戻したようだ。ヘデラはこうした、ローレの研究熱心な一面だって好きだった。気持ちが先走ったことを軽く謝罪するローレに頬を緩めて大丈夫だと伝え、歩みは止めずにああだこうだと議論を交わす。探求心の強い二人にとって、未知の世界の探索業務は胸躍る楽しみそのものだ。議論は留まるところを知らず、絶える気配は無い。そうして木陰になった通路を歩き続けて少し経てば、開けた土地に到着した。一度会話を切り上げ、影の晴れた通路の先に視線を向ける。
森の中にぽっかりと穴が開いたようなその土地でも、変わらず木製の通路は続いている。通路の一段下には花野が広がっており、花を踏んでしまうことへのなんとも言えない罪悪感に目を瞑れば道を逸れて通路以外の場所を調べることも出来そうだった。
第十一話: テキスト
気になる点といえば、進んできた通路沿い、明るい緑に囲まれぽつんと佇む一軒家のみ。

第十一話: 画像
見るなり目を輝かせ目標へ駆け出したローレとは対照的に、ヘデラはゆっくりと家屋の外観を眺めつつ通路を進んでいる。そんなヘデラをローレが急かし、二人は扉を前に横並びで立っていた。
「おもいで……って、これのことですかね。」
「十中八九そうだろうなぁ!他にあるの植物くらいだし。マップで見た欠片の広さからしても、ここにあるのがこの建物だけだとしてもおかしくはないかな」
ヘデラの言葉にローレが頷く。N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲに到着時、ローレは外の景色に興奮しながらも表示されたマップはよくよく頭に刻み込んでいた。ローレのやる気は有り余る程で、彼女は一度白衣の襟を正して喝を入れ、建物へと向き直る。
「うん、周りにも特に何も無さそうですね。行きましょうか、ローちゃん」
「よーし、ワクワク探検隊再始動!いざ潜入!お邪魔しま〜す!」
「わ、それ……すっごい久しぶりに聞きました」
真っ黒な扉に手をかけ、二人は建物に足を踏み入れた。
「なんだこれ。写真立てに……壁のは額縁かあ。似たような物ばっか並んでるな〜?なんかちょっとお洒落じゃないか?」
「そうですか?結構整頓はされてますけど……写真立ても額縁も、中身に統一性が無いような。」
入ってすぐ、二人の目に付いたのは壁面の額縁と一面の棚に並べられた大小様々な写真立て。ヘデラが壁に数歩歩み寄り、観察する。
「こんな写真普通飾りますかね? ほらローちゃん、これとかブレッブレですよ」
「だいぶ……下手くそなんだろうな。撮るの。」
大量の額縁と写真立ての中身はまっさらなただの紙であったり、植物の写真であったり、トランプであったり、はたまた全くピントが合っていなかったりと様々だ。また、飾られているそれらすべて、右下にオレンジ色で不規則な6桁の数字が印刷されていた。
ひとつ、ヘデラの覚えた違和感を挙げるとすれば、写真のどこにも人間や動物の姿が無いことだった。まあどんな写真を飾るかなんて個人の自由だろうと、船員たちの個室を思い浮かべながら、彼は小さな違和感を気の所為だと片付けた。
ローレは楽しげに、お世辞にも広いとは言えない室内を歩き回っている。時々ヘデラの声に応えながら室内を観察するうち、彼女は側方の壁沿いに置かれた長机の端にちっぽけなレジスターを発見した。本や観測により得た情報だが、ローレ自身の知識を辿れば、レジスターがある場合そこは何らかの店であることが多い。ここもそうなのだろうと仮説を立て、ヘデラにもそれを伝えた。
狭い室内、加えて二人がかりでの探索であるため、この部屋の探索にはさほど時間は要さなかった。
この部屋の観察を終えた二人の視線は、部屋の突き当たり…別の部屋へと続いているであろう空間へ向いている。明かりが灯っていないのか、その先は暗がりになっていて見通すことは出来なかった。
「奥が本命かな〜、ヘデラは何があると思う?」
「うーん金銀財宝なんてことはないでしょうし……さっきの部屋はお店?らしいので、居住空間とかじゃないですか?」
「なはは!ヘデラやっぱり真面目だなぁ!ボクはね〜写真撮るとこか〜、こう……さっきみたいな感じで壁に世界地図貼ってある良からぬ企みするとこだと思う」
「はは、しちゃいます?良からぬ企み」
まるで何かを隠しているかのように不自然に先を見せない暗闇を前に二人は軽いやり取りを交わす。動揺や緊張は、ほんのわずかにだって見られなかった。信頼出来る者がすぐ傍にいる、ということは人々が思う以上に人間の脆いの心を強くする。それは彼らも例外でなく、ヘデラとローレ、お互いにとってのお互いもまたそんな存在だった。
第十一話: テキスト
臆すことなく、暗がりへと踏み出す。続く通路を軽やかな足取りで進めば、先程よりも広く天井も高く思われる部屋に辿り着いた。

第十一話: 画像
薄ぼんやりとした照明しかなかった通路に対し、ここにはまともな照明が複数取り付けられていた。特に気がかりな程暗くも明るくもなく、部屋を調べるにも問題は無さそうだ。一見すると壁や壁際に置かれた物に紛れて分かりにくいが、窓は黒に染められたカーテンによりきっちりと閉められているらしい。この明るさは完全に人工的なものであることが窺えた。
「お!ローちゃんビンゴですよ!」
「世界地図が?」
「分かってて言ってるでしょ」
「ふふふ、冗談だよ。うん、写真撮るとこかな!これ、随分な旧式だけど一応カメラだろ?」
部屋に入って少し歩いたところ…今、ローレのいる位置のすぐ隣にはレンズのついた黒い機器が佇んでいた。得意げに眉を吊り上げたローレは、それを軽く叩きながら独り言ともとれる呟きを零す。
部屋全体を見渡せば、写真を撮るための場所であることは誰の目にも明白だった。旧式のカメラのほか、被写体を照らす照明や背景にあたるスクリーンのようなものなどが各所に置かれており、なかなか設備は整っているようだ。
「椅子……撮ってもらう人が座るんでしょうね。というかこんな場所の写真、さっきの部屋には1枚もありませんでしたよね?」
「ふむ……確かに不思議な写真の選び方だったな」
ヘデラは記憶を辿るように顎に手を添え、部屋を見回している。そのままカメラ正面のスクリーン上にぽつんと残る椅子へと近づけば、彼は何か、気がついたらしい。
「……?店主の忘れ物ですかね」
「何見つけたんだ?」
ヘデラの呟きに、カメラのすぐ隣にいたローレも椅子の元へ向かう。
特筆すべき点もない、何の変哲もない丸椅子。その上には、"何か"が置かれている。 例えば用事が出来てとりあえず置いただとか、片付けが苦手だとか、そんな事情があれば椅子の上にだって置くこともあるだろうが、この場では明らかに異質だった。ヘデラが手に取ったそれ……大きな、台紙がしっかりとした本を二人で覗き込もうとした、瞬間。
____パシャ!
小気味いい音が部屋に鳴り渡った。二人が反射的に音の出処を振り返れば、音は例の古いカメラから鳴ったものらしいことがわかった。
「びっ……くりした……ローちゃん、怪我とかありません?大丈夫ですか?」
「う、うん、ボクは大丈夫……まだ心臓バクバクいってるけど……ヘデラこそ大丈夫?足ぶつけてない?」
「え?……あっ、本!大丈夫ですよ。落としたの気づきませんでした…」
ローレに指摘され、ヘデラはようやく音に驚いた反動で知らぬ間に本を落としてしまっていたことに気がついた。幸い足に直撃する事態は避けられたようだ。ヘデラがそれを拾い上げようと屈むと、本はとあるページが開いた状態になっていた。恐らく、落とした際に開いてしまったのだろう。ヘデラは、ある違和感から、開いたページを眺める。
建物に入ったばかり、大量の写真立ての中に見たような様々な写真が、透明なポケットに挟むようにして保管されている。これは……ファイルだろうか。けれど、おかしい。そこには、明らかな異物が仕舞われていた。
第十一話: テキスト
「……ヘデラ、それ、……」
「……ディスク……?」

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一度唾をのみ、ヘデラがゆっくりと拾い上げた。二人で覗き込むようにして、信じ難い、信じたくないそれの存在を改めて確認する。それはただそこにあるままで、静かに二人を見つめていた。
「……持って、帰りましょう。どうするかは後から考えて……」
「…そ、うだな、うん、そうしよう。一緒に考えよう……ヘデラ!それより、カメラ、あれ古いからかもしれないけど……ずっとガーガー鳴ってる……ボクちょっと、見てくるよ」
ディスクの存在に丸い眼鏡の奥の瞳を揺らすローレがふらりとヘデラの傍を離れる。何やら雑音を奏で続けるカメラに近づくと、おもむろにその下部から一枚、写真が滑り出た。ローレは、ひらひらと風に舞って床に落ちたそれを定まらない指先で拾う。
ベージュを背景とした、丸椅子の写真だ。四方を白い枠に囲われているが、写真立てのものと同様、右下にオレンジの数字が印刷されている。写真とは、変化し続ける時間の中で一瞬一瞬を切り取り、形としておもいでを遺すものである。先程の音、そして写真が印刷されたその瞬間も、ローレとヘデラは目にしていた。そこから考えればきっとこれは、今を切り取ったはず。
はず、なのだが。
そこには、本も二人も居なかった。
【アルバムを入手しました。】
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《____食堂にて》
「あれ、シンシア?」
「ん?ウェルルー!ご飯っすか?」
「んーん、飲み物!あー、思い出しちゃった、ご飯とか言われると美味しい物恋しくなる〜…ゼータク言わないからカップ麺とか食べたいな〜」
「カップメン……?」
「こっちの話!」
探索を終え、食堂に顔を出したウェルテルを迎えたのはシンシアだ。広い食堂に見える影は彼のみで、ひとり、のんびり食事をとっていたようだ。のんびりと言えども食事はかなりのハイペースで、ブロックを口に運んだと思えば次の瞬間にはまた色の違うブロックが口元にあった。彼は食べるのが速かった。
「シンシア律儀に食べてんだね。異空間いる間ってお腹減らなくない?今いるみたいな欠片とかだとなんか、食べよ〜って思うけどさ」
「習慣っすかね?こういうモンって感覚なんすけど……お腹減る?とかもあんま分かんないっすね。うわこれ辛っ、わはは!」
「ふーん……なんか見てたら食べたくなってきた!取ってくるわ! 」
ウェルテルが皿を手に戻ってきた頃、丁度シンシアは食事を終えたらしい。話好きな二人だ、食事を終えたからといってシンシアがすぐに席を立つことはなかった。
どちらともなく始めたなんでもない雑談は、いつしかこの世界の欠片の話題へ移行していた。
「ふふふ、自慢してい?リツィとデートしてきちゃった!」
「えー!!良いっすね!どこ行ったんすか?」
第十一話: テキスト
「んーとね、すくすく?ってとこ。フツーに学校!」

第十一話: 画像
「体育倉庫に竹馬あってさ、懐かしーって乗ってみせたらリツィビックリしてたな〜…竹馬乗ったらリツィの背にも追いつけそうでさ、普通に立ってて目バッチリ合うの!嬉しかった〜!いつもあんな目線なんだな〜……って、竹馬わかる?なんか棒なんだけど…説明ムズ!あとグラウンドに机もあったよ、訳わかんなくない?ジャリジャリじゃんね」
「ははは!すっげー喋りますね!竹馬はわかりませんけど楽しかったの伝わってきました」
「んへへ、いいでしょ。それ伝わればじゅーーーぶんだよ」
ウェルテルは身振り手振りを交え、何があったどこが楽しかったと声を弾ませながらまくし立てる。そんな年相応の幼さを見せるウェルテルに、シンシアも微笑ましげに頬を緩めた。
シンシアの表情に、話し終えて満足し机に伏せていたウェルテルがむくりと起き上がり彼の瞳をじっと覗き込んだ。意図をはかりかねたシンシアがどうしたのかと尋ねれば、ウェルテルはにんまりと笑顔を浮かべる。
「ウェルテルちゃんは知ってるぞ〜?シンシアもデートしたんでしょ!ハイルと!」
「デッ…!いや、…ハハ……」
「シンシア照れてる〜!いいよいいよ、じゃあお仕事ってことにしよ!そういうことにしよ!なんかあった〜?どこ行った?」
笑顔のウェルテルから飛び出した言葉に思わず動揺し、下手な愛想笑いを見せてしまった。五つも歳若い少女にからかわれているのはシンシアとしても不服だが、言及したところで墓穴を掘ってしまうような気がしてここは堪えることにした。軽く咳払いをして口を開く。
第十一話: テキスト
「俺らはまいにちってとこ行きました。オレンジ色の屋根した一軒家が沢山並んでて結構綺麗でしたよ!ただ……」

第十一話: 画像
「なに?」
「うーん、聞き間違いかと思ってたんすけど、ハルちゃんも聞いたって言ってたんで。どの家からも物音とか話し声とかがしてて……でも窓際のカーテンに影とかは見えないんすよ。俺ちゃん聞きなれない音結構あったんすけど、ハルちゃんは心当たりあるのもあったみたいで。掃除機?とか料理?とか言ってました。」
「え、生活音じゃんそれ……暮らしてる誰かがいるってこと……?」
「そう!それ確かめようと思って家入ろうとしました」
「ちょ、危なくない!?危機感無いってシンシア〜……!」
「俺ちゃん運動神経いいんで大丈夫っす!もちろんハルちゃんには離れててもらいましたし……じゃなくて、入ろうとはしたんすけど入れなかったんすよ。扉、ビクともしませんでした」
「良かった〜こわ〜……」
第十一話: テキスト
「でも何がいるか、そもそもいるかどうかすら分かんないのも怖くないっすか?」

第十一話: 画像
「やめてやめて!終わろ!この話終わり!やめー!!」
「あっはは!やめましょやめましょ」
恐ろしさを誤魔化すように声を張り上げたウェルテルに、シンシアは笑い声を響かせた。食堂はたった二人でも賑やかで、ゆったりとした時間が流れている。そのまま話し込んでいれば、知らぬ間に廊下の照明は夜に切り替わっていたようだ。二人がそれに気がつくのは、もうしばらく後だろう。
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《____シアターにて》
ディスクを発見して、奇怪な現象の当事者になって、不安げにヘデラを振り向いたローレを連れて船に戻ったのはついさっき。ヘデラは今、シアターにいる。
おもいでからアハルディア47への帰路、話を聞けばやはりローレもディスクを発見した経験があったようだ。ほんの少しも中身を知らないまま観た経験も。ローレの眉間に寄せられた皺と一歩一歩重い足取りから、それが決して良い経験でなかったことは容易に想像できた。
ヘデラがディスクについて知っているのは、彼の親友の件のみ。そしてヘデラは、ディスクを観ることに対してさほど否定的ではなかった。
彼の脳は相も変わらず映像は映像でしかないと捉えており、上映されたそれが共に過ごしてきた船員の過去であるという実感に至る回路は未だ構築されていなかった。無感情なようだが、ヘデラにとってはもしこれが自分のものであれど人のものであれど、ただ、酷い出来の映像が目の前で再生されるに過ぎない。
誰にどんな過去があれど、ヘデラが知っているのは間違いなくアハルディア47で共に過ごしてきた船員たちである。映像などに囚われず、その事実に基づいて彼らと関わることに変わりはないと、ヘデラは既に割り切っていた。そしてそれは、ヘデラ自身の、自分への評価においても同様だった。
また、ルークが言っていたように、知らない自分がいるかもしれないという疑念は自身の内に不安を呼び起こす。身体の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような、そんな気持ち悪さが常に思考がまとわりつく。その不快感を今後も抱え続けることと、映像を観た末襲われるであろう後味の悪さとを比較して、ヘデラが選んだのは後者だった。
ルークによれば、不思議なことだが、内容はディスクを発見した船員たちの誰かのものであることが多いという。今回これを発見したのはヘデラとローレで、その法則に則れば二人のどちらかのものだろうと予測がついた。
ローレがディスクそのものに対して悪印象やトラウマのようなものを抱えているのは明白で、ならば、どちらの物であろうと無理をさせてまで付き合わせない方が良いとヘデラは判断した。だからといって、ディスクの存在を知っているかも分からない誰かを誘うのも余計な手間だ。
だからヘデラは、ローレを部屋へ送り届けたその足のままシアターへ向かい、今、一人で再生機器を前にしている。
「……」
いくら映像と現実を分けて考えられるとはいえ、自身、あるいは恋人の胸糞悪い映像を観るには覚悟が必要だった。じっと、手元のディスクを見つめる。
「……よし」
ぽつりと小さく口にした覚悟は、広いシアターに吸い込まれて消えた。
準備は整った。覚悟も決めた。
どんな物語が紡がれたとてそれは所詮物語なのだと、自らの知るその人とは別人だと、ヘデラは自身の考えを確認するように反芻する。
そして、指先に力を込めた。
……映像が始まる。
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____開演____
【××の偏執】
手に届くくらいの、ほんの狭い世界。
そこが俺にとって完璧ならほかがどうだって構わなかった。
これほど慎ましやかな願いすら叶わないだなんて、この世界はどうかしている。
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ああそうだよ、その通りだ。
俺のことよく分かってるじゃん。さすが親友。
ふふ、俺の家族、みんな人として尊敬出来るって言うか、俺の憧れって言うか。あの子……大事な恋人と、将来あんな仲の良い夫婦になって、暖かい家庭なんて築けたら…とか、やっぱり思うよ。
……おーい、何目逸らしてるんだ。そりゃあクサいこと言ってる自覚はあるけど、聞いてるあんたがそうやって照れるから俺まで恥ずかしくなってくるよ、いつも。
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俺の頭脳は、おそらく幾分か優秀だった。感情に囚われず、主観で視野を狭めることなく、多角的に物事を捉えることが出来る。客観的に見ることができる、冷静に考えることができ、それに基づいて物事を評価できる。それが俺の長所だ。
狭い町において、人間関係に恵まれていることも幸せでいられる一因に違いなかった。気立ての良い恋人に、賑やかな親友。それに、なんといっても俺には愛する家族がいた。
母は優しく、変わらぬ美貌を携えた。それは家族のために美しくあろうとするいじらしい母親の姿で、誰にも見せない涙ぐましい努力が影にある。
賢くも驕らず優秀で、努力を欠かさない兄。少しだけ身体が弱いらしく、父が懸命に治療を続けてくれていて現在も入院している。俺の憧れの存在。入院中もその勤勉さ故に学業に励んでいるはずだ。学者になろうと交わした約束を果たそうとしてくれているのだろう。そう思うと、胸の辺りがじわりと暖まる心地がした。
大病院の院長という威厳のある立場である父は、医師である前に父なのだ。だから家族は愛しているし、今日も俺たちのために働き、身を削ってくれている。父の思いに報いねばと、今日も俺は机に向かっている。
第十一話: テキスト
母は、兄は、父は俺の自慢の家族だ。
ね、俺の家族は素晴らしいだろ?あんたもそう思うよな?

第十一話: 画像
「悪いとは思ってる。言い訳なんてするつもりねえって。違うんだよ【シレネ】、……お前は間違ってるんだよ。いつも。」
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子供思いで優しく、美しい母は、専業主婦として家庭を守り、家族の見送りを欠かさない。帰宅する頃には家事はすべて完璧にこなされており、自宅は常に居心地のいい空間に保たれていた。料理は少々苦手なようで、味付けが日によりけりな、お茶目な人。家庭を明るく照らしてくれる存在。
俺はそんな母のことを愛していた。もちろん家族として。
尊敬できる人物だと、心の底から思っていた。そう評価していた。
…
子供思いで、美しい。優しくしておくと何かと都合が良いから、愛想は良くするに限る。笑顔で家族を見送ってしまえばあとは自由時間で、お金は腐るほどあるんだから家事代行を依頼して、料理はカレシに任せていた。空いた時間で美貌を磨き、いつまでも、誰にでも愛される自分を演出した。
だって、楽しいんだもの。
美しくあろうとすること、愛されたいと思うことの何が悪いの?
あなたが、私のことを勘違いしてただけよ。
「あらシレネ、ごめんなさいね。言ってなかったかしら、貴方のお父さんがあの人じゃないのは確かなんだけど、誰だったかまでは……ま、貴方が私たちの愛する息子であることに変わりはないわ!安心してね。」
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賢く優秀な兄は努力家で、俺の憧れの人だ。病魔に襲われながらも勉学に励んでいるという話はいつ耳にしてもその生真面目さに笑ってしまうが、俺も頑張らなくちゃならないなとモチベーションを高めてくれるものでもある。ここしばらく体調が思わしくないようで、面会出来ていない。残念だ。したい話は山ほどあるが、ここは兄のためにも我慢して次の機会まで溜めておくことにしよう。きっと楽しんでくれるはずだ。
俺と兄の趣味嗜好はよく似ていた。だから一緒に学者になろうなんて約束をバカ真面目に受け止めて、俺も頑張れているのだ。誠実さと努力で不可能を可能にしてしまう兄を、心の底から慕っていた。
兄は、あんな、男に媚びを売って生きる気持ちの悪い女とは違う。
母とは違って裏切らない。兄は約束を果たして、憧れのまま、理想のままでいてくれる。
……
「あれ?病院の息子って二人いなかったっけ。アイツ、シレネともう一人……え!?死んだの!?嘘、知らなかった。アイツいっつも得意げに語ってくるからさ、『兄さん』の自慢話。え、じゃあ何、シレネ幻覚見えてんの?え、教えてもらえてないの!?うっわキツ!そんだけ期待されてないのかな〜……ちゃんと別れよっかな、そろそろ……。さすが親友(笑)、よく知ってるね。いつもありがと、大好きだよ。……あなたが一番に決まってるじゃん!あんな奴家柄無かったらなーんもないし、思い込み激しすぎて面倒だし、告白されたから付き合ってみただけだよ。アイツが許してくれればすぐにでも別れるんだけど…ごめんね……。え〜ほんとほんと、別れ話してるよ!全然許してくれなくて……ほんとだよ?ねーえ、信じてってば」
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知らず知らず、俺の世界は傾いていた。誰も彼も、目先の欲に目が眩むゴミだった。何か、気がついてしまう度に頭痛がした。次々と露わになる不愉快な事実に膝を揺すり、顎に手を当て深く溜息をこぼす。
なあ、失望させないでくれよ。なんで俺の言った通りにしないんだよ。
第十一話: テキスト
なあ、なあ、なあ、みんな。俺を裏切らないでくれよ。

第十一話: 画像
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町一番の大病院、その院長を勤める父は厳格で、いつも忙しなく働いている。それはきっと俺たち家族のためで、世のためでもあるのかと思うと父の立派さを改めて実感した。父を慕う者も多く、世界に必要とされる素晴らしい人間だ。なあ、そうだよな。父さん。
………
町一番の大病院、その院長に上り詰めたのは紛れもなく自身の実力だった。金を賢く遣うことも実力のうちだから。
世の中、金さえあれば万事上手くいく。必要なのは信頼やら知識やら実体のないしょうもないものではなく、金。生きていくにはどうにもこうにも金がかかるのだ。しかも家族を養うとなれば尚更。だから、家族を守るために家族以外を陥れるのも、弱味を握ってお気持ちを頂くのも、やけに割のいい仕事に手を出すのも、みんな仕方がないことだ。家族を守るためなんだから、仕方がない。
「お前たち家族のためなんだ。なあ、わかってくれるよな。シレネ。」
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がらがらと足場が、世界が崩れ落ちたような心地だった。
母、兄、恋人、親友、父、俺の大切な人たちは、全員俺のことを手酷く裏切った。俺は信じていたのに。
優しく家族思いな母を、
勤勉で約束を果たす兄を、
愛してくれる恋人を、
隠し事なく笑い合える親友を、
尊敬出来る立派な父を。
俺はいつだって信じていたのに、奴らは揃いも揃ってその思いを踏みにじった。どうやら、俺の大切な人たちはみな知らぬ間に死んでしまったらしい。俺は狭い狭い完璧で理想的な世界に一人、取り残されてしまったらしい。
ああ、酷い。酷いな、みんな。
第十一話: テキスト
なんて可哀想な、俺は間違いなく被害者だ。

第十一話: 画像
【シレネの偏執】
____終演____
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目の前のスクリーンはただの幕に戻り、彼一人のための上映は終了した。シアター内部に、じわりじわりと明かりが灯る。
上映を終えたにも関わらず、彼の目はスクリーンを捉え続けていた。否、何も目には入っていないのだろう。何も無い一点を、感情が抜け落ちたような瞳でじっと見つめ、口元に手を添えて、彼は冷静に思考した。
____あんなこともあったような気がする。いや、映っていたのは紛れもなく自分であったが、ヘデラではなかった。今ここにいるのはヘデラで、かの少年……シレネではない。別人の独りよがりな転落劇を見たところでヘデラにはさほどショックも無く、ただ映像内の身勝手極まりない男に絶句したのみだった。
映像を見た前後で、ヘデラの考えに変化は無い。自分が知る自分、つまりヘデラであることの自覚を持ち、その事実を変わらず信じている。
今更シレネの記憶を目の当たりにしたところで、恐らくここで形成されたであろうこの人格はまるで影響を受けなかった。と、ヘデラは自身のことを分析した。
映像を見ている最中そして上映後の今だって、ヘデラは、案の定後味の悪い三流映画だったな、というような"感想"を抱いたのみでやはり実感は伴わない。
映像内の自分は周囲に理想を押し付け、日常生活でも端々に見せていた彼らの本性を知っては勝手に失望して、それを繰り返し自ら孤立した自業自得も甚だしいような男で、被害妄想に囚われた哀れな男だった。ヘデラは、自分が経験したはずのことであるにも関わらず、ああはなりたくないな、とそう感じたのだ。
あいつの何が悪かったのかと問われれば、思い込みと過度な期待、綺麗な物しか見ようとも理解しようともしない都合のいい瞳と脳だろう。……誰も信用しなければ、というよりも希望を持って接したりしなければ、シレネはああして裏切られることはなかった。
ならば、彼のようにはなりたくないと考えるヘデラがどんな行動を取るべきかなど言うまでもない。
たった今かつての失敗を目の当たりにしたヘデラにとって、映像は何やら失敗を回避するための天啓のようにも思われた。
ああなりたくないという思いが時間を追うごとに段々と強くなっていくヘデラにとって、裏切られたくなければそもそも関わらなければいいのだという考えは非常に魅力的なように思われた。
……ああはなりたくないとこれ程までに忌避するのは、無意識下の防衛本能なのかもしれない。いくら身勝手だとしても、シレネは本当に大切な人たちのことを信じていて、裏切られ、傷ついたのだ。同一人物であるヘデラの心は自覚無くともそれを理解し、二の舞を避けようと、今度こそ心を守ろうとシレネの失敗を嫌悪した。
ヘデラしかいないシアターは静まり返り、何の音もない。
ふと視界に意識を戻せば、シアター内部は既に上映前のように明るく照らされている。ああそうか、とっくに見終えたんだ。
「そうだ、俺はようやくあの忌まわしい記憶を取り戻した。」
?
シアター内に反響した、よく知る、耳馴染みのある声に咄嗟に振り返るが、ここにいるのは当然ヘデラだけだ。映像の影響だろうか、シアター内の高度な音響設備により一時的に耳がおかしくなってしまったのかもしれない。幻聴が聞こえるなんてきっとそうだ。そうに違いない。
念には念をと再度辺りを見回して、やはり異常がないことに首を傾げたヘデラは、そのままシアターを後にした。
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第十一話: テキスト
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