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第十一話
第十一話: ⑨
《____はじまりにて》
降り立ったばかりで情報は十分とは言えないが、船員が抱く現時点でのN▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲへの印象は概ね良好だった。晴れ晴れとした気候に豊かな色彩、橋や建物のつくりだってまともで、さらに道の整備までされている。そんな誰にとっても美しい風景の中を、見る限りは果てのない青空の下を、のびのびと歩き回れる経験は彼らにとっては目新しいものだった。
しはつ、その出口から続く橋の石畳を踏みしめ、ご機嫌に大きく腕を振って歩くのはペスタだ。ラズも、そんなペスタの真似をして歩いていた。
「こーんな天気がいいなんて、探索向きな場所ですね!僕もうワックワクしてます!」
「ふふ、ペスタのことも誘って良かったです。3人!で!お出かけ!嬉しいです!ね、メルト!」
「ん〜?あは、そうだなあ。俺もなかなかたのしーよ」
ラズが振り返って声をかければ、聞き慣れたものよりも間延びした声が返ってくる。メルトダウンの眉間に皺はなく、彼もまたにこにこと笑って二人の後に続いていた。
メルトダウンの様子にラズはわずかに顔を顰め、数歩前を鼻歌交じりに進んでいるペスタに駆け寄った。指先で控えめに彼女の肩を叩き、ペスタの耳に届くよう体を屈めて声をかける。もちろん、口元には手を添えて。これは内緒話なのだ。
「……やっぱりメルト、変…ですよね?いえ、ご機嫌なのはいいことですが……」
第十一話: テキスト
「普段ならこう、『これは業務だ!お遊びじゃないんだぞ!ったく……』みたいな。」

第十一話: 画像
「あはは!全っ然似てないですね!うーん、僕もそう思います……みんなが期限通りに書類出した〜とか、良いことあったんですかね!?でもなんだか、機嫌がいいというよりは様子がおかしい……ような?はぁー、分かりません!」
ぴえん、とお決まりの泣き真似をしたペスタは、直後ころりと表情を変える。背後で橋の下を眺めるメルトダウンを一度見遣り、再びラズに向き直ると笑顔で告げた。
「ま、そのうち元に戻りますよ!あんなメルトダウンさん、なかなか見れませんし。楽しんじゃいましょ!」
楽観的なペスタはその一言を境に、歌詞の曖昧な、鼻歌にしては大きなそれと共に歩みを再開する。残されたラズは不服そうに口を尖らせながらも、ペスタの小さな背を追った。
橋を渡り、三人は既に視界に捉えていた建物に辿り着いた。建物の内部と外を隔てる扉は透明であるように見えるものの、どうにも中の様子は窺えない。不思議な入口らしい。
船員の姿を認識したのか、音もなく扉が開く。所謂自動ドアのようだ。三人は招かれるままに建物へと足を踏み入れた。
内部は実に単純な構造だった。まっすぐ、欠片の奥へと続くだだっ広い通路のようで、対面には既に入口と同様のつくりをした出口が見えている。ただのトンネルのようで、廊下のようだった。
「お?どこかで嗅いだことある匂いですね!んーと、どこでしたっけ……メルトダウンさん分かります?」
「これは〜、消毒液かな。医務室じゃね?」
「医務室!なるほど〜、言われるとそんな気がしてきますね!!」
白とピンクでまとめられた清潔感のある空間には消毒液の匂いが立ち込めており、メルトダウンの言うように彼らの知る医務室の様子とよく似ていた。
二人が匂いについて話している間、ラズは通路の両脇にある窓へと目を向けていた。通路の端から端まで続く窓の奥には彼には見覚えのない何かがあるようだ。手招きしながら、傍にいる友人の名を呼ぶ。
「メルトメルト、これは分かりますか?」
「あー?……ん〜俺、病院とかあんま縁無かったんだよ。なーんだっけなあ、ああほら、ガキ育てるやつだよ。えーっと……保育器だっけ」
「ほいくき」
「知らねーわな!はは!俺も知らねーっ!」
「メルト……間違えてお酒でも……?まっすぐ歩けますか?ラズの手貸しますか?」
「んふ、借りちゃおっかな〜介護してもらおっかな〜……嘘嘘、本気にすんなって」
「ううん…やっぱりなんだか……前はすぐに断ってましたよね?よっぽどご機嫌なんですね……?」
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ラズが指し示していた先……両側の窓の奥には、空の保育器が規則正しく二列に並んでいた。

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コードや複雑な機器は取り付けられておらず、それ本来の役目を果たすことは難しいだろう。窓の奥に入ることが出来そうな扉や入口は無く、展示されているかのような印象さえ受ける空間だった。
通路の端から端までただ並ぶそれが一体何を示唆しているのか。そもそも保育器が何であるのか、そんなことは船員には不要な知識であり、彼らがそれに対して十分な理解を成し得ることはなかった。
一足先に出口に辿り着いたらしいペスタが大声で二人を呼ぶ。相変わらず向こう側が見通せない透明なはずの自動ドアが開いた途端、待ち切れないと言わんばかりにペスタが外へ駆け出した。扉が閉まって彼女を見失う前に自分達も建物を出てしまおうと、並ぶ保育器を後目に二人も出口へと向かっていった。
新しい世界の欠片、ここはそのほんの入り口で、ただのはじまりに過ぎないのだ。奥へ奥へと、探索という大義名分を掲げて三人は歩き始めた。
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《____わんぱくにて》
幻だ、なんて現実逃避でしかないことはとっくに理解していた。あまりに弱く無力な自分を憎み、悔やみ、抱え込んだ膝を濡らしたのは彼女の記憶に新しい。自分の行動が引き金になってしまったのは紛れもない事実で、こんな自分はいっそのこと何の行動も起こさない方が、余計なことを考えない方が良いのかもしれない、とも思った。
けれどそれでは変われない。
もっと素直に愛すべきだったと、自分は彼に愛されて幸せだったのだと、手遅れにも程があるようなタイミングで彼への……執六鮫への想いを自覚してしまった。自身の意識していたそれよりも、募る想いが意外な程に大きかったことを、トロイは自覚してしまったのだ。
もう彼の気持ちが自分に向くことが無いとしても、それでも、素直に愛せばよかっただなんて醜い後悔は二度と味わいたくなかった。叶うのならば、彼の愛する家族の元へと、彼の愛する妹と共に笑って帰ってほしい。それがきっと最善だ。彼らのために出来ることがあるのなら何だってしてやろうと、そう思えてしまうほどにトロイは二人を愛していた。
一生分の苦痛を強いられた、そしてその上で生き延びた彼らの未来は明るいものであってほしい。そこに自分は居なくたって、トロイはまったく構わなかった。
どうせ空回るのなら、盛大に空回ってしまえ。柄じゃないだとかちっぽけな恥や外聞を気にして、そうして行動を起こせず後悔したのは自分自身だ。
幸い、新しい欠片に到着し、切り替えるきっかけにも恵まれている。二人も目を覚ましてもう問題なく動けるらしい。心機一転、やってやろうと腹を括り朝礼へ挑んだのが今回だった。
____しかし結果から言えば、今、どういう訳かトロイは二人を尾行している。
映像を観て以来、二人の姿を確認するのは初めてだった。朝礼でその姿を見るにあたって、悲嘆に暮れているかもしれない、苦痛に顔を歪めているかもしれない、彼らの眩しい笑顔は失われてしまったかもしれないと様々な想像をした。そして、ようやく意を決して二人へ目を向けた。そこには、全くもっていつも通りの鮫と翠がいた。
喜ばしいことであるが、正直なところ、トロイにとっては拍子抜けだった。いつも通りよりかは距離が近いだとか、鮫が構い倒しているだとか、翠がどう接するべきか困っているように見えるだとか、相違点はあったが視線の先で繰り広げられるやり取りは彼女の想像とはまるで違っていた。
意気込みから既に空回っていたのかとトロイははたはた自分に呆れ返ったが、そこで引いては以前のままだ。自分は行動しようと決めたのだ、と二人に声をかけようとするが、思うように体は動いてくれなかった。決意を固めることと実際に行動を取ることとはまた別で、トロイは変わらずトロイのままで、別人になった訳では無い。そう簡単に行動を変えることなど出来なかった。
どうしたって勇気が出ず、けれど彼らの自力で立ち直る強さを目の当たりにして自分もそうなりたいと考え、それでもやっぱりトロイはトロイのままで。そんな葛藤を繰り返し、声がかけられないままに一定の距離を保って行動を共にしている。つまり、尾行していた。
第十一話: テキスト