top of page
第九話: ⑨
この欠片は、軽い気持ちで内部に立ち入るべきではない。あれほど明らかに連なっているとそちらにばかり目が向くのも納得出来るが、視野が狭くては得られる情報も少ないのだ。
船を降り、建物の方へ向かう。数人が建物に入って行くのを見届けると、方向を変え建物に沿うようにして歩みを進めた。
【あなたたちは、ぐるりと世界の欠片を一周することにしました。】
絶え間なく立ち並ぶ建物は合間に有刺鉄線を挟みながらも、内部に踏み入れさせる、あるいは脱出させる気はさらさら無いといった風貌で佇んでいる。有刺鉄線はこじ開けられた跡があるものも見られたが、内部に入ってしまうのは目的から逸れてしまう。深く考えることを避け、それらを横目に足を進めた。
やはり船員はチイサナタテモノ、その周辺までしか進んでいないらしい。ここからは誰も訪れていない区域だ。
ただのひとつも足跡がない、眩しいばかりの雪が視界を埋めていた。
ざく、ざくと小気味よい音とともに歩き続けるが、大した変化は見られない。やはりこの欠片は内部に重要な物があるのかと自身の選択を疑い始めたところで、ようやくアハルディア47の停泊位置から真逆、反対側へと辿り着いた。
……足跡は無い。同じことを考え反対回りでここまで来た者がいることも予測していたが、考えすぎだったようだ。
足跡は、ないが。
よく知っているような、全く知らない、何かがある。
雪はそれを避けて積もっている、というよりも積もっていた雪に突っ込んだかのようで、それに雪が積もっている様子はない。世界の欠片に何があってもおかしくないとは耳にタコができるほど聞かされた話だが、あまりにも異質、異様。内部に立ち並ぶ建物とはまるで違う、この欠片の一部としては見合わないそれをただ呆然と見上げることしか出来なかった。
____どうやら、この船は、中に入ることが出来そうだ。
【探索箇所解放:▆▁▆▆▁▄┫▆◆▆】
▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁
見知らぬ船。危険があるかもしれないと考えながらもどこか心が躍っているらしく、彼の足取りは軽かった。近頃仲が悪かった二人が共に行動していることに、また、自身の最愛と行動を共に出来ることに、満足気な表情を浮かべてラズは前を歩いている。
後ろを歩く二人はぽつぽつと話してはいるものの、やれ天気がどうだとかやれ雪がどうだとか、彼女らの交わす手探りの雑談はどうにも気まずい。ラズかシャルルが声をかければ安心したような顔をして話しはじめるのだから、助け舟を出さずにはいられなかった。
どこかぎこちない二人の仲が良い方向に転べばよいと、そのためには自分の好奇心を満たすために事情を聞き出すなどしてはならないだろうと、事情を聞きたい気持ちを堪えてラズは努めていつも通りに振舞っていた。
四人は、立ち入ることに決めた、どこか覚えがあるような風貌の船を見上げる。船はどれもこうした構造なのかと無理矢理納得することが出来るほど能天気であれば良かったが、現実はそうではない。
甲板の一部に堂々とそびえ立つ、重く大きな扉を眺める。わずかな寒気と期待を背負い、アハルディア47によく似た何かに向けて一歩踏み出した。
強い衝撃にでも襲われたのか、内部はどこも荒れている。軽く首を回し視線を巡らせれば、所々が破損しているこの船には瓦礫に閉ざされている通路や部屋もあることが見て取れた。また、どうやらここは3階層に分かれているようだ。
▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁ ▁ _ _
第九話: テキスト
《____個室にて》
ヘデラの頭脳は優秀だ。感情に囚われず、主観で視野を狭めることなく、多角的に物事を捉えることが出来る。客観的に見ることができる、冷静に考えられる。それ故に、ありえない事態を前にすると感情に先行して、感情が追いつくよりも前に"ありえないもの"と処理してしまうのが彼の脳だった。
それは初めて直面する、目の前で繰り広げられた"物語"に対しても同様に働いた。彼はまるで現実感の無いシアターでの出来事を、語られた親友の人生を、未だ現実とは思えないでいる。それでも、映像を見た直後、映像から目を逸らし思考を放棄したあの時よりは頭が冷えている。
この部屋で唯一寝転がることが出来るほどのスペースを有する自身のベッドに横たわりヘデラは考えていた。
彼は、逃げることなく向き合い、受け取った事実を整理して、自分の気持ちと客観的な視点から得た解釈との折り合いをつけようとしている。
申し訳ないことをしたと、その気持ちに間違いはない。
半ば追い詰める形で悩みを吐かせたのも、彼の過去、らしいその映像で何かを思い出させてしまったようであったのも、切っ掛けは自分で言い出したのも自分だ。
しかしどうだろうか。映像を見ると実際に決断したのは話し合いの末であるし、ルークは自分の映像ならば見たいと言っていた。ようやく悩みを分かち合えたのにひとりで再び抱えさせることにならなかったのはよかっただろうと、冷静な彼は考えている。
悪いことばかりではなかったのではないか。もしもルークひとりで過去を見たとしたら、誰にも共有出来なかったとしたら、それは不幸なのではないか。無知のままに、ひとりで抱え込む傾向にあるルークに無遠慮に声を掛ける自身の姿を想像し、眉を顰めた。何も知らず能天気に上辺だけの関係で親友を語る未来が無いことはお互いにとって救いだろう。
幸い自分は、ルークの過去、らしいものを知った。
分かち合える、支えになれる、今度はその資格がある。
ヘデラは受け入れられていない。現実とは思えない、同一人物とも思えていない。だがそれは彼の冷静な脳の話で、ヘデラの意思はルークを、ノアを受け入れようと努力していた。 誰も知らないノア・キールを、自分までもが否定することの無いように。
始業を迎えたら、彼は目を合わせてくれるだろうか。
逸らされた視線を思い返して目を伏せる。
足繁く部屋を訪れられるほど、干渉されたくはないだろう。目を逸らした彼には、きっと噛み砕く時間が必要だ。だけれど、潰れてしまいそうになったとき、いつだって手を差し伸べられる存在でいよう。味方でいよう。過去がどうだとか分からないけれど、船で出会ったのかも知らないけれど、ここに味方がいるのだと知ってもらえたら何より良い。
生きたいと願ってくれれば、何より良いのだ。
思いを固めて心が安らいだのか、次第に意識が沈んでいく。そっと目を閉じれば、知らぬ間に眠りに落ちていた。
現実感が無い。実感が湧かない。へデラの感情を伴わない分析は楽観的なようにも思われるが、決して悪いことではない。
受け止めきれずに、支えるべき立場である人間もまた心を痩せ細らせてしまうくらいならば、傍にたった一人でも事情を知る誰かがいた方がずっと良い。当事者だって救われる。特に彼の親友は、世界の全てを信じられず、自身の生まれ育った環境故に行動を起こすことも出来ず、孤立し、一人死にゆこうとしていた。考えはするものの行動には起こせず、そうしてぐるぐる考えては重荷に耐える。きっと、誰の助けも無ければ同じ道を辿るか、潰れてしまうのがルークだった。
その意味で、へデラの定めた指針は正しかった。
現に、ルークはひとり、考えている。自身の個室で膝を抱えて瞳に影を落として犯して来た罪を数えている。こんな罪を背負った自分がヘデラや翠、船のみんなと共にいても良いものか。……許されないだろう、と、膝に顔を埋めた。
ルークは翠の過去を知っている。そして自分が彼らを売り飛ばす側の人間であったことも、似たような真似をして生きてきたことも、知ってしまっている。……翠がそれを知らずとも、ルークはこれまで通りに接することなど出来ようはずもなかった。
鮫と翠を残してシアターを去ったあと、ずっと医務室で眠っていると聞く翠に、夜中のうちに会いに行くことにした。翠が目を覚ましてしまえば僕は翠を避けてしまう。もし落ち着いた彼女にまでも拒絶されてしまえば、僕らの関係は崩れてしまう。翠の拒絶の言葉と自身の過去とを思い返して、ルークはそう考えた。
だから、今のうちに。狡猾で卑怯な逃げの手だ。
それでも、一目だけでも、一言だけでも、伝えたかった。
医務室を訪れればなぜだか扉が開いたままになっている。明かりは落ちていて、薄らとした廊下の白い光が医務室に射し込んでいた。不信感とともに内部に踏み入れば、酷く荒らされた室内が目に入った。何かが起きたことには間違いない。ルークはわずかに険しい顔をしたものの、彼の目的はそこではない。自身のことでいっぱいいっぱいなのに、医務室で何が起きたかなんて考えようもなかった。特段気に留めることもなくベッドへ向かい、静かに眠る翠に目を落とす。暗い室内でその表情は窺えない。数秒ののち、彼はベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
第九話: テキスト
そうして指先で翠の頬に触れ、告げる。

第九話: 画像
「僕はもう、君と一緒に居られない。眩しい君の傍にいる権利はない。」
「だからごめん、……今伝えるのは、狡いけど。」
第九話: テキスト
「……好きだよ、スー。」
