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第二話
第二話: ②
《____管制室にて》
船長は指示……もとい、頼み事を終えると足早に管制室を後にした。
残された船員たちは、普段とまるで違う状況に行動を起こせないでいる。無理もない、彼らはアハルディア47の外を知らないのだから。
そんな中一人が声を上げた。シンシアだ。
「んー、ゴホン。みんな!よく分っかんないなーとかあると思うんすけど、……俺だって思うし。でも今はこんなとこいたって何にもなりません。切り替えて部品探しに行きませんかね?」
「それにこんな場所来たことないじゃないすか。こんな機会もうないっすよ?未知の世界、ワクワクしません?ね、外行きましょうよ!」
楽観的だ、いつもへらへらしてる。そんな風に揶揄されてしまうことも多いシンシアだが、こうしておどけてみせて場の空気を和らげるのはいつも彼だ。本人に意図があってそのように振舞っているのかは不明だが、今のように皆が一抹の不安を抱えている場面ではそんな彼が心強い。
確かに、考えてみればこれはチャンスだ。
同じような業務をこなし続けて来た。それに疑問や不満を抱いたことも無かった。そんな日常から抜け出せる唯一のチャンス、いわば息抜きのようなもの。そう捉えれば、世界に出るのも悪くない。
「そういう訳で、おれちゃん先行きますね。楽しみなんで!」
シンシアは一通り皆に提案を終えると、早々に船を下りていった。シャルルがそれに続く。
「んじゃ、俺も行くかな。みんなは行かねぇのか?」
先陣を切り下りていく2人。見守る立場となることも多い彼らだが、こうして皆が身動きをとれず足踏みしている際には、率先して行動することができる。皆が行動を起こすきっかけとなれる。紛れもなく、彼らは頼れる「大人」だった。非常事態を何ともせずに、やるべきことをやる。できればそれを楽しんで。
大人たちのお手本に倣うようにして、船員たちは次々と船を下りていった。
下船していく船員たちとは対照的に、ハイルはその場に留まり何かを思案している。
「……?ハイル、行こ?」
エマが首を傾げ、ハイルの顔を覗き込んだ。
「うん、でもちょっとだけ。エマは先に行っててくれる?私、船長さんが心配だ。」
終業後、動力室の確認を終えた船長はエスペランサに労いの言葉をかけ個室に帰したが、自身はひとり残ってそのまま作業をしていたらしい。足早に去ったのも、一刻も早く作業を再開し船を修復するためだろう。その顔に疲労の色はうかがえなかったが、恐らくほとんど休んでいない。
……それに気づいている船員は多くない。しかし、ハイルは一目見たその時から勘づいていた。
船員の体調管理は私の仕事だ。みんながいつも通りできない……日常業務が無い今こそ、私はいつも通りに自分の仕事を果たさなきゃ。
何が起きて何に巻き込まれているのか。ハイルには分からないことばかりだが、それでも彼女が船長を慕っていることに変わりはない。
不自然な行動だとしても、船長さんがそうしたのにはきっと何か意味がある。
ハイルはエマに一声かけ、とっくに見えなくなってしまった船長の背を追った。
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《____船周辺にて》
真っ先に船を降りたシンシアは、そのまま船の周囲を見回していた。
何よりも印象深いのは、赤。高く高く頭上に広がっている赤だった。
「……」
シンシアが思い浮かべたのは、いつか本で読んだ"地獄"というもの。本能的に嫌悪感を覚えた彼は、躊躇っていた。意気揚々と飛び出したはいいが、このまま世界の欠片の奥へ進んでいいものか。
「……外から見た欠片はあんなに綺麗だったのに、いざ降り立つとこうも別物に感じるものなんすね。」
ぽつりと呟く。
そのまま辺りをぐるりと見回していると、船の裏に人影があった。
相手はシンシアに気がついていないらしい。熱心に何かを眺めている。
「ルルくん?」
「ん?ああ、シンシア。さっすが、いい演説だったなァ」
「ワハハ!そりゃどうも!」
シンシアが近づいていけば、その人物……シャルルはそちらを振り返ってからかうように声をかけた。聞く人が聞けば皮肉ともとれる大袈裟な祝辞も、二人の仲を前にすればただの挨拶だ。シンシアも冗談とわかっていて笑って受け入れている。二人の間に流れる空気は穏やかで心地良い。
「何してたんすか、そんなん見て。」
「いや、これ使ってんの見たことないから変な気分でさ。 ……まさかこいつを使う時が来るなんてな。」
シャルルの視線の先にあるのは錨。何かの器具を使って下ろしたのだろう、人間の力で動かせる代物ではなさそうだ。その証拠に、錨の先端は地面を抉っていた。
「ふは、多分ラズよりもでかいな」
錨を撫でる。
そんなシャルルを見てシンシアは笑う。
____親友が幸せそうで、何よりだ。
シンシアが抱えていた、世界の欠片を進むことへの躊躇いなどはとうに消え失せ、今は好奇心に満たされている。何を躊躇うことがあるのか。眼前に広がるのは非日常だが、いつだって日常は隣にいる。
「さあルルくん、いつまでも錨見てたってつまんないっすよ!もっと奥行きましょ!」
「そうだな、行くか。」
二人は前進する。
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《____動力室にて》
「船長さん」
「あれ、ハイル!どうしてここに?」
「船長さんさ、全然休んでないでしょ。私にはお見通しだよ。」
機械に向き合い何やら難しい顔をしていた船長に入口から呼びかける。日頃のルールに則って動力室に立ち入ることはしない。そう定められているのは、繊細な機器が多いから。しかし、動力室も今となっては瓦礫部屋、規則は意味を失っているのだろう。それでもハイルは努めて日常を保っていた。壊れてしまわないように、大事に、大事に。
「うーん……ハイルには敵わないな……さすがの観察眼だね。頼りになるなあ」
「エヘヘ……嬉しいな。でも褒めたって見逃したりしないからね。」
「いやー手厳しいな!そんなつもりないよ、お世辞でもないし。」
ハイルは、入口まで出てきた船長の腕を小ぶりな両手でがっちり掴んでいる。頬を綻ばせながらも、離そうという気概は感じられない。
普段は控えめで大人びた彼女だが、船長には気兼ねなく接することが出来るらしい。
「……休まなきゃだめだよ。船長さんだって人間なんだから、いつか限界が来ちゃう。」
「でも今こそ船長である僕が働くべきじゃない?いつもみんなに助けられてばかりだし、こんな時くらい……」
ふっと、ハイルの手から力が抜ける。
「…………心配してるんだよ、私。なんでこの世界の欠片に来ようと思ったのか……分からないけど、船長さんのこと信じてるよ。みんなのことも、もちろん船長さんのことも、家族みたいに思ってる。」
そう言うと、ハイルは静かに俯いた。体調不良になりうる要因に気がつき、指摘していた時の射抜くような瞳は悲しげに伏せられている。
自分の気持ちを飲み込んでしまうことも多いハイルが、気持ちを吐露してくれている。
心配している、信じている、家族のように思っている、と素直に伝えてくれている。……それが、どれほど心強いか。
「……ふふ、ありがとうハイル。そうだね、じゃあ休むことにするよ。……個室にいるから何かあったり誰か帰ってきたりしたら教えてね。」
「!うん、任せて船長さん。」
二人は動力室を後にした。その後ろ姿は親子同然。天井から高い高い赤が覗くことにさえ目を瞑れば、いつもと何ら変わらない二人のままだった。ハイルは、船長を信じている。
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《____彼岸にて》
船を下りて、そのまま真っ直ぐに歩いていくと辿り着くのがこの"彼岸"。そんな場所に、ラズとエマはいた。
「……青いですね。」
「青色、ウェルちゃんと同じ青」
第二話: テキスト
彼岸花……真っ青に染まった彼岸花が、視界いっぱいに咲き乱れている。

第二話: 画像
彼岸花、確かいつか図鑑で見かけた時は、赤色だったような。
非常に神秘的でどことなく不気味なこの空間に、二人は対照的な表情を浮かべた。
「青い彼岸花…とても好きな色ですが、不気味です。それに、ここに居るとラズでは浮いてしまいますね……ピンクですし可愛いので。うーん…調べなきゃダメでしょうか……」
「青色のお花、綺麗。持って帰ったら、みんな喜ぶ?わくわく」
眉をしかめ、あからさまに不快な顔をするラズと、目を輝かせラズと彼岸花とを交互に見るエマ。
「持って帰るんですか……?」
「……だめ?ラズ兄ちゃん」
「う……まあ、いいでしょう……」
許しが出た途端、エマはせっせと花を摘み始めた。花束を作るらしい。
青色よりももっと暖かい色が良かった、陰気クサくなってしまう、そんなことを考えながらも口には出さない。ラズは、楽しそうにしているエマに水を差すような真似はしなかった。
花束を作っている間手持ち無沙汰になったのか、ラズは辺りを見回した。
……何故今まで、目に入っていなかったのだろうか。青い絨毯に気を取られ、意識がそちらに向かなかったのだろうか。
「森、ですかね…?」
「?」
ラズの呟きを耳にしたエマが不思議そうな顔をして振り返る。ラズの視線の先へ顔を向けた途端、先程までとは一転して怯えた表情を見せた。
「うぅ…黒と赤だからエマと一緒…でも怖い、お揃い嫌…とても不気味、多分危険」
対岸に見えるのは、黒黒とした幹にたくさんの赤が繁っている、木。それが無数に立っている、森と思われる地帯。真っ青の奥に、真っ黒と真っ赤が一直線に連なっている。普段触れることのない色彩の暴力に、目を回してしまいそうだ。
持ち合わせていない嗅覚や味覚に続き、視覚までもがおかしくなってしまったかのように錯覚する、そんな景色。
もしも本当に視覚までおかしくなってしまったら。ラズは五感の半分以上が閉じられた世界を想像してその身を震わせた。
これから行くには時間がない、何よりあんな不気味な場所には行きたくない。花束を作り終えたらしいエマを連れて、ラズは彼岸を後にした。
【探索箇所解放:樹花】
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《____リビングにて》
チョーカーを用いて時刻を確認し、通常の終業時間までには船へ帰ってくるように。あと僕ドクターストップでお休みいただいたから船に着いた子から終業してね。よろしくお願いします。
ほとんどの船員が船を出た後、チョーカーのメッセージ機能により通達された文言。それに従い、船員たちは終業時間にはアハルディア47へ帰ってきていた。多くはローレよりも前に戻ってきていたらしく、既に人の気配がある。
「おかえりなさい、ローちゃん。時間ギリギリですね。」
「ヘデラ!トロイも、もう帰ってきてたんだな」
「早く帰っても良さそうだったんで……」
「僕が帰った時にはもう何人かいましたよ。何かやってたみたいですけど。ふふ、ローちゃんきっと沢山見てきたんでしょ?」
誰かいるのではないかと、覗き込みながら静かに扉を開いた先にいたのはヘデラとトロイ。ローレは二人に駆け寄り、興奮した様子で話し始める。
「そう!船の辺りと廃墟に行ってきたんだ。時間が無くて奥までは行けなかったけど…なはは、これが世界の欠片か、本当にこの場所を見て回れるなんて夢にも思ってなかった!目移りしちゃって適わないなあ、気になる箇所も沢山あったんだ!ヘデラ聞いてくれよ!いやそれより先に二人の話も聞きたいかな」
身振り手振りを加えつつ一息で話しきるローレ。よほど楽しかったらしいその話しぶりに、ヘデラは頬を緩めた。
「楽しかったことも興味深かったことも、たくさん聞かせてくださいね。彼岸には行きました?僕、花摘んで部屋に持って帰ってきたので好きなだけ観察出来ますよ。ちょっと不思議な花で……」
「待て、それ以上は実物を見て話したい!それはいいなあ……この後部屋に行っても?」
「も、もちろん」
「楽しみだなあ!!トロイは?何かあった?」
ヘデラに詰め寄り、身を乗り出して話を聞く。この後の約束を取り付けた途端トロイを振り返って次の情報を得ようとする。楽しそうだ。非常に楽しそうだ。
「ワタシも彼岸行きましたね、ヘデラには……会ってないっスけど。
ああそれで、ぐるっと一周見てみたんスよ。あの地帯、中心に……湖?があるみたいっスね。奥に行くのはちょっと面倒だったのでそのまま帰ってきたんスけど。」
「湖?彼岸の奥に湖……あー、見てこればよかった!!」
「ここに停泊してる間ならいつだって行けますよ、きっと。」
トロイの話にがっくりと肩を落としたローレに、ヘデラは励ましの言葉をかけた。彼は、何か言いかけたと思ったら口を噤んで、を繰り返している。
それなら次一緒に行きますか、なんて、言えるだろうか。少し勇気を出して……いや、この後にもチャンスはあるからその時までに心の準備をして……。
「まあ、それはそうとして今は花か!いや〜どんなのだろうなぁ、ヘデラ詳しいから何か分かることあったんじゃないか?……?ヘデラ?」
「いや、何でもないです、行きましょうか。ローちゃん。」
ヘデラが何か言いあぐねているうちにローレの興味は移っていたらしく、彼女はまだ見ぬ"不思議な花"に思いを馳せている。返事のないヘデラを不審に思い見上げると、その視線に気がついた彼は考えを悟られないよう笑顔を浮かべた。
デート……というか、調査だけれど。それくらいは自然に誘えなきゃな。
特に気に留めていないらしいローレは、軽い足取りでリビングの入口へと足を運ぶ。ヘデラはその後を追っていった。
【探索箇所解放:湖水】
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《____管制室にて》
始業時間。朝礼。全員集まるのが通例である……はず、だが。
ウェルテルの姿がない。
「ごめんね、休んじゃって。もう大丈夫!みんなもいつも通り、休みたいときは朝礼前か前の夜に教えてね。……そういう話は聞いてないけどウェルテル、体調不良か寝坊かな」
「あれ!珍しいですね!?」
「ほんとだね。心配だな……僕が様子見てくるよ。とりあえずみんなは引き続き部品を探してきてくれるかい?見つかったら教えてくれ!」
じゃあ、解散。
船員たちは、ウェルテルのことを口にしながらも船を降りていった。各々、探索しきれなかった場所を探すらしい。数人は未だ顔を曇らせているが、船員の多くは到着時の不安が解消されたのか憑き物が落ちたような表情を浮かべている。口に出してはいないものの、もしかしたらこの状況にも慣れて楽しめているのかもしれない。探索が待ち遠しいような様子すら見受けられる。微笑ましいものだ。
数人が降りていったのを見届けると、船長はその足で船長室に向かっていった。一度船長室に向かうこと、それは彼の身体に染み付いた日課である。その道中、考える。
珍しいこともあるものだ。
ウェルテルは無断欠勤はしない。遅刻するとしても十数分程度で、これほどまで遅れることは滅多にない。そもそも、もしも遅刻するならどんな些細な場合も連絡を入れる彼女だ。無断で始業時刻を超過すること自体が、普段と比べるとやはりおかしい。
無意識に足が止まる。はたと顔を上げると目の前には変わり果てた様の船長室。知らぬ間に辿り着いていたらしい。習慣とは恐ろしいものだ。
廊下と船長室を隔てていた厚い扉は、爆破によりただの瓦礫の山と化し船長室の入口を狭めている。……扉を無くした船長室。見たことのない有様に、未だにこれが夢なのではないかと感じる。風通し良くなったなあ、鍵開けなくていいのは楽かもなあ、と的外れかつ呑気な感想を抱きつつ、彼は慣れ親しんだ船長室へと入っていった。
船長室は内部から爆破されたとみなしていたが、後々損傷具合を調べたところ、爆弾は扉にのみ取り付けられていたものと判明した。さすがの犯人も、船長室の鍵は開けられなかったらしい。……鍵など扉を爆破してしまえば無いに等しい。それを狙っての犯行なのだろうか。
したがって、内部の損傷は見た目よりも激しくない。船長室の真上が崩落したものと思っていたが、中心は崩落しておらず、入口付近のみ吹き抜けになっていた。崩落箇所に目を向ける。
天井から所々覗く赤がここは異空間ではないと、危険を表すその色が今が非常事態であると、鬱陶しいほどに主張している。……【202】って、こんな風だったかな。
一通り船長室を見回した後、目下一番の心配事へと意識を向ける。
ウェルテルは、連絡を入れられないほどの体調不良なのだろうか。
大丈夫かな。
……あまり順応出来てないか、仕方がない。
ある戸棚の前に座り込む。扉を開き、中の物に手を伸ばす。保管してあったそれの個数を確かめ、数個手に取りポケットに忍ばせた。
必要数あれば良いだろう、ひとまずウェルテルの分だけでも。
扉は閉じられ、久方ぶりに日の目を見たそれらは再び棚の奥で眠りについた。
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《____1F廊下にて》
自身の個室を通り過ぎ、目的地が目に入った辺り。突然眼前にモニターが現れる。翠から着信だ。
『パパ〜!非常事態なのだ!!』
「翠!?どうしたの、落ち着いて話してみて」
翠は今にも泣き出してしまいそうに話し始めた。いつものハツラツとした雰囲気は微塵も見られず、その声は不安に染まっている。
『変なのだ、おかしいのだ、ワガハイの手……これ、何なのかにゃ……』
翠の言葉を元に思考を巡らせる。……ああ、そうか。
「……大丈夫だよ翠。医務室においで、僕もすぐ向かう。」
『わ、わかったのだ』
無線を切ると彼は踵を返し、つい先刻まで居た部屋へ向かった。
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《____医務室にて》
「イルー!」
「ネリネ?……サボりはよくないよー?」
「んにゃ〜!?サボりじゃないのだ!!」
医務室には、変わらずハイルが居た。医務室に飛び込んで来た翠に対して定番の挨拶をする。が、今回は普段の用事とは異なるらしい。
翠は不服だと言わんばかりに頬を膨らませハイルを見つめる。謝りながらこれでもかと膨らんだ頬をつつくと、風船のように空気が抜けた。
「ふふっ」
「猫風船なのだ」
「ふ、やめてやめて、笑っちゃう」
駆け込んできた際の不安な様子は消え失せ、現在、翠の表情は晴れやかだ。ハイルと話して緊張など吹き飛んだらしい。
「それで、どうしたの?」
「そうなのだ!!イル、これ……」
「……?ほんとだ、不思議だね。」
はっと思い出したように翠は余りある袖を捲りあげ手を出し、その異常をハイルに見せる。医療知識のあるハイルも口元を覆って考える素振りを見せるが、その首はゆっくりと傾げられた。
「ごめん、待たせたね」
医務室の扉が開き、船長が顔を出す。
「あ!パパ、見るのだ、これ」
「変だよね。私と比べても……あれ、私もなってる?気のせいかな……?」
「心配しなくていいよ、"それ"治すための物、持ってきたから。」
船長はおもむろに"治すための物"を取り出し、翠の手を取る。
「爪の先、白いとこ。ここは切っても痛くないから……見せてあげたいところだけど僕には異常は出てないみたいだ。最初は怖いだろうけど我慢してね。」
「!?爪……切るのかー!??」
「えっ船長さん、それ大丈夫なの?」
翠は、いやいやと首を横に振りながら体を仰け反らせなんとか逃れようとするが、容赦なく爪は切られていく。痛みがないことに気がつくと、途端に抵抗をやめ、その様をじっと見つめはじめた。ハイルは気が気でないようで、翠の手元からぱちんと音が鳴る度に小さく悲鳴を上げていた。
「世界の欠片なんて普段来ることないからね……ここは不思議な場所なんだ。これからも爪に異常あるかもしれないから、やり方を覚えておいても損はないと思うよ」
「へえ、そうなんだ……」
ハイルは未だ衝撃が抜けていないらしく、呆然としている。自身の爪をぼんやりと見つめる。これは、伸びる……のか。切ったって痛くないのか。
「……はい、翠できたよ。しばらくはこれで大丈夫!君は元々爪が長かったからすぐ異変に気がついたんだね」
「おー!いつも……よりも短くなったのだ!」
まっすぐ腕を伸ばして全体を見てみたり、顔のすぐ近くまで持ってきてまじまじと見たり。翠は自身の爪が短くなったことが不思議らしく興味深そうに手を眺めている。
「船長さん、他には何が起きるの?」
そんな翠を横目に、ハイルは小さな声で船長に尋ねた。おそらく、今後を憂えているのだろう。彼女は変化を恐れている。
「うーん……髪が伸びたり……船酔いみたいになる子もいるね。だいたいみんな、何かしらの異常は現れるよ。特に爪や髪には出やすいかな。……そんなに恐ろしいようなことは起きないよ、安心して。爪や髪ならこうして痛くないところを切り落として治してあげられるし、体調崩した子のための薬だってあるから。」
そんな思いを察したのか、船長は努めて優しい声色で語りかける。嘘を伝えたって仕方がない。不安になるようなことではない、世界の欠片に停泊するならば誰しもに起こりうる現象であると、事実を伝えた。
「髪、のびるの?こう……起きたらネリネくらいになってたり?」
「はは、そうはならないかな。少しずつ伸びるんだよ。だいぶ放っておかないと分からないくらい。」
「……私ちょっとネリネの髪羨ましかったのになぁ。」
そう言って自身の髪に触れる。ハイルはショートヘアだ。これまでもずっとそうだった。人は自身が持たないものに対して憧れを抱きやすいらしい。いわゆる、無い物ねだり。ハイルも例に洩れず、得られないものを羨ましく思っていたようだ。
「伸ばしてみてもいいと思うよ。見た目が変わるだけだ、何か体調に影響を与えることもない。……別に、怖いことも起きないから大丈夫さ。」
「うーん……でも、いいや。ピアス、見えなくなっちゃいそう。」
「はは、それはそうかもね!ピアス、エマとお揃いなんでしょ?この前見せに来てくれたよ、僕の部屋まで」
「へえ、……ふふ、そっか。エマってば、自慢したがりなんだから。」
口元に手を添えくすくすと笑うハイルからは、先ほどまでその身に纏っていた負の感情は読み取れなかった。
……少しは安心させられたかな。船長は、ハイルが見せる屈託のない笑顔につられ、柔らかい表情をしている。二人は笑顔で向き合っていた。
そんな二人を傍目から見守っているのは、爪を観察し終えた翠だ。
「楽しい方がいいのだ。みーんなに笑っててほしいにゃ、ワガハイ。」
これは、無意識に口の端から零れ落ちた独り言だ。
誰にも拾われなくたって一向に構わない、翠自身の心の欠片。純粋な本心の一部が零れ落ちた、嘘偽りない透き通ったひと欠片そのものだった。
翠は、張り詰めた空気の中を彷徨う船員たちを見て以来、彼女なりに気を遣って尚更元気に振舞っていた。少しでもみんなに元気を出してもらいたい、その一心で明るく振舞っていた。
今、こうしてハイルの笑顔を、船長の笑顔を目にした彼女は満足そうに顔を綻ばせている。ワガハイはこれが見たかったのだ。こんな船内が、一番好きなのだ。
いてもたってもいられなくなった翠が船長に飛びつくまで、もう数秒も無いだろう。
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《____ウェルテルの個室にて》
すっかり遅くなってしまった。待てば連絡があるのではないかと、先程から気にしていたが、ウェルテルからは何の音沙汰もない。
ようやく彼女の部屋に辿り着いた。軽く、ノックする。返事はない。少し迷って、鍵を開けた。中で意識を失っていたりなんてしたら。
……船長には、心配性のきらいがあるのだろう、頭が回るが故に余計なことまで考えてしまうのは彼の悪癖だ。
「ウェルテル、勝手に開けてごめん。調子は____」
ウェルテルの様子を見て、絶句した。
真っ暗な部屋、ベッドの上、虚ろな目で自身を抱きしめ、震えている。顔には涙の痕が痛ましく残っているが、涙は既に枯れ果ててしまったらしい。……それほどまでに、泣いたらしい。
「ウェルテル、……ッ!?」
近寄れば、ようやく船長が入ったことに気がついたのか、船長の方に目を向け、怯えたように縮こまる。その目は不安と恐怖に満ちており、記憶に残る普段のウェルテルからは程遠い。
「せ、せんちょ……アタシ、もう、意味わかんない……!!何なの、あれ、…!?出てって、出てってよ、一人にして……」
そう一言伝え、ウェルテルはベッドの中に蹲った。明確な拒絶。
鈍器で殴られたような感覚に、目の前が点滅する。一瞬停止した思考は、直後目まぐるしいスピードで回転し始めた。
……まさか、何故。ということは、あの場所が。ああくそ、油断していた。見逃していた。
「…………そっか、ごめんね」
……今、僕に、出来ることは……。帽子を深く被り、個室を後にした。
____時は、24時間前に遡る。
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《____廃墟にて》
廃墟。この世界の欠片の南東部、まるで後づけされたかのような箇所に存在する地域一帯をマップはそのように表した。ウェルテルとペスジアはそんな場所にいた。
「着いた着いた着いたー!!と思ったらいきなり暗ーッ!夜かよ!」
「確かに船内における夜のような……照明が突然切り替わったような感じがしますね。」
廃墟に入った辺り……マップで境目となっている箇所を越えたその瞬間、突然辺りが暗くなった。二人は驚きはしたものの、至って冷静だった。彼女らは、世界の欠片で起こることなど不確定であり、廃墟は"そういう"場所なのだとみなすことしか出来ないと理解しているためである。
特段慌てることもなく周りを見渡したところ、ここは一本通りのようになっているらしいことに気がついた。
第二話: テキスト
通りを作り上げ奥へ奥へと二人を誘うのは、規則正しく整列する黒い直方体。
高さは様々だが、それらは絵の具で塗り潰されたかのような黒をした建物群だった。

第二話: 画像
よく見るとそれらには朽ちた様子が認められ、人が生活していた名残などは微塵も感じられない。
また、建物にはすべて、鮮やかかつ毒々しくも思われるような赤を携えた蔦が絡みついていた。入口付近にはより密に絡む蔦によりバリケードが形成されている。蔦は、非常に太いこと、無数の鋭い棘があることから、千切るのは不可能に近いものと判断した。したがって、建物内を調べることは難しいだろう。
「この蔦触ったら怪我しそうですね……」
『ウェルテル気をつけろよ』
「エンペラーくんこそこんなんに触っちゃったらズタボロじゃね?」
『その通りだな!』
「アハハ!爆速で認めてんのうける」
建物内を調べることは難しい。そのように判断した二人は、為す術なく一本通りを進んでいく。冗談を交わしながら奥へ。周辺を観察することも忘れず、さらに奥へ。辿り着いた先、真っ先に目に入ったのは人影。……誰かが、ある建物の入口付近に、いる。
人影を発見した直後、ペスジアが前に出て目を凝らす。ウェルテルのことを庇うように立つその姿は、紛れもなく最年少を守らんとする年長者。……優しく穏やかなペスジアだ、こんな状況には計り知れない不安を抱えているだろうに。ウェルテルはひとり、自身を庇う背中を見つめながらそんなことを考えていた。
じっくりと人影を眺めたペスジアは、それが何なのか……いや、誰なのか分かったらしい。もう大丈夫ですよとウェルテルに言うと、人影に向かって声をかけた。
「メルトダウン君!」
突如廃墟に響く自分の名前に、肩を跳ねさせるメルトダウン。人影は、先に廃墟へ探索に来ていたらしいメルトダウンだった。
「メルたん!?何してんの、こんなビミョーなとこで!」
「何してるって部品探しに来たんだよ……。見ろこれ、やっぱここだけ変だよな?」
メルトダウンは呆れたような顔を見せ、目の前にそびえ立つ、この廃墟群でいっとう高い建物を指し示した。
……新しい。この建物だけ、朽ちた様子が全くない。廃墟とは言い難い、真新しい外観をしている。が、異様なのはそこではない。
入口を塞いでいたであろう蔦が無い。いや、無いというのは語弊だろう、赤い蔦自体は他と変わらず建物に絡みついており入口に近づくにつれて厚い層を形成していっているが、ある部分から力任せに根こそぎ引きちぎられたような断面が散らばっている。千切られたその先だったのだろう、蔦の先端にあたる部分は無残にも地面に横たわって潰されていた。無数の靴跡により、潰されていた。
不気味なまでに美しいその赤を覆い隠す泥や砂は、何十、何百と踏みつけられてきたことをありありと示していた。
「……、なにこれキッモ……」
「やっぱどう見たって……おかしいよな……」
「足跡も奇妙ですけど、この蔦を引きちぎる……なんて、……人間に可能なんでしょうか……」
人間の想像力は、時にマイナスに作用する。三人の脳はあらゆる可能性を想像したが、そのどれも、良い方向へ向かうことはなかった。少々怖気付く。そんな時、ウェルテルは、ふと閃いた。
「メルトさあ、もしかして一人で入んの怖くてここでうろちょろしてたの?」
この建物までの道のりだって、気味悪い建物に囲まれた薄暗い大通り。背の高い黒に遮られて外の景色など見えるはずもなく、自分一人が世界から切り取られてしまったかのような感覚に陥るのも無理はない。たった一人でこんな場所を奥へ奥へと進むことが出来る、そんな強靭な精神の持ち主はなかなかいないだろう。
メルトダウンも例外ではなかった。人前では気丈に振舞っていても、怖いものは怖い。彼は、暗所を一人で歩くことに対し本能的に拒否感を覚えていた。
いっそう暗くなるであろう、建物の内部。明らかに船員以外の人が入っていった気配がある、逃げ場のない建物の中。そんな場所に一人で入っても良いものか、しかし使命は果たさなければならないし成果は出さねばならない、彼はそうして足踏みをしていたのだった。
「そんな訳あるか!!行くぞ!!!」
メルトダウンは、ウェルテルに核心を突かれ大声で否定したかと思うと先陣を切って建物へと入っていった。二人がそれに続く。
内部を見ても、真新しい印象を受ける。内部は黒に覆い尽くされたまっさらな空間が広がっているのみで、物も見当たらなかった。目に入るのは、他の何にも目をくれず、階段を駆け上がっていったかのような足跡。足跡たちは、上へ、上へ、ただただ上へと向かっている。
「……上、行くしか、ないですかね。」
「だ、大丈夫だよペス!三人寄れば真珠の杖……ん?違くね?」
『文殊の知恵か?』
「そー!それ!それだから一人じゃ何も出来なくてもみんなで力合わせりゃなんとかなる!」
軽口を叩いて自身を鼓舞しながらも、その足取りは重い。後退ろうとする体に鞭を打ち、一歩一歩踏みしめて階段を上っていく。
足跡を追って出たのは、屋上だった。
鍵が無茶苦茶に壊されているドアノブを回す。ギィと、新しい建物であるのに使い古され年季が入ったような音を立て、扉は開いた。
「ッ…………」
「っは、なんだ、これ。」
第二話: テキスト
目の前には、おびただしい数の靴。

第二話: 画像
奇妙なのは、それらが一対ずつ揃えて置かれていること。種類は様々で、くたびれた革靴や、まだ新しいローファー、履き潰したスニーカーに鮮やかな色のピンヒール。 まるで統一性が見られなかった。
気持ち悪い。無数の足跡は、この靴の、持ち主たちのもの?ならば、それを履いていた人間は、……。頭を掠めた最悪には蓋をした。考えていたらキリがない、気味が悪くて嫌になる。メルトダウンは嫌悪感に顔を顰めた。
「……眩しっ!もー、何!?」
ウェルテルの視界の端、"何か"が光った。それに引き寄せられるようにして、ウェルテルは靴の間を縫って進んでいく。あとの二人も眩しさは感じたらしい、ウェルテルの後を追った。
そして屋上の端へ辿り着いたウェルテルは、眩しさの原因である"何か"を拾い上げる。後ろから、二人が覗き込む。
第二話: テキスト
「……これ、CD?」

第二話: 画像
【CDのようなものを入手しました。】
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《____船の周辺にて》
CD、のようなものを手に入れた三人は、限界を迎えたのか、このいるだけで悪寒が走る薄気味悪い建物を一刻も早く去ってしまいたい衝動に駆られ船へと帰ってきた。船には、まだ誰も帰ってきていない。
「とりあえず、船長にこれを……」
「待って待って真面目くん!マジメル!」
「マジメルって何だよ」
「メッセ見てないの?船長、オヤスミ中だよ」
「な、何かあったのか……!?!」
「ドクターストップ……ハイルちゃんが止めたんじゃないですかね。」
『働き詰めは良くねーぞってことだ』
入手したCD、その処遇に迷っていると、背後から声をかけられた。リツィだ。その後ろには、ルークもいる。
「何してるんだ?お前たちの姿が見えたから、戻ってきたんだが。」
「リツィ!これ、気持ち悪いとこで拾ったんだけど、何かわかる?」
「……CD?外で拾った?こんなものを……?」
見知った親友の顔に、安心したように笑ってその名を呼ぶ。手に持ったよく分からない何かを見せるが、その答えはリツィをもってしても出ないらしい。
「リツィちゃんとルーク君……って、珍しいですね。」
『意外と仲良しさんか?』
「……僕はそこで会った18番についでにって連れてこられただけだから。別に何かするつもりもないし……」
「またそんな言い方して、だめですよ。」
基本的に誰に対しても壁を作って接するルークのことを、ペスジアは気にかけていた。誤解されはしないかと、孤立してしまわないかと、気にかけていた。船員にそんな人はいないのは百も承知だが、心優しく聡明なペスジアは船内の人間関係が円滑になるよう普段から立ち回っていた。皆仲良くあってほしい、そんな気持ちから自然に身についた振る舞い。ペスジアは、同い年であるリツィとはまた異なった視点から船員たちのことを把握し、繋いでいるのだ。
さて、どうしたものか。頭を捻っているが解決策は浮かばない。休んでいるところに押しかけるのは憚られるが、仕方がない。一度船長にこのCDを渡しに行こう。
意見がまとまったところで、いつの間にか船へ乗り込み甲板に上がっていたウェルテルがあることに気がついた。上から皆に声をかける。
「ね、見て見てみんな!シアター、鍵、開いてない!?」
ウェルテルの指の先には、研修以来入ったことのないシアター。その扉が少しだけ開いているのが確認できた。
ローレが何度か忍び込もうと試みては毎度船長に阻まれていた、そんな場所の鍵が開いている。船長が、断じて中に入れようとしなかったシアターの鍵が開いている。恐らく爆破の影響だろう、鍵の設備が壊れてしまったのかもしれない。
「こんなチャンス無いしちょっと探検してこーよ!」
CDを持つウェルテルが、好奇心に負け一足先にシアターに入っていった。止める隙も与えない俊敏な動きにようやく甲板へ上がろうとしているところだった他の船員が追いつけるはずもなく、ウェルテルは容易くシアターに侵入してしまった。
「ど、どうします?」
『入るしかねえよなあ』
「どうするもこうするも……ああ!もうなんでだめだって言われてんのに入るんだ!……はぁ。俺が連れ戻してくるよ……」
腕を組み、溜息をひとつ。船長の手を煩わせるようなことは絶対にしないであろうメルトダウンが代表して入ろうとしたところで、何かを考えていたリツィが声をあげた。
「いや、待て」
「皆でシアターに入ろう。……こんなこと言いたくないが、今回のことで私は少し船長を疑っている。不審な動きが多い、皆も思わなかったか?」
誰もが思っていながら、触れようとしなかった繊細な話題に切り込んだ。空気が一変する。船長が、怪しい。
「……船長が隠していた場所だ、何か秘密があるのかもしれない。今回の行動に繋がる何かが、分かるのかもしれない。」
勝手な行動を取ることに罪悪感はあった。だが、船長への不信感だって、ここにいる多くが心の奥底には抱いていた。
真っ先に賛成したのはルーク。彼は、あの夜からずっとその気持ちを抱いてきた。抱いて、そして隠してきた。
ペスジアもそれに続く。残るは、厳しい顔をしたメルトダウン。
「船長が今回のことを仕組んだなんて、絶対無いだろ。
……俺が入るのは、皆とは逆の目的だから。疑いを晴らす証拠を……無いことを証明するための証拠なんて用意できないから……シアターに何も無ければとりあえず、疑わなくていいんだもんな。」
疑わないために、信用するために、疑わしい場所で、証拠を探す。ほら見ろ無かっただろ、そう言ってまた日常に戻るために、探す。
四人は重たい扉を開いて立ち入り禁止とされている区域へと足を踏み入れた。
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《____シアターにて》
シアターの内装は、記憶にあるものと変わりなかった。
正面には大きなスクリーンがあって、その対面には座り心地の良いふかふかの椅子が行儀よく並べられている。
部屋の脇には再生機器と思われるものが設置されており、その種類は様々だ。除去ののち出力されたバグはこの機器で再生出来るらしい。
出力された際現れる多種多様な媒体に対応して、様々な再生機器を備え付けているのだろう。
「あ!!!ウェルテルお前、何勝手に入ってるんだ!バカ!」
「メルたん声デッカ!えーん、結局みんなも入ってきてんだから共犯じゃんね」
「メルトダウン君、ここでウェルテルちゃんを怒ったって仕方がないですよ……!」
視界に青を捉えた途端、メルトダウンの怒号が飛んだ。ウェルテルは耳を塞いで大袈裟に泣き真似をしてみせた。直後、ゆらりとウェルテルの方へ向かおうとしたメルトダウンを行かせまいとするのはペスジア。その顔は困り果てていた。
「……これ、さっきのCD入りそうだね。」
中へ入るとともに再生機器の方へと足を向けていたルークがぽつりと呟いた。リツィがそれを覗き込む。
「……本当だな。どうする?皆」
「再生出来る機器があるってことはー……保管してたバグか崩壊した世界の記録とかが爆発で飛んでっちゃったんじゃない?やっぱ。で、アタシらがそれ見っけた!!」
「私もそう思います。」
『なら中見たって問題ないよな』
リツィの問いかけに、各々が答えていく。研修以来のシアターに少々浮き足立っているのか、CDを再生することには皆好意的な様子だ。
また、船長の行動の理由についてもこういった探索の果てで見つけた物を通して知ることが出来るかもしれない。そんな考えの元、五人はCDを再生することに決めた。
「じゃあ…再生するぞ。」
全員が席に着いた。
第二話: テキスト
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____開演____
【××の破綻】
「みんな〜盛り上がってる〜!?」
汗が頬をつたう。肩で息をする。
「今日はあ、みなさんと一緒に、トべたらいいなあって、おもいます!」
夢見る女の子をいっそう輝かしく見せるためのライトは、少し眩しくて目が眩む。みんなの顔を見たいのに、最前列付近までしか見せてくれなくてもどかしい。すぐそこにいるのになあ。
「じゃーあ、ラストはリーダー!締めちゃってよね、さよぴっ☆」
マイクを持ち直す。肺に息を送り込む。
第二話: テキスト
「はいはーい!『進め!妄執ゲーテ症候群』最年少の15歳!
悩みはないけどピッチピチ、愛と逆襲の【ウェルテル★さよぴ】でーっす!みんなよろたの〜!」
ああ、楽しくて仕方がない!

第二話: 画像
アタシの好きな物。歌。ダンス。ユニット。ステージから見る絶景もたまらないけれど、一番好きなのはファンのみんな。応援してくれるファンのみんなが大好き!
違和感を覚え始めたのは……あの頃、そうそう、初めてTV出演が決まった時。深夜の短い枠だったけど絶好のチャンスだから一生懸命頑張った。そのためのレッスンもレッスン代のためのアルバイトも表情の作り方もトークの仕方も体のコンディションも、このチャンスを逃すまいと、持てるすべてを出し切って一生懸命頑張った。ユニットとして成功したいから、みんなに見て欲しいから、輝けるこの瞬間が楽しくて仕方がないから、この仕事が大好きだから、一生懸命頑張った。
報われた。ちゃんとしたマネージャーがついた。大手TV番組からオファーが来た。人の目に留まった!ねえ、アタシらメジャーデビューできるよ!そうして苦労して努力して一生懸命頑張って、ようやく辿り着いた先にあったのは、夢見た景色とは程遠い、悲惨な「リアル」。人を人とも思わない無茶を強いてくる目も当てられない大人の欲と、背筋が凍ってしまうほどの冷たい視線、そして容赦なく心臓を抉る鋭く尖った罵詈雑言。
あぁ"小夜"、今週末ソロで地方の営業が入ったから前日入りね。ごめん!休日返上になるけど、今がかきいれ時だから一緒に頑張ろうな!
____え、私、その日だけはどうしたってダメだ、って………前から……………なんでもないです、ありがとうございます。
誠意のない謝罪と、隠す気もない、「せいぜい使ってやろう」という魂胆。許せるはずがなかった。信じられるはずがなかった。
小夜、あんたろくに学校も行かないでまだそんなことやってるの?……はぁ。そろそろ諦めればいいのに。チケット?いらないいらない、忙しいから。夢は夢、もう十分チャレンジしたでしょ?どうせ何のためにもならないんだからいい加減そんなくだらないの辞めて現実見なさい。あんたのためを思って言ってるの。……聞いてるの小夜!?
____今の私を知らないで、職業への偏見でものを言う。いつだってアタシの話なんて聞きやしないで、テンプレの人生が幸せだなんて思い込んで、否定する。今の私を見て、夢叶えてるアタシを見てよ、ねえ、ママ。
"小林小夜"、サムくない?わかる。1人で突っ走ってさ、認めてもらいたくて必死かっつの。結局あいつだけデビューだって。解散したくないとか泣いてたけどさ、白々しすぎんだよね。どんな手使ったんだろ。あは、どうせ枕だよ枕。きったない手使ってさ。
____そんなことするわけない!そんな大好きなファンを裏切るような真似するわけない!ソロデビューだってアタシは望んでなかったって、みんな知ってるはずなのに!一番近くでアタシを見てきたキミたちが、よりにもよってキミたちが!!それをアタシに言うの!!?
ウェルテル……なんとかって知ってる?あぁあの、なんか聞いたことあるかも。週刊誌で見たけど、めちゃくちゃ整形してんだって。うわマジかよ。見る目変わるわ……てかあいつ、借金あるとか男に貢いでるとかもネットニュースで見たよ俺。えー、ヤバ!最悪じゃん!
____やめて、根も葉もない噂でアタシを語らないで!アタシを見て、アタシそのものを見てから話してよ!なんで本人の言葉じゃなくて無責任なインクのシミを、無遠慮な液晶の点滅を信じるの!!?
そんな生活を続けていく中、ふとした瞬間悟ってしまった。ああ、世の中は、世界は、こんなにも。
あ、もう
第二話: テキスト
死ぬか。

第二話: 画像

第二話: 画像

第二話: 画像

第二話: 画像
『昨日飛び降り自殺を図った【ウェルテル★さよぴ】さんこと【小林小夜】さん。現在意識不明の重体とのことです。ネクストブレイクアイドルとして今をときめいていましたが、何故このような事態になってしまったのでしょうか。コメンテーターの■■さん。……まあ、本人の意思の弱さでしょうねえ。________』
念願のメディア露出を果たした。あってはならない形で。
わずか3分で語られ2日で淘汰されるアタシの最期は、これまでで最も盛大で的はずれな尾ひれをつけ、想定されうる何よりも最悪の事態を従え、1か月後のアタシの元へと舞い戻ってきたのである。
目を覚ました。目を覚ましてしまった。自分が横たわっているのがベッドだと、自分がいるのが病院だと、それらに気がついたとき一瞬何故こんなところにいるのか分からなかった。しかし、直後自分がしたことと死ねなかったこと、まだ耐え難い心労とともに使い潰される人生が続いていくことに気がついてしまった。絶望した。でもそんなのは本当の本当に些細なことで、これっぽっちも辛くないことで、そう思えてしまうほど、退院直後、病院の出口で知った事実はひどく皮肉な現実だった。
「ウェルテルさよぴさん!退院おめでとうございます!貴女が亡くなったと知り後追い自殺をされたファンの方々についてどう思われますか!?ご遺族へのコメントは!?罪の意識はないんですか!?これは立派な殺人ですよ!」
は
………………
は ?
こうしてアタシは、酷く醜い大衆にばかり目を向けているうちに、何よりも大事で、唯一の味方で、一番大好きだったファンを、自らの手で葬ってしまったのです。
【小林小夜の破綻】
____終演____
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映像が終わったにも関わらず、誰一人立ち上がる気配はない。立ち上がる気力がない。誰もが呆然としている。
「今の……って……………………」
小さな呟きは、静まり返ったシアター内に霧散して消えた。
今の映像は____見間違うはずがない、ウェルテルが映っていた、今の映像は、一体?
「……ッ、は……あ、あああ……ッ!!!!!」
シアターに響き渡る、悲痛な叫び。突然の慟哭に、皆が弾かれたように振り向いた。ウェルテルへと視線が集まる。大粒の雫はとめどなく溢れ、ウェルテルの服の裾を濡らしていく。人目を気にする余裕など、今の彼女にあるはずがなかった。
ウェルテルがこれほどまでに動揺しているのなら、つまり、映像は真実?あの、見るに耐えない酷い映画が、真実?
信じられない、信じたくない。楽観的で賑やかな彼女がいつも不安を笑い飛ばしてくれたから、船内を明るく照らしてくれていたから、ウェルテルは誰にとってもそういう存在だったから。そうだった、はずだから。…………そんなウェルテルが、あんな目に遭って、自ら死のうとした?
…………本当に?
おかしい。ウェルテルは、自分たちは、アハルディア47で生まれたはずだ。こんなことが、一体全体いつ起きた?起き得るのか?映像のウェルテル____コバヤシ サヨは、自分たちの知るウェルテルと同じ年齢だった。見た目だって全く同じだ。…………何が、どうなっている?
状況が掴めず困惑する船員たちをよそに、ウェルテルはその場に蹲った。人目から逃れるように、いっそ哀れなほどにその小さな身体をさらに縮めて蹲った。
「あたし、あ アタシが、みんなを、みんなを殺して、そうだ…なんで忘れ………ッあたしのせいで、あんなことしたから、う、ああ……」
寒い、寒い、寒い。みんないなくなってしまった。ひとりきり、ずっと、これからも?
「ウェルテル……ッ!」
隣に座っているリツィが、彼女の手を握る。冷え切っている。震えている。……ウェルテルはそれでもリツィには一瞥もくれず、その瞳を溶かし続けていた。自責からか、噛み締めた唇はとっくに皮が破れ、血が滴っている。……声は届かない。
「いや、やだやだやだ、みんな、いやぁッ!!!……ひっ………………ぐ、うぅ……………うぅうううぅ………」
叫んだかと思えば、さめざめと泣き、また唸る。
痛い。体が、皮膚が、筋肉が、ひどく刃こぼれした包丁でこそぎ落とされていくような、そんな感覚。いたい、いたい、いたい。いたくてたまらない。
助けて、たすけて、だれか。
ああでもだって、誰も助けてなんてくれないや。あたし、だから飛び降りたんじゃん。
苦しげな声がぴたりと止む。シアターに再び静寂が訪れた。
ウェルテルは、肩で息をしながら緩慢な動きで立ち上がった。その目は誰も捉えていない。手を繋いでいるリツィのことさえも。
リツィは、そんなウェルテルから目を離すことが出来ない。声をかけることも出来ない。身動きすら取れない。
……これは、私が、口先だけで共感できるものではない。苦しみを分かち合える、そんな簡単なものではきっとない。何か、何か、何かしないと。このままでは、ウェルテルは、潰れてしまう。
いつからか参謀などという役回りに抜擢され、人に指示を出す立場になった。常に周囲の状況を把握し、最適解を導き出してきた。リツィをそうさせた優秀な脳は、肝心な時にはひとつも動いてくれないらしい。
奥歯を噛み締める。痛ましいほどに眉根が寄る。
きっと今、いつものウェルテルだったなら、変な顔だとひとしきり笑ってはしゃいで、そうして私の顔に触れ、頬を摘んで引っ張って、マッサージだとか言って、また笑う。
だが目の前のウェルテルに表情はない。愛おしい彼女の、目まぐるしく変わっていた表情はまるで抜け落ちてしまっている。快晴の海を閉じ込めたかように輝いていたコバルトブルーは、泥沼のように澱んでいる。深い深い海の底に、遠い遠い青空の果てに、たった一人でいるかのような、そんな瞳。誰を映すつもりもない瞳。
……はやく何かしないと、何か、何か_____
そんな焦りをよそに、体も脳も言うことを聞いてくれない。自分の体じゃないみたいだ。一方的に繋いでいた手からも、いつの間にか力が抜けていた。
手は解けてしまった。あんなに固く握っていたのに。
立ち上がったウェルテルは、覚束無い足取りでシアターを去っていった。リツィの隣には、もう誰もいない。
____いつものウェルテルだったなら、なんて。私はウェルテルのことを何も知らなかったくせに。……それでいて好きだなんだと、阿呆みたいだ。
誰も話さない。
誰も立ち上がらない。
誰も話せない。
誰も立ち上がれない。
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「死ぬ」。端的に言えばいなくなること、植物ならば枯れること。
あまりにも非日常で、どこか遠く他人事のように思っていた「死」の概念が、どこかの並行世界をぼんやり眺めていた時に目にした、定められているかのように人間が死んでいく様が、今目の前で生々しく繰り広げられた。
……よく見知った仲間のそれは、知らない世界の死体の山とは比べ物にならないほどに身近で、それ故に現実味があって、いや現実味なんてなくて。……分からない、何も分からない。脳を揺さぶられているような気分だ。
人は、何もかもを失うことを、「死」と呼ぶらしい。ならばコバヤシサヨは、正しく「死んだ」のだろうか。
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第二話: テキスト
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