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第十話

第十話: ⑨

《____船の周辺にて》


二輪の花が光を反射し、雪は二人の笑い声を吸い込んで静寂をもたらしている。ハイルとエマは、話したいことが沢山あるのだと会話に花を咲かせていた。


「ッ!?何……?」


突然、目の前が暗く点滅したような感覚に襲われる。エマも同様であったようで、二人は首を傾げて再び歩き始めた。

……何か、背後に違和感がある。言いようのない気味の悪さが背筋を撫でる。とうとう耐えきれなくなったハイルは、恐る恐るといった様子で振り返った。エマもつられて振り返る。


背後に広がるはずの、錆びて朽ちた建物と有刺鉄線に囲まれた路地裏のような街。

……おかしい。

そこには記憶にあるこの7⊃NB3R-J▆CKL9とは、名残を残しながらも大きく異なる景色があった。

どの建物にもハリボテとはいえ取り付けられていた飾りの扉は全て消え去っており、あの様子ではチイサナ、オオキナタテモノの扉も消えているのだろう。もう、建物内部に入ることは不可能であるようだ。また、建物自体の数も減り、まるで普通の街かのように大通りが広がっている。


二人もの船員が棘が有るという名を冠する有刺鉄線をわざわざ掴み負った傷を手当したのは、ハイルの記憶に新しい。そんな、 どう思い出してもあったはずのそれまでもが綺麗さっぱり消えている。

さらに二人の恐怖を煽るのは、ちょうど二人の立っている位置から見える、大きな穴。穴、なのだろうか。真っ黒に塗りつぶされた、まるでその先が見えない楕円が雪の上に広がっていた。


心臓が耳元にあるかのように、心音が大きく体に響く。全く得体の知れない変化を遂げた背後の街に、ついさっき有刺鉄線を通り過ぎたばかりだったのに消え失せたそれらに、一体何が起きたのかまるで理解出来ず、二人は険しい顔でその異様な一瞬の変化を見ることしか出来なかった。


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《____エスペランサの個室にて》


アハルディア47……自分たちの船へと戻り、七人で集まって話をした。防音であること、鍵をかけられることから誰かの個室が最適だろうと、エスペランサの個室で話し合いを行った。そこでひとまず、得た情報をまとめることにした。


まずはラズたちが探索した、かの船の3階。そこは動力室と保管庫、掃除が行き届いていない物置のような部屋の三部屋で構成されており、崩落してしまっている部屋は無かった。特筆すべきものがあるとするなら、保管庫のファイルだろう。ラズとシャルルは楽観視していたが、自らのディスクを得た二人は密かに息を呑んでいた。


『考察:並行世界の崩壊とそれに伴う世界の欠片の産生、Observer_Zの異空間への干渉について』


『世界の崩壊の際、あらゆる生命は世界と運命を共にする。』


……この一文を目にして、その後の異空間がどうだとか、そんなことは二人の頭には残らなかった。

世界がバグにより崩壊する際、そこにいる生命、つまり人や動物は世界とともに消え去る。二人の予測の範疇は超えないが、後に1階で発見した日誌における記述を踏まえて噛み砕けば、 恐らくこういうことなのだろう。

そして、彼女らが咄嗟に思い浮かべたのは自らの故郷だった。

もしかしたら、もしも自分のいた世界が既に崩壊していたとしたら。居場所の無い、どうしようもない世界であれど、知る人知る風景すべてが既に消え失せていたとしたら。欠片となって目の前に現れたとしたら。

そんな話を帰路でした。ハイルがエマに声をかけた本題だった。真偽のほどは定かではない。けれど、嫌な想像はしてしまうものだった。

3階については以上である。


次に、エスペランサたちが探索を担当した2階。管制室、薬品類が並べられた部屋、そして、例の画像を目にした部屋。どの部屋の、何を挙げるかと問われれば明らかに異質だった画像について言及するほかない。しかし、彼らにとって、あの画像が船長であったこと以上に分かることは何一つとして無かった。悪戯に翻弄されたのみで、ここで得た情報はただ彼らの思考を絡めるばかりだった。


そして、1階。食糧庫と、物が雑多に散乱した個室。個室で得ためぼしい情報源は、カレンダーと思しき紙束と日誌という草臥れた数枚だろう。マルや斜線、日誌の内容についてはさっぱりだが、どこか容認出来ない、喉の奥に突っかえるような点は多かった。

アハルディア46。その単語を目にした一瞬で、彼らの探索における記憶の多くが覆い尽くされてしまったのは言うまでもない。


多くを省いたが、以上がアハルディア46の探索の成果である。

彼らは、さらに細かくひとつひとつに焦点を当て、得た情報を整理し頭を突き合わせて話し合ったが、その成果は芳しくなく結局あの船に何が起きたのか解き明かすことは出来なかった。船の存在を報告すべきか否か、取り敢えずそこだけを決めて解散としたのが、つい先程だ。

第十話: テキスト

そして今、エスペランサは個室でひとり、信じ難くも現実であったつい先程の出来事について考えていた。


アハルディア46。この船の名、その数字とひとつ異なるのみのそれがアハルディア47と同じく観測船であることは、内装や残された痕跡から明らかだった。話し合いの結果、このままでは埒が明かないとして、次の朝礼で船長や船員に共有することに決定した。

エスペランサは、自分一人の力では解き明かすことは出来ないと自覚している。後回しにするのではないが、アハルディア46で目にした物やその存在についてこれ以上一人で考え込むのは無意味であるように思われ、気がかりだった探知機について思考を切り替えた。


探知機。この船を形作る特殊な金属、それがアハルディア47の停泊位置のほかで探知された場合、画面にその数だけ赤い点滅がつく。点滅できる画面にも限りがあるため点滅には最大数が定められていた。もちろん、ひとつの世界の欠片で得る程度の数ならば優に超える余裕を持った最大数だ。赤い点滅、つまりアハルディア47の別所にある特殊な金属を示すそれのほかは青く光るよう設定されていた。したがって、画面がすべて真っ青になればこの世界の欠片に散らばった部品はすべて回収出来たことになる。

S▍A*E-▍**W202では正常に機能したそれが、この世界の欠片に来た途端に一面が赤に染まったり、一部が赤に青に行ったり来たりと想定外の有り得ない表示を繰り返した。


今思えば、あれはアハルディア46の影響なのだろう。


アハルディア46を形作る無数の金属がこの船の物と同じならば、一面が赤い点滅に埋め尽くされたことについては説明がつく。あれほどの塊だ、こんな点滅の最大数に収まるはずがない。ただ、色が定まらないことは未だ疑問だった。エスペランサが眉を寄せる。

最大数を超えてしまうとああした表示を呈すのだろうか。それとも何か、見落としているのだろうか。

……ともあれ、その影響により本体が壊れてしまったのかどうかは次の世界の欠片に向かえば分かることだ。


エスペランサには、分からないことばかりだ。この世界の欠片に到着して突然目の前に現れた非日常は余りにも現実感が無く、これほどまでに世界のあらゆる事物に置いていかれているような感覚に陥るのは初めてだった。アハルディア46のこと、探知機のこと。そして何より、親友の映像。

第十話: テキスト

……分からないことばかりで、どうにかなってしまいそうだった。

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第十話: 画像

切り替えが早く合理的な決断が出来るエスペランサの脳は、鈍く回ることで押し寄せる非日常からその心を守っていた。一種の防衛で、逃げだった。無意識下で、他の情報で頭を埋め尽くしてしまえば逃げられるだろうと考えていたのか、それ故に彼は誘われるままに欠片の反対側にまで足を進めていたのがこの探索だった。回り道をしながら、他の情報に目を回しながらも常に頭の片隅で親友を心配し、彼は、ゆっくり、ゆっくりとだが映像のことも受け入れられつつある。

そして、きっと彼なら立ち直れるのではないかと漠然と期待をしているのだ。これは決して無関心だとか現実逃避だとかではなく、執六鮫という人間を知るエスペランサの揺るぎない信頼そのものだった。これが正しいのかは、分からなかった。


よし、と一言意気込んで椅子を引き、ベッドへ向かう。葛藤を抱えながらも、絡まった糸がどうにか解けるよう、ひとまずは体を脳を休めることが先決だと判断できる彼は、やはり合理的だった。



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《____医務室にて》


世界の犠牲となり引き裂かれる運命のもとにいた二人がようやく巡り会えたのは、彼らの約束の地とは程遠い船上だった。


鮫が目を覚まし医務室の惨状に愕然とした直後、彼の隣のベッドから音がした。鮫に続いて、翠も目を覚ましたのだ。彼女は重い瞼で数度瞬きをすると、ゆっくりと身体を起こした。音に振り向いた鮫と目が合う。翠の瞳が、わずかに揺れる。

鮫、翠ともにお互いが眠っている間に目を覚ますことはあれど、こうして顔を合わせるのは記憶を取り戻して以来初めてだった。


じっとこちらを見据える翠に、鮫は身体を強ばらせた。あのときの、帰ってきた妹の満面の笑みが脳裏に過ぎる。翠が唇を開き、喉を震わせた。


「兄、サマ」


その目は、しっかりと兄を捉えている。

一度目を見開き、それから鮫はほんの少しだけ視線を逸らした。一瞬の後には顔を上げ、妹を見る。そこには眉間に皺を寄せた、安堵に満ちた笑顔があった。そして、応える。


「うん、鈴杏」


記憶を取り戻した翠は、ぐしゃりと顔を歪めて途端に大粒の雨を降らす。慌ただしくベッドを降りたと思えば鮫のいる隣のベッドへ飛び乗り、鮫の腹部に顔を埋めるようにして兄を抱き締めた。離してたまるものかと、力いっぱいに。鮫はそのまま泣き止む様子のない翠の頭を少し乱暴に撫でて、声を立てて笑った。しばらくそうしていればおかしくなったのか、翠も笑顔を見せた。そっくりな笑顔で笑い合う。


「ほんと泣き虫だな、鈴杏は」

「にゃはは、……兄サマも泣いてる」


再会の喜びを、欠けていた大切な存在を取り戻せた喜びを分かち合う二人は、紛れもなく家族だった。



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《____管制室にて》


始業時間。朝礼の場には数人の姿が無いが、それは爆発以来の朝礼では珍しいことではない。船員たちは既にそのことに慣れていた。

船長がいつものように会を締め、各自探索や役割を果たすようにと促したところでエスペランサが控えめに手を挙げた。口を開く。


「……みんなに共有したいことがあるんだ。」


そうして、見たものを、得た情報をごくごく一部だけ掻い摘んで報告した。対岸にアハルディア47と似た船があり、偶然鉢合わせた七人で内部を探索したこと。その船は観測船とほとんど断定できること、そしてその名前はおそらく"アハルディア46"であること。

船長と思しき子供の写真のことは言わなかった。言わなかったというよりも、言えなかった、とした方が正しいのかもしれない。

情報が氾濫する管制室で、更に場を混乱に陥れるようなことを訊くべきではないという考えがあったのも事実だ。しかし、迷いがちに声を出そうとしたのもまた事実で、どちらかと言えば前者はこの行為が奏功しなかったことの正当化でありこじつけだった。


船長を前にその話を口にしようとしたとき、エスペランサは緊張からか喉に言葉が詰まり首筋に汗が伝ったように感じられた。襲い来る漠然とした不安から、得体の知れない、予想もつかない現実を知ってしまう可能性から逃げるようにして、彼は口を噤んだのだった。


船を見ていない、七人のほかの船員は静かにエスペランサの報告を聞いていた。その顔に深刻さは無く、ただ驚いている、そんな様子だった。どこか現実感が無いのは七人も同じで、管制室には困惑が立ち込めている。


「……アハルディア、46?」


そんな中、怪訝に眉を寄せてその名を繰り返したのは、やはり船長だった。驚きに開かれた目から、彼にも予想外の事態であったことが窺えた。船長は考え込むように口元に手を当て、空を見つめている。


「………ここにあったのか、 ……なら、"船長"は」


手袋の下、零した呟きは誰の耳にも届かなかった。


エスペランサの報告を聞き終え、それを踏まえた思考も終えたらしい船長は彼にお礼と労いの言葉をかけた。分からないことばかりだね、と笑って言葉を濁し話題を変えた。

船長の懸念は、エスペランサが抱えていたものと同じだった。

探知機、それがこの世界の欠片で性能を発揮出来ることはないだろうと断言し、しかし問題は無いだろうと、続ける。


「みんな、この欠片の内部が大きく変化したことには気づいてるかな。僕はこの変化のことを元の欠片の姿に戻っただけ、つまり僕らが見ていた姿の方が異常だったと考えている。今の様子が完全に元の姿って訳じゃないかもしれないし、ただの憶測だけどね。

僕たちの禁忌……並行世界に干渉してはならない、それは何故か。干渉すると並行世界に異物を持ち込む形になって、その並行世界のあるべき姿から変化が生じてしまうことがあるからだ。

僕はこれが、欠片にも適用されてるんじゃないかと思ってる。観測船の部品っていう異物が欠片に干渉したせいで元の姿から変化して、取り除かれたから再びその構造を変えた。つまり、ここの異物は取り除かれた、部品の回収は完了した。そう考えると自然だ。」


船長の説明に、彼の主張を察したエスペランサが頷く。


「そうだとしたら、変化が見られれば探知機が無くても部品の回収が完了したかわかる、ってことか。」

「そうだね。さすがエスペランサだ。ただ、だから探知機は不要という訳じゃない。【202】の時には目立った変化は見られなかったし、並行世界の場合と照らし合わせても明らかな変化が表れないこともそもそも一度変化したら元に戻らないこともあるから、この基準は不安定だ。絶対ではない。この世界の欠片のように、誰の目から見ても明らかな変化を生じている場合にだけ適用できる判断基準だね。」


腕を組み説明口調で語られる船長の考えに、へえ、と零し確認するように呟いたのはアインスだった。


「それじゃあ……この世界の欠片の分の部品は回収できたんだね。……多分。」

「え!!!そうなんですか!?なんでですか!??そんな話でした?」

「そんな話でした。……えーと、ペスタ殿は回収完了したこと分かってればいいんじゃないかな?」

「うーん、それもそうですね!!じゃあじゃあ〜、もう出発ですか?!」

「そうだね。早い方が良いだろうから。」


勢いよく船長を振り向きながら問いかけたペスタを肯定するように、船長が頷いた。


閉じ込められたり、行方不明になったり、不審な船を探索したり。思い返せば良い思いなんて雪に触れたことくらいだったこの欠片を、ようやく去る。


以前のように船長が手際よく準備を進め、画面に触れた。

____アハルディア47は、次の世界の欠片、N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲへ向けて航行を開始した。



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《____リツィの個室にて》


「……言うべきか迷ってたんだ。」

「どしたのリツィ、そんな改まって」


突然、そんなことを言うリツィにウェルテルが何度か瞬きを繰り返し、目を丸くして彼女を見た。


リツィの個室、そこには部屋の主とその恋人がいた。部屋を包む心地よい沈黙を破ったのはリツィだ。何か、言葉を選んでいるのかなかなか先に進もうとしない彼女をウェルテルはじっと待っている。徐に立ち上がったリツィが手にして戻ってきたのは、一枚の破れた紙きれだった。


「んー?何ソレ?」

「少し前に船長室で見つけた物だ。私が見つけたときには破れていた。」

「船長室?」

「温室の修復程度の確認と図書室での調べ物のために3階に向かったんだ。図書室に目当ての品は無くて、そこで船長室も鍵が開いていることに気がついた。」

「えー!いーじゃん!船長室か〜、アタシも今度見に行こっかな。どう?リツィ!デート!」

第十話: テキスト

「折角のデートなら他の場所に行こう。……次の世界の欠片で、二人で行こうか?」
「マジ!?……ヤバ、にやける〜!楽しみ!」

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第十話: 画像

ウェルテルのすぐ傍に腰掛けたリツィに、ウェルテルが体重を預けるようにして凭れる。はしゃぐウェルテルにリツィの表情が心做しか和らいだものの、そこにはわずかに緊張を残していた。ウェルテルは、リツィの手元の紙を覗き込んだ。


リツィの持ち物にしてはやけに皺だらけで、挙句破れてしまっているそれには規則正しく文字と写真が連ねられている。

ウェルテルには、その類の写真が並んでいる様にどこか見覚えがあった。レイアウトに感じた既視感に、記憶の糸を手繰り心当たりを口にする。


「バグの管理するやつ?」


ウェルテルは、極々たまに保管庫に足を運んでいた。滞在時間はほんのわずかで、訪ねる理由というのも船長を呼びに行くとかその程度だったが、船長がこんな資料を手に保管庫の整理をしていたのを目にした覚えがある。データ媒体が並ぶリストだ。


「……よく見てくれ」


リツィの言葉に疑問を抱きながらも改めて視線を落とす。リツィの言う、よく見てほしいという点はすぐに見つかった。


「…………アタシの名前、ある……」


本来ならば内容の判別のために並行世界の名前が載せられているはずの写真の上部には、見慣れた名前が並んでいる。アインス、メルトダウン、ウェルテル、ルーク、……破れてしまっていて飛んでいるが、これは恐らく船員番号順だ。ここにない欠けた部分を脳内で補完して、ウェルテルはそう解釈した。

ウェルテルが眉を寄せ、その紙を食い入るように見つめる。

そこに並行世界の名前が書かれていたり、名前の下、並んでいるのが自分たちの写真だったなら良かった。どこかで拾った保管庫のリストなんだろうなとか船員名簿なんだろうなとか、特に思うところもなく受け流すことが出来ていた。

だが、思うようにはならないのが現実で、この世界は優しくない。そんなこと痛いほどに知っていたはずなのに、終わりなく提供される日常に溺れて知らず知らずのうちに忘れてしまっていたのかもしれない。

自分の名前、ウェルテルと書かれた下部には、CDが1枚映っていた。


目前に揃った条件が一体何を示しているのか。理解を拒む意志とは裏腹に、その紙の意味を、何故リツィが言い淀んでいたのかを、ウェルテルは理解してしまった。背筋を伝う汗は、ひどく冷たい。


「みんな……アタシと一緒、ってこと……?」

「……私はそう捉えた。ウェルテルに言うべきか、迷ってたんだ。……私も……見知らぬ過去が、かもしれない。」


船員はみな、誰もが誰も、全く知らないどこかの誰か?


リツィが下方へ視線を逸らし、唇を噛む様が視界の端に映り込む。

船員の誰もが得体の知れない存在である可能性に、リツィがずっとこの事実を、自分もそうかもしれないという不安を抱えていたことに、リツィの痛々しい表情に、ウェルテルはやりきれない思いで顔を歪めた。


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《____船長室にて》


部品が集まりつつある影響か、S▍A*E-▍**W202から7⊃NB3R-J▆CKL9への移動よりも、非常に順調に異空間を進んでいる。時刻は真夜中、船長は未だ万全でない船長室を訪れていた。

ここの修理も進めるべきではあるが、生活の維持が最優先だ。そう考えて、現在は温室の修理を重点的に行っている。‪よって、船長室には修復の手が完全に伸びてはいないのが現状だった。


船長室を訪れた彼の目的は、その最奥の機械である。具体的に言えば、バグを取り除くための機械。その手前で足を止め、丁寧に機械に触れ、操作を開始する。薄暗い室内、モニターの青白い光だけがぼんやりと彼を照らしていた。


少し経てパネルを叩く音が止み、船長が確認するように呟いた。条件反射のように、それを終えたらこう言うのだと、彼の身体に染みついている。幾度となく繰り返した。これが彼の果たすべき役割だった。


「……除去完了。」


出現周期に異常なし。


鈍い稼働音を立てる機械が静まれば、その表面の端に亀裂が生じ、狭い空間が現れた。手を伸ばしそこから何かを取り出すと空間は閉ざされ、機械は眠りについたらしい。手元の何か……バグを出力したUSBメモリを確認して、船長は船長室を後にした。



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《____管制室にて》


順調な航行の影響か、始業数時間前には次の世界の欠片____N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲに到着していた。始業時間を迎え、管制室に集まった面々は新しい欠片に胸を躍らせているようだった。何分、覗き見たこの欠片の景色はこれまでの世界の欠片と一転、晴れ晴れしかった。平和そのもの、そう言っても相違ないほど、美しい。


「おはよう。この欠片の探索を始めようか。無茶はせず、気をつけてね。マップは表示出来る?」

「ん」


眉を吊り上げて返事をしたエマが、機器を操作すれば、見慣れたモニターには初めて目にするこの世界の欠片の全貌が映し出される。

第十話: テキスト

【世界の欠片: N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲのマップが表示されました】

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第十話: 画像

「わ、……探しがいがありそうですね!」

「……!!…! 」

「ほらローちゃん感動で言葉出てないくらいですよ」


ヘデラの言葉に頷き、ローレは目を輝かせる。楽しみで仕方がないと、その表情と仕草で語っていた。彼女の姿に、ヘデラもまた、からかうように言いながらも微笑ましげに目を細めた。


「いくつかの別の欠片が連結して、その特性を統一させていった欠片、だったと思う。この欠片は特殊で、どんどん総数が増えているから……把握し切れていないな。未知の危険があるかもしれない。気を引き締めて、よろしくお願いします。」


そうして船長が始業を告げ、船員は船を降りていく。いつになく広い世界の欠片、今も拡大を続けるここには常に未知が生じている。


未知を恐れることを知りながら、無知に怯えて真実に触れる。そうして、苦しんだ者も欠けた何かを取り戻し満たされた者もいた。


どうすることが正しいのか、記憶は取り戻すべきなのか。自身の出自に無知のまま、新しい世界の欠片に心躍らせる船員を横目にウェルテルは顔を曇らせた。


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《____しはつにて》


船を降りてすぐ、そこに向かうほかに道はなかった。アインスもまた、しはつ、も呼ばれる建物へ足を向けている。

足元に広がる芝生は柔らかく、歩き心地が良い。道は芝生に挟まれた土で示されており、船員たちは敷かれた一本道を順繰りに進んでいた。頬を撫でる風は穏やかで、頭上は高く高く続く青と白。

第十話: テキスト

鮮やかで美しい世界の欠片に、思わず感嘆の声が漏れた。

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第十話: 画像

建物は、船を降りたその時から姿が見えていた。芝生と同じ、眩しい黄緑が光を反射して輝いている。しはつ、と看板を掲げたその建物は狭く、生活を目的とした物ではないようだ。

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第十話: 画像
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第十話: 画像

中に入れば、右手に窓口、左手には木製の長椅子がいくつか並んでいる。休憩所か何かだろうか。先陣を切る船員に続き、アインスも辺りを見回しながら奥へと進んでいった。


奥、というよりも出口だったのか、建物の背面は開けていた。正面には段差を降りる階段もあるが、建物に沿うようにして一定の幅のコンクリートが続いている。その端には黄色いラインが引かれており、段差の先には黒い金属の梯子のようなものが敷かれていた。

第十話: テキスト

青を背景に、つい先程見かけた物と同じような看板も立っている。片側にしゅうてん、と書かれたそれが何を意味しているのか、アインスには分からなかった。

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第十話: 画像

「……駅?」


エマの呟きに、アインスが彼女に顔を向けた。

何やら心当たりのあるらしいエマに話を聞けば、このコンクリートの道はホーム、そして段差の下に敷かれる黒は線路と言うらしい。


「よく知ってるね……すごいや、エマ殿」

「……すごくないよ。でもわかんないこと、エマに訊いていいよ。わかるかも……」


……僕と違って、という言葉は飲み込んだ。自分の悪癖で、折角気にかけてくれたエマの気分を害してしまうことは彼の本意ではない。何やら雰囲気が変わったエマは、背筋を伸ばして前を向いていた。


何が起きる気配もないそのホームから、目の前の階段、その先へ視線を移す。頑丈な柵がついた広い橋は、余程の衝撃がない限り揺らぐことは無さそうだ。迎え入れるように立つ建物は、恐らく、はじまりと呼ばれるそれだった。


色彩豊かなその情景。危険を冒して未知に飛び込まなければはじまりの奥を窺い知ることは不可能だ。船員たちは、その身のままに、はじまりに足を踏み入れた。


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第十話: テキスト
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