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​​第十四話

第十四話: ⑨

《____管制室にて》

世界の欠片から異空間へ向け出航するのは、これでもう三度目になる。

これまでの二回、欠片を離れるそのときには誰もが船出に集中していた。初めての出航ではその期待感から歓声が漏れたり、緊張から誰もが息を呑む瞬間が訪れたりしたものだ。対して今回はたったの一度さえ体験したことがなかったはずの振動にもすっかり慣れ、出航するというのに船員の意識は別の物事に向いている。ただこれは、慣れだけが原因ではないのだろう。

「うん、もう大丈夫だ」

張り詰めた空気は出航したところで緩むことなく、船長が振り返ればそれはいっそう険しさを増した。
三度目の出航に至るまで、本当に、色々なことがあったのだ。船長がディスクについて説明すると告げたことは、その存在が周知となった今、船員にとっては据え置くことなど出来ようもない重大な事項だった。それこそ、出航のことなど二の次になるほどに。

何やら複雑な機器を背にした船長をじっと見つめる。視線を一身に浴びて、船長はそれに応じるように船員を見渡し口を開いた。

「それじゃあ話そうか。ディスクについて、だったね。……みんな、もうだいたい知ってるんだろうけど」

いつもの通り、穏やかな瞳に迷いは無い。事実を並べていく声色も揺らぎなく、どこか無機質で単調に聴こえた。あえてそうしているのだろうか、徹底的にいつものまま。変わらぬ、いつもの船長のまま。それが、ほんの少しだけ気味悪かった。

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《____リビングにて》

髪をまとめていた黒が解け、はらりとソファに横たわる。肩を覆うように零れてきた自身の髪に、ローレはようやく意識を引き戻した。どうやら、結び目が緩んでしまうほど乱暴に頭を掻いていたらしい。考え事に没頭している間に知らず知らず身体が動いているなど彼女にはよくあることだった。


第十四話: テキスト

「あー……もう、面倒臭いな」

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第十四話: 画像

こうなると鬱陶しいから、けれど自分はそうしたヘアアレンジだとかがさほど得意ではないから、後ろでゆるく結っている。もっと色々出来たらな、などと彼を思い浮かべて、途端に込み上げた恥ずかしさに枕を殴ったのは欠片を巡る以前の話だった。
おもいでにて共にディスクを発見して以来、彼には避けられている。気の所為ではなく、明らかに。喉奥から迫り上がる澱んだ不安から再び思考に身を任せようとしたそのとき、扉の開く音がした。

「お?お悩み中っすか?……おお?髪ボサボサっすね」
「……物憂げな顔したレディーにかける第一声がそれかあ〜?」
「わはは!失礼しました!シャルウィ〜ダンス?とかっすかね」
「かなり知識が偏ってるなあ」

軽い調子にあっけらかんとした態度、リビングに姿を見せたのはシンシアだった。無遠慮に思いのままを口に出した彼に目を細めて返答すれば、茶化すような言葉が返ってくる。オマケに、見様見真似、ただのイメージにしてはやけに優雅な仕草までついていて、ローレの眉間に刻まれていたシワはようやく消えた。

緊張が解れたローレの対面に、シンシアが腰掛ける。そうして、彼女の悩みの種にそっと触れた。

「やっぱ、さっきのっすか?」
「……うん。シンシアも知ってるもんな、ディスクがどんなものか」
「そうっすね、見ましたから」

一拍。

「……ああいうの、俺たちにもあるんすね。船長のこと、その話も、丸ごと全部信じていいのかわかりませんけど」

つい先程、管制室での船長の話を思い返し、ローレの声を代弁する。言い淀んでいたローレが俯けば、肩口から滑り落ちた髪がその表情を覆い隠した。

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「ディスクについて。それと、シアターについて。」

「まず、はっきりさせておこうか。ディスクは全員に存在する。船員のみんな、全員に。」

「内容は、君たちの人生。君たちが実際に体験した、君たちから見た嘘偽りない経験が記録されている。そのデータ媒体が、君たちがディスクと呼んでいるものだ。そして、僕はそれを把握している。既に映像を見た船員のものも、未だ目にしていない君たちのものも」

「ああ、誤解させたかな。手元にはない。これまでの通り、今後向かう世界の欠片での探索で見つけられると思う。君たちが見つけたそれは、誰かの人生だ」

「……ディスクの他に、一緒に見つけた物がある?そうか……。……うん、ディスクという異物が世界の欠片に干渉した結果、その場に生成されたんだろうね。僕は把握していないな……出来ようもないけれど。再三になるが、在るべきでない物が世界に干渉した場合、多くは誰にも説明出来ないような異変がその世界に生じるんだ」

「シアターについては知る通りだよ。再生された映像は深く記憶に刻まれる。ああそれと、生活の維持を最優先にしていたから修理が遅れたが、僕はこの機器でシアターで何が再生されているのかを把握することが出来るようになった。今、どの映像が再生されているのか、そこに誰がいるのか、遠隔で知ることが出来る。映像を中断することだって容易だ」

「けれど、その映像が見ている本人のもので、本人が望んでそれを見るのなら、僕は止めない」

「決して失くしてはならなかった思いがそこに眠っているのかもしれない。君達は自身を知って、ひどく傷つくのかもしれない。自分を見失ってしまうかもしれない。乗り越えて、本当の自分なんてものになれるのかもしれない。そんな様々な可能性を踏まえて、それでもなお見ると言うのなら、止めない」

「……何も知らないまま目の当たりにしてしまった子には悪い事をしたね。言われるまでもなく分かっているだろうけど、それは紛れもなく君だ。だが、勿論それが全てじゃない。船員として暮らしてきた君も、今在り方に悩んでいる君も、受け止めて立ち上がった君も、すべて一人の人間だ」

「自分のことを知る機会すらも奪ってしまうのは、あまりに一方的で、君たちの意志を殺している。任せるなんて無責任だが、これ以上僕が邪魔をする権利はない。……何が君達にとって一番良いことなのか、他人が決めるべきではない。ずっと前からそんなことを思っていたが、気がつくには遅すぎた。余計に苦しめただけだったね」

「ええと、脱線してたかな。ごめん。伝えたいのは三点。これまでの人生を映し出すディスクは、すべての船員にあること。僕はそれらの内容を把握していること。映像を見ようとしたとき、よっぽどの事情が無ければ止めはしないし介入もしない……つまり、知ろうとする君たちを邪魔しないこと」

「……驚くことばかりだろう、どう思ってくれても構わない。信じても信じなくても、納得しても不満に感じても、失望しても構わない。全部君たちの自由だ」

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「ボクは嘘じゃないと思う。ボクにも、シンにもきっとあって、……」

自分にも、あのような過去があるのかと。率直に述べれば、あのような、凄惨で辛いばかりの過去があるのかと、衝撃を受けたのは事実だ。

「ボクの知らないみんながいるんだなあって、なんか、悲しくて」

それ以上に、共に過ごしてきた船員、そのすべてに見知らぬ別人であった時間があるという現実が、重く、重く伸し掛る。信頼していた、気恥ずかしくて口に出来ずとも大好きだった誰も彼もに別の顔があって、関わりなどない何処かで全く違う道を生きてきたのだと思うと、ひどく遠い存在のように思われた。こんなにも近くで笑い合っていたのに。

「あと、ボク分かったことあってさ」

同時に、N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲでディスクを発見して以来感じ続けてきた些細な違和感を、そして、それに対する自身の見解を、投げやりに口にする。

「ヘデラに避けられてるんだ。もうしばらく話せてない。……きっかけは分かってる。ボクらの関係が変になる前、ディスクを見つけたんだ。全員のディスクがあるのならさ、多分ヘデラは、それ見て思い出したんだよ。自分のこと。それで、ボクが嫌になった」

たどたどしく、ぽつりぽつりと思いが零れる。シンシアは、そんなローレの本心をほんの少し眉を下げて聴いていた。
ローレを避けようとするヘデラもまた、きっと、ローレの存ぜぬ間にひとりでそれを受け止めた。支えられる存在でありたかったのに、そんな思いに反して彼にとっての自分は頼りない存在だったのかもしれない。対等でない、庇護下に置くべきか弱い存在だったのかもしれない。
それがどうしようもなく情けなくて、寂しかった。

「あの子が思い出したってのは、正直有り得ると思います。俺の感覚的にも」
「……」
「……どんな過去があったって今も昔も地続きの一人の人間だって、船長言ってましたよね。だったら、俺たちの知ってるヘデらんだって嘘じゃないっすよ。君の思うヘデらんって、理由もなく誰かを避けたりそれで傷つけたりする人でした?」
「そんなことない!!」

思わぬ問いに勢いよく顔を上げ、間髪入れず否定する。そんな人間ではない、ローレが好きな彼は、あいつは優しい奴なんだ。
寄越された返事にシンシアは満足気に目を細めて頷いた。

「そうっすよね!じゃあやっぱり、一回ちゃんと向き合って話してみた方がいいと思います。何か考えがあるのかもしれないし悩んでるかもしれない、そうだとしたら、あの子を支えてあげるべきなのはほかの誰でもなくて君っすよ。避けられるのなら追いかけて捕まえちゃいましょう!鬼ごっことか久しぶりっすね、俺ちゃん手伝いますよ」

名案だと言わんばかりに手を鳴らし、続けて非現実的な作戦を提案しては一人楽しげに話すシンシアに、目を丸くしていたローレの表情はいつしか和らいでいた。頬に触れる髪を煩わしげに耳にかけ、口を開く。

「出来ればボクは走りたくないな」
「え!じゃあ『走れ!跳べ!そこで討て!追い込み漁大作戦〜挟み撃ち〜』……とかは却下っすか?」
「出来れば穏便にいきたいな」

二人きりの作戦会議は熱を増し、廊下には晴れやかな声が漏れる。先程までの陰鬱な静けさなど見る影もない。そこにあるのは、船員が紡いできたこれまでのような、他愛もない日常だった。

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 《____管制室にて》

こうしたイレギュラーに巻き込まれる以前から、彼女はリアリストであったように思う。一歩引いて物事を俯瞰し、場の空気というものに飲まれることもなく、確固たる自我を持っている、そんな形容が似合う船員だった。だけれど、なんだろうか。

「リツィ、焦ってる?」

第十四話: テキスト

「……エスペランサ……」

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第十四話: 画像

当たり障りのない言葉を最後に船長が背を向けてから、もうしばらく経った。押し寄せる事実の波に微動だに出来ずにいた船員や、一人で整理したいのか早々に管制室を去る船員、我関せずといった様子の船員も見られ、渡された説明の受け取り方は十人十色だった。

エスペランサは、そんな船員たちの表情を窺っていた。彼もまたわずかに動揺しながらも、歳若い彼らが不安を抱えてはいないものか、思い詰めてはいないものかと気を配っては顔を曇らせていた。何も知りはしない自分が掛けられる言葉なんて限られていて、針を飲み込んだように言葉は詰まる。突き付けられる自身の無力さに、ひどく心臓が痛んだ。
そうして船員たちを見届けていけば、管制室には立ち竦んだまま拳を握り締めたリツィが残った。珍しく感情的に船長に詰め寄った張本人。

「近頃の君はなんだか難しい顔ばかりだね」
「……心配させたか、すまない。大丈夫だ」
「リツィ。……君の、不安とか、不満。みんなの様子からして、なかなか言える相手なんていないと思うから、聞かせてほしいな。僕で良かったら……なんだけど」

彼の声色に、気を遣わせてしまったことへの罪悪感ゆえなのだろう、リツィはわずかに眉を寄せ目を開く。あまり弱音を吐き慣れていない彼女だ、人に頼ることに躊躇いを覚えるのも無理はない。エスペランサはそんなリツィを見つめ、続ける。

「僕はね、完全無欠で絶対に疲れることのない人なんて、いないと思うんだ。リツィは率いる立場にあるからさ、きっと、一人でやらなきゃいけないと感じることも多いんだろう。でも君も、当然僕らと同じ等身大の人間で……ちょっと参っちゃうこともあるかなって。自覚無いかもしれないけど、今みたいにね」
「……エスペランサから見て、今の私は弱っている、のか?」
「うーん……少なからず疲れてはいるし考えすぎて迷子になってるように見えるね。それに、いつもよりもなんだか感情的だ。……みんな、疲れやストレスから頭が働かなくなってることが原因なんじゃないかな」

感じていた彼女の違和感を率直に告げる。下手に優しく前向きな言葉で伝えるよりもありのままを伝えた方が、心に届く。

「そうか。……驚いた、私は、弱っていたのか」
「自覚出来たのは良い事だよ。解決策が見つからなくても、話すことで解消される部分もある。そういう話をできる……弱音を吐ける相手がいると、少しは気が紛れるんじゃないかな」

エスペランサがそう言って微笑めば、リツィは、敵わないなと大きく息をついた。
彼女には恋人がいる。信頼している、大事な人だ。彼女がリツィに向けている想いは、弱音を吐いたところで失望し離れていくような、そんな脆いものではない。それはリツィも理解している。その自負がある。けれどリツィは、弱い自分を見せたくはなかった。彼女にとって頼れる存在であり、強い人間でありたかった。だから、彼女に対して弱音なんて吐きたくないのだ。
そもそも、吐くような弱音すらないものと思っていた。指摘されて初めて気がついた。手の届く範囲のことさえ上手くいかないような焦燥感や虚しく沸き立つ苛立ちは、そんな熱に魘され躍起になっていたことは、精神的に追い詰められていたから、余裕が失われていたから現れたのだと、自覚した。どこか腑に落ちて、さあっと熱が引いていく感覚がした。

「……エスペランサ、まだまとまってはいないから支離滅裂だろうが、少しいいだろうか」
「もちろん、どんなことでも」
「私は船員の皆のことを信頼している。大切な仲間だとも思っている。その上で、……おそらく私は、皆に不満がある」

芽を出したばかりの、まだ弱々しくやわらかな思いを口にする。言葉にしていく最中、自分は何に納得が出来ていなくて不満なのか、何が気にかかっているのか、整理がついたようにも思う。

「皆、どうしてああも楽観的でいられるんだと。こんなこと……ディスクのことなんて、私たちの知識の上では、普通ならあってはならない事態に違いないのに、私たちはみんな騙されていたのに、何故船長を手放しに信頼しているのかと。情報が正しいとも言えないのに、これまでの全ても本当にあったとは言えないのに、どうして何の疑問も抱かないのかと」

固い表情を崩さず淡々と語る様は、紛れもなくエスペランサの知るリツィのものだ。しかし、そのまとまりのない内容や連ねていくばかりの言葉は拙く、普段の論理的な物言いは失われていた。エスペランサは、視線の合わないリツィの声を受け止め、押し黙って聴いている。

第十四話: テキスト

「……私が神経質なだけだろうか。私に、皆にはあるような情が無いだけだろうか」

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第十四話: 画像

その一言を最後に、リツィは口を閉ざした。
ディスクの内容ではなくそのものやその出処を問題視する自身の価値観は異常なのか。異なる価値観の船員の様子に不満を抱くことは悪なのか。自身の持つ視点は、異質な、排すべきものなのか。言い換えれば、そんな悩みを抱えている。そう、リツィは自身を理解した。声にしなければ形にならなかった、見つけられないままに死んでいたであろう思いを整理して理解して、飲み込んだ。
エスペランサもまた彼女の思いを汲み取っている。リツィが口を噤んだことを確認して、浅く息を吸う。

「話してくれてありがとう。リツィは、そう思ってるんだ。……僕が思うに、君の考えはとても貴重で、大切な視点だね。不満を感じてしまうのも当たり前だし悪いことじゃないよ」

盲点、と呼ばれる認識されない問題点。声を上げなければ、視野を広く持たなければ浮上することは無く、知らぬ間に溶けて消える、のちに重大な失陥を引き起こす可能性がある問題点。エスペランサは、リツィがそうした盲点を照らせる考えを携えていることに、素直に感心した。それが彼女の長所だと、再確認した。……こうして、価値観を否定することなく真剣に受け入れられるのはエスペランサの長所である。打ち明けられた悩みを茶化すことなどなく、大切に、丁寧に触れて、寄り添える。そんな心優しい彼だからこそ、頼るべき相手として船員に慕われている。

「何をどう感じるか、それは性格だし個性だよ。みんなと同じなばかりが良いなんてそんなはずはないし、誰も彼もが一緒だったらきっと世界は破綻する。バグなんてなくたって簡単に壊れるよ。人がいて、それぞれの価値観があって、生きていて……そう考えると、この船の中もひとつの世界だから、だなんて、良いこと言おうとしすぎかな」

エスペランサが照れ臭そうに頬を掻く。いつしか彼に向き直っていたリツィの、真っ直ぐな瞳を見つめ返して続けた。

「僕には、無責任に、こうしたら良いって解決策を挙げることなんて出来ない。リツィの悩みに向き合うのは、リツィにしか出来ないことだと思う。……今、自分が弱ってるんだと自覚して、無茶をしないこと。このままでも大丈夫だと、力を抜くことが出来ること。悩みがあるなら解決しようと考えること。一人で抱え込むべきじゃないって知ること。……僕に話してくれたこの経験を通して、今挙げたようなことが叶うなら、……叶ったならいいなあ」

自分の願いを語るように、一人言のようにそう告げた。
伝わったらいい、知れたらいい。自分の考えを整理するために他人を利用するのは悪ではないし、相談とは解決を目的にしたものではない。誰しも、誰かに知ってほしい、認めてほしい、肯定してほしいという欲求を根底に抱えている。人が一人では生きられない要因として、そんな欲求があることも挙げられるだろう。
だから、エスペランサは否定しない。受け入れたいのだ。許容したいのだ。大切なみんなが折れてしまわないように、支えられるように。そうして話した末に大切な誰かが自信が持てたのなら、それ以上に嬉しいことはない。稀に持ちすぎることもあるようだがあるに越したことはないだろう。調子の良い台詞は聴いていて飽きないとは、経験をもって知っている。

エスペランサの呟きは静まり返った管制室に消える。リツィの顔から強ばりが失せ、ふっと頬が緩んだ。

「ああ。善処しよう。……気が付かせてくれてありがとう、エスペランサ」
「僕は何もしてないよ。でも、どういたしまして。話、聴くくらいならできるからいつでも声掛けて。……あと機械のことも。得意分野だからね」
「そうだな。信頼している」

憑き物が落ちたように、というほどあからさまでないものの、リツィの表情は心做しか晴れやかだ。吐き出せないで燻るばかりだった黒いものを形に出来たことは、リツィにとっては大きな収穫だったらしい。
いつも通りを取り戻したリツィ、そのどこか穏やかな面持ちに、エスペランサは口許を緩めた。

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《____甲板にて》

難しいことばかりを考えていては頭が痛くなるから、ここは一旦保留にして気分転換でもしよう。そんなことを言って、連れ立って甲板に上がった。
二人は各々の思いのまま、甲板の手すりにだらりと凭れかかってはゆるゆると思い出せもしないような話をしている。既に終業時間を回っており時刻は夜だが、異空間を冠する甲板が船内のように暗くなることはない。常に眩いパステルカラーが視界を染めている。
たまに視界が黒に覆われるのは、「だーれだ、なのだ!」だとかなんとか言いながら、二人きりのこの甲板でクイズを試みる親友が原因である。

「お?……スイ、あれ次の欠片っスかね」
「んにゃ?……んー??」

「真っ黒なのだ」
「真っ黒っスよね」

トロイが指し示した先には、黒に塗り潰された大きな浮遊物。おそらく、世界の欠片____PA■┷H▊RA-L▊*44。世界の欠片を覆う膜を境に、欠片そのものの影すらも捉えられない闇が広がっていた。

前の欠片____N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲでも膜はあったものの、連なる欠片の様子は観察できた。欠片の膜を通り抜ければ異空間の風景が一変……つまり、膜の内側には青空が描かれていたのだが、移動・到着の際欠片を観察するのに、膜の存在は加味せずとも問題は生じなかったのだ。ちなみに、欠片から異空間を覗いてみる場合でも、薄らぼんやりと異空間の様子を確認することが可能であった。
対して、この欠片はどうだろうか。膜を境に、何もかもが黒塗りされている。観察など到底出来そうもないし、この様子ではいくら船長であれど安全に停泊するのは困難だろう。ただ、なんと言ってもここは世界の欠片。何か前例があったとしても「N▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲはそういった構造だった」としか言えないため、特にN▄U▄>CH-K▄▄>Ⅲが比較対象にはなることはないのだが。

一体どうするのだろうか。
二人、迫る黒の塊を前に他人事のように考える。呑気に話をした覚えがあるが、やはりどうでもいい、なんてことない話題ばかりで、何を話したのかはついぞ思い出せなかった。思い出されることもきっと無いだろう。そんな、日常の積み重ね。

ほかの船員から報告を受けた、あるいは自身で気がついたのか、船長から全員へ向けた無線が入る。慣れた手つきで応答すれば、すぐに聞き慣れた声が耳に届く。

『こちら船長。次の欠片、目の前の黒いのなんだけど……今停泊するには危険すぎるから、しばらく欠片周囲を旋回して様子を見ることにする。操舵は僕がやるからみんなはゆっくり休んでおいて。始業までに改善されて、もし可能そうなら泊めておくよ。それじゃあ、朝礼はいつものように管制室で。お疲れ様』

プツ。

「どうにかなるもんなんスかね」
「んんー……なるなるにゃ〜る」
「フフッ、テキトー。うとうとしてるでしょ」

夢見心地な翠の頬を摘んだり、軽く引っ張ったり。それでも未だ足取りの危うい翠の手を取れば、眠気が移ったのかトロイもまた大きく欠伸をした。ただ黒だけが存在する欠片を背に、二人は甲板を後にした。


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《____管制室にて》

支度を終え、管制室に集う。朝礼前に一度船外の様子を覗いてみたが、そこに眼前に広がる一面のパステルカラーは無かった。どうやら船員が寝静まったのち、問題は解消されたらしい。無事にPA■┷H▊RA-L▊*44に停泊出来たようだ。

「おはよう。ここはもう、次の欠片だ。ただ……この欠片の内部が真っ暗になっていたのを見たかな。あれなんだけど、朝になる頃にさあっと色が引いていって膜が透明になったんだ。……膜が、と言うより欠片の内部であらゆる光が消え失せていた、あるいはすべてのものが真っ黒に色を変えていた……多分、前者かな。ここには、あらゆる灯りが無意味になる『夜』がある」

欠片を覆い隠すベールが取り去られるように、その黒は褪せたという。現れた欠片の色彩に異常は無く、船上からも欠片の景色が窺えた。断言は出来ないが一定時間ごとにこの世界の欠片は光が失われるのだろう。船長はそう仮説を立てた。つまり、この欠片には夜がある、昼夜があるのだと。 

「今のところ、偶然一致したのか同期されたのかは分からないが、船内の日中から夜への切り替わりと同様のタイミングで風景が変化している。……でも確証は持てないから、申し訳ないが、今回も様子を見よう。サイクルが分かれば、そしてそれを遵守すれば、探索も出来る。もし昼間に探索するにしても一人じゃない方がいいだろうね。……うん、やっぱり、慎重に行こうか」

思わぬ休暇に戸惑いながらもぱらぱらと船員たちが頷いた。見知らぬ世界で突如視界を奪われることの危険性は十分に理解出来る。外に出ること自体に不安を覚える船員もいるようだ。

「ああそうだ!マップ、もう表示できるだろうから出しておこうか。ウェルテル、いいかい?」
「アタシ?おけまる〜、ほいっ」

ウェルテルがすぐ目の前に鎮座する機器に手を伸ばせば、瞬く間にモニターに画像が浮かび上がる。暗転していたモニターが起動し、欠片の全貌が映し出される様は、ちょうど先程見たこの欠片の夜明けのようだ。

第十四話: テキスト

【世界の欠片:PA■┷H▊RA-L▊*44のマップが表示されました】

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第十四話: 画像

「全然分かんないじゃん!!何これ、A、B……?アタシ数字で場所とか覚えんのニガテだよ〜……」
「そういう名前の区域なんだろうなあ。なんかこう、機械的?だな」

マップを目にした船員が思い思いの感想を並べる。まだ、船を降りることは許されていない。恐らく次の朝礼を経なければ、探索には出られない。平面上のこの絵がどう立体に置き換わるのか、想像は膨らむばかりだった。
到着しているのにも関わらず船内に拘束されるのは少々不服だが、この世界の欠片の昼夜が一体どんなものなのか、安全な場から自身の目で確かめたいのもまた事実だ。……それに、あれほどの黒の中に、この夜自分たちは居ることになると思えば、何故だろうか、少しわくわくするような。

以前よりも恐怖が強い、けれど確かに胸を躍らせている。そんな彼らの瞳を前に、船長は表情を和らげた。

「欠片の特徴を確認するため、探索には向かわない。不透明な状況では危険があるから、船を降りない。業務も大丈夫だ、休暇にしよう。各々船内で自由に過ごしてくれ。早い終業だけど、お疲れ様」

船長が終業を告げれば、管制室は賑やかな話し声に包まれた。


新たな欠片、PA■┷H▊RA-L▊*44。ほかの世界の欠片と同様に、固有の特性を有した欠片である。
ここで見える景色は、ここで得られる経験は、果たして彼らにどのような思いを抱かせるのだろうか。どのような絆を紡ぐのだろうか。一体何が正しくて、何が嘘なのだろうか。善悪とは何を基準としているのだろうか。
この船は、正しいのだろうか。

悩みは尽きない。いつだって、尽きやしなかった。

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第十四話: テキスト
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