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​​第十三話

第十三話: ⑨

《____リビングにて》


見知らぬ世界の欠片を進み隅々まで見て回る探索業務は、普段と異なる散歩道をゆく、冒険のようなあの感覚に似ている。


業務を終え船に戻った鮫は、リビングで些細な考え事をしていた。

彼が今回の探索で訪れたたのしいが遊園地そのものだったことに対して、娯楽の少ない船で暮らす年若い船員たちを連れてきて、そこでみんなで遊ぶ日があってもいいかもな、とか、そんな程度の考え事。

数あるアトラクションが従業員も無しに独りでに動く中で、花形であるジェットコースターが点検中だとかで止まっていたのは残念だった。

きっとこんなもの知らないであろう、ここで出会った自身の恋人を思い浮かべて溜め息をつく。

スリルを好むトロイだ、ジェットコースターだなんて、きっとすごく喜んだ。他のアトラクションでも口や顔に出さずに密かに喜ぶだろうから誘うつもりではあるけれど、訪れたら訪れたで彼女にジェットコースターの楽しさを教えられないことが一層惜しくなるのだろう。


そんなことを考えながら、ソファに頭を預ける。

気楽に、なんでもないことばかり考えられれば良いのに、そうもいかないのが人の脳だ。逃避したい物事であればあるほど、思考に隙が出来た途端に所構わずそればかりが思い浮かぶ、厄介なつくりをしている。


……自身の軽はずみな提案を契機に、大切な恋人や親友にまであんな記憶を見せてしまったことへの罪悪感は、未だ頭の片隅で在り続けていた。恐らくこれは、面と向かって腹を割って話をしたとて消えることの無い罪悪感で、抱え続けていくべき後悔だ。彼らが離れていってしまったとてそれを止める術も権利もないと、彼はそんな事態になることまでも想定し、受け入れていた。だから自ら話しかけることはしなかったし、珍しく、受け身に彼らを気にかけていた。

そうして数日経て、欠片を移動し、わんぱくで気味の悪い出来事に見舞われた。たのしいの門前でわんぱくでのことを思い返して僅かに足を竦ませた鮫にとっては思い出せば自ずと顔が歪むような出来事ではあったが、同時に嬉しい出来事でもあった。


トロイが、心配してくれたから。


映像を見て以来、トロイが鮫たちに声をかけたのはあの瞬間が初めてだった。思い詰めていたのか表情の暗かったトロイが、彼らへの思いやりから鮫や翠を叱る、深い愛情に由来するその態度を再び見せてくれた。鮫たちに対して、映像を見る以前とは全く異なる印象を抱いているはずなのに、変わらず心配してくれることに、どうしようもない愛おしさを覚えたのだ。……自分が、これからも彼女を愛することを許されたような気にさえなったのだ。二人を思って心を砕き息を切らしてくれていたというのに、そんなことを考えていたなんて知られればきっと怒られてしまうから、これは鮫だけの秘密だ。

もう関わってはくれないのかもしれないと、そんな可能性だって聞き分けの良い振りをして受け入れていた。けれど、変わらぬトロイの姿に、これまでを諦めるなんてどれほど勿体ない選択をしようとしていたのかと自覚した。さあっと遮蔽物が退いて、視界が開けた気分だった。


鮫にとっての家族とは、翠と、記憶の彼方で笑顔を見せる両親だ。それは揺らがない事実にほかならないが、船員たちのことを大切に思っているのもまた事実だった。自身が漢林なのだと思い出したのだから、鮫としての想いや周囲との関係性はすべて切り離して捨てるのかと問われれば、今の鮫は首を横に振ることが出来る。捨て難い感情を両手いっぱいに抱えていたっていいだろう。鮫であれ漢林であれどちらも自分で、彼はもう、自分の人生は自分の物だと胸を張って言えるのだ。鮫は、漢林は、元来欲張りな人間だった。


思考を逸らし考えないようにしてきた問題だって、蓋を開ければこんなものだ。案外前向きに捉えられたことに、ほんの少しだけ拍子抜けした。無理やりに過去を押し付けてしまった後悔を背負っていく、それは、もう曲げられない大前提だ。問題はそこからどうするかで、鮫は、何ひとつとして諦めず貪欲に生きていくことを選択した。妹も、家族も、恋人も、親友も、そして船員たちのことも、すべてを望んで、強かに。


息を吸う。肺が膨らむ。とくとくと心臓が脈を打つ。

自分は、今も生きている。


深く吸った息をゆっくりと吐きながら伸びをした。一人の時間も悪くはないが誰かと共にいる方が性に合う。立ち上がろうとして、ふと、気がついた。


「……なに、どうかした?そんなとこで突っ立ってないで入ってくればいいのに。」


僅かに開いた扉の奥で、ぼうっと立つのみの影。鮫に声をかけられたことを自覚していないのか反応はない。涙の跡が残る痛々しいその顔に、鮫は、眉を寄せて続けた。


「……アインス?」


ぴくり、と、彼の眉が動いたような気がする。


「無視とか感じ悪くない?……隣来れば?その酷い顔の理由くらい、俺様が聞いてあげるからさ」

「……」


じっと黙り込むアインスは、今にも消え失せてしまいそうに危うい。その場を動こうとしないアインスだったが、鮫が呆れたように頭をかけば、わずかに喉を震わせた。


「…………僕のこと……見える……?」

「……はあ?何言ってんの?」


訝しげに眉を顰める鮫に構わず、揺れる瞳のまま、続ける。


「僕、ちゃんと、いる?」


小さな子供が誰かに縋るように、ぽろぽろと拙い言葉を零す。


「ああ、ちがう、違う、これは違って、……ごめんなさい、僕が、」


許しを乞うような視線の先に、誰を映しているのだろうか。

何か、錯乱しているらしい彼の姿に、鮫は徐に立ち上がりアインスの目の前まで距離を詰めた。

ぐい、と覗き込むようにして、しっかりと目を合わせる。名前を呼ぶ。


「アインス」

「あ、あにうえどのは、みんなは、……」

「アインス、ちゃんと見て。お前の前には、誰がいる?」

「………………」

「おーれーさーま!鮫だよ、わかるでしょ?」


アインスの瞳が、ようやく目の前の姿を捉える。恐る恐る、喉の奥から絞り出すように、枯れた声で呟いた。


「……鮫、殿」

「そうそう。俺様がいんの。で、お前は?」

「…………アインス……」

「うん、正解。ほら、いるじゃん。何を見失ってるんだか知らないけどさ、ちゃんといるよ。いるし見えてるし、触れもする。」


満足気に口の端を引き上げてみせた鮫は、そう言って、アインスの頭を二度撫でた。

第十三話: テキスト

「俺様が俺様なように、アインスはアインスなんだから。……ま、お前もなかなかいいとこあるんだからうじうじしてないで胸張ってろって」

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第十三話: 画像

その言葉を耳にした途端、無理矢理拭って止めたはずの涙が堰を切ったように溢れ出した。

……涙とは、苦しいものだった。否定されて、努力が無意味なのだと知って、後ろ指を指されて、大切を失って、そんなときに否応なしに溢れてくるものだった。望んでもいないのに壊れた心に応ずるように好き勝手身体は嗚咽して、目の奥はひどく痛んで、息も出来ずに無様に溺れて、でも人目を気にしなければならなくて、声を押し殺して、苦しくて、何も良いことなんてないものだった。思い切り泣いてスッキリするだとかそんなものは迷信で、ただ、枯れ果てた先に途方もない虚しさが残るだけだった。アインスにとって、涙とはそういうものだった。そういうもののはずだった。

だが、これは何だろうか。指先がじわりと熱を帯び、体の内から湧き上がる知らない何かに目が眩む。大嫌いな、頬が濡れる感覚も息が上手く吸えないことも、何故だろうか、いとも簡単に受け入れることができた。悪くない、とも。


無条件に受け入れられたようで、存在そのもの肯定されたみたいで。

そこにいる、それだけでも、認められたみたいだ。


鮫は、詳しい事情を知らない。知る由もない。目の前の、大切にしていこうと決意したうちの一人が、恐らく彼自身の過去のせいで苦しんでいることしか分からなかった。だから、これはただ、落ち込んでいる様子の彼を励まそうとした、日頃から評価していた彼の勤勉さに対する思いのままの言葉だ。飾らない、ほんの少し気を遣ったそんな励ましが、今のアインスにはひどく沁みる。

一時しのぎに過ぎない、それはわかっている。映像を踏まえたアインス自身の思いを再確認して、その後困難をどう処理するかは彼次第だ。けれど、それでも、受け入れ難い現実を目の当たりにした16歳の少年が、その動揺を落ち着けるには十分だった。あたたかい気持ちに包まれて、人目なんて気にしないで、声をあげて泣いた。


鮫は、目の前で突然泣き出したアインスに一度は戸惑いを見せたものの、すぐに、落ち着くようにと一定のリズムで背を撫ではじめた。確かに感じる手のひらの温もりに、ああ、自分は一人ではないのだと悟り、一層勢いを増して泣いたのだ。泣いて、喚いて、迷信も叶ってしまいそうで、なんだかおかしかった。


気が済むまで泣いたらしいアインスは、疲れていたのか眠ってしまった。なんで俺様が、なんて呟きながら、背中から聴こえてくる規則正しい寝息にふっと頬が緩んだ。

あえて自らすべてを捨てる必要はないのだと、過去だって大事に抱えてそうして歩いていけばいいのだと、いつか、彼も気がついてくれるだろうか。


アインスはきっと、心地よい揺れに、かつての兄との幸せな夢に浸っている。



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《____管制室にて》


『部品、持ってきたぜ!』


扉が開け放たれたままになっており、先程まで人がいたらしいリビングを通り過ぎて、ペスジアは管制室を訪れた。


もう何度探索で部品を見つけてきただろうか。エンペラーのいない片手に金属片を持ち、慣れたように船長に声をかける。

朝礼のほかで訪れることも少なくなった管制室は、異空間で通常業務をこなしていたときの賑わいが嘘のように静まり返っている。

管制室の奥、ほぼ触れたこともないような機械を前にする船長が、声掛けに応じて振り返った。


「ペスジア、じゃなくてエンペラーかい?ありがとう。おかげでもうそろそろ集まりそうだ」

「いえいえ。船長さん、難しい顔してどうされたんですか?」

「んー……調整、ってとこかな?やっと直りそうなんだ、これ。……自己満足みたいなものなんだけどね」

「……お邪魔でした?」

「いや、今は……大丈夫。」


機械を見遣り、大丈夫だと告げた船長の表情はどこか険しい。ペスジアには、彼の背後、画面に並ぶ文字列が忙しなく動く様に何かの意味を見出すことは出来なかったが、きっと船長の目にはこれが示している何かが目まぐるしく変わる映像のように浮かび上がっているのだろう。

ふと、傍らに置かれた探知機が目に入る。これも確か、壊れていたような。


「探知機、今回はまとも……みたいですね」

『直ったのか?』

「ああ、あの不調は壊れてたんじゃなくて……前の欠片には、他の船があったからだと思う。船を構成する金属の組成が似てるから探知機が誤認識して……とかは、どうでもいいか。直ったというか、あの欠片が特殊だっただけだ。ペスジアも見てきたんだっけ」

「……船長さんはあの船のことご存知なんですね」

「はは、ご存知ってほどは知らないよ」


ペスジアの脳裏に、かの船の連絡室でメインコンピュータが突然動き出したときの光景が蘇る。OZ、という文字と共に表示された、幼い姿。

……知らない、という船長の言葉に素直に納得出来るほど、ペスジアは盲目ではない。けれど、ここで踏み入って言及することが出来るほど器用でもなかった。ぐ、と口を噤む。沈黙。


「……どうすべきなんだろうか」


ふいに船長の口から零れ落ちた、誰に向けるでもない無意識の言葉。ペスジアに話しかけているでもない、独り言のような、弱音のような。


「こんなにも、何が最適で何が正解なのか分からないのは、初めてなんだ。……情けないな。」


俯きがちに、静かに、自嘲気味に笑う。見慣れないそんな姿に、船長たる肩書きを脱いだ彼自身を垣間見たような気がした。

ペスジアは身動ぐことなく、彼の言葉を丁寧に受け取る。聞き逃してはならないと、そう思った。ほんの少し間を置いてペスジアが口を開く。


「……みんな、船長さんのこと好きですよ。」

『俺も好きだぞ!』

「だから、……あまりに気負っている貴方を見ると、きっとみんなも辛いです。」


僅かに瞳を揺らした船長に、続いて告げる。これまで船長然として隙を見せなかった彼が真っ直ぐに言葉を受け取ってくれるのは、きっと今しかない。


「苦しみを分かち合えるように、私たちは、船員たちは一緒にいるんじゃないでしょうか。先頭に立つ貴方が一人で悩んでいて、みんなは、ついてきてくれるでしょうか。何ひとつ相談出来ないくらい、船長さんの中の私たちは頼りないですか?」

第十三話: テキスト

「……みんなそれぞれ気を許せる船員がいるように、船長さんにも私たちがいること、どうか忘れないでくださいね。」

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柔らかく微笑んで、なるべく穏やかな声色で。けれど真剣に、伝わるようにと思いを込めて。責めるつもりは毛頭ない。船長から見た船員たちが庇護の対象であろうことは、ペスジアも理解している。それでも、それを知った上で、頼ってほしいと伝えるのだ。家族のように慕う人々の一員に、苦しんでほしくない、分け合えるのならば分け合いたいと、そんな気持ちを伝えるのだ。単純であたりまえな、親愛の情だった。


ああ、驚いている。思いもしなかったと聞こえてきそうな顔をしているのがなんだかおかしくて口の端から笑いが洩れた。


「ふふ」

「……いや、ちょっと、……そうか。君はそう思ってくれてるのか」

「代弁したまでです。私だけじゃなくて、みんなも思ってますよ。ほら、この子も。」

『思ってるぞー!!』

「……隠し事に怒っていたり、びっくりして一時的に船長を避けてしまったり、そんな子達もいるでしょうけど。」

「それは仕方ないよ。そのまま嫌われたとしても、僕は甘んじて受け入れるつもりだ」

「……そういうことじゃないですよ」

「はは、違うよ。"そういうこと"なんだ、ペスジア。」


いつもの調子が戻ったらしい船長が、長時間の作業に固まった体を解すように伸びをする。一息ついて、改めてペスジアへ目を向けた。


「……気を遣わせて悪いね。らしくない、嫌なことを聞かせた。……励ましてくれてありがとう」

「私の言ったこと、……忘れないでくださいね」

「もちろん!……でも、今はまだ、ごめんね。」


君達に嫌われることが、今更恐ろしくなってしまった。そんな思いは飲み込んで、船長はいつものように、困ったような笑みを浮かべた。



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つまらない夢を見せられていた。

幸せで、平凡で、退屈で、在り来りな毎日を繰り返すだけの夢‪を。

……ああ、正に丁度、あのくだらない世界のような夢だ。



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《____しゅうてんにて》


朝礼にて、今回の探索を終えたら一度全員管制室へ集まるようにと通達された。話す船長の片手には探知機があって、残る赤は数少ない。つまり、恐らくこの探索で部品が見つかるだろうから、そろそろ次なる欠片へ移動する、そんな話なのだろう。


「ではペスタ、出発しましょう!ずんずん奥に進みましょう!」

「そ、……そうですね!行きましょ〜!」


誰がどこまで探索で進んだのか、ラズは知らない。ならばとりあえず、自分の行っていないところ……最奥の、しゅうてんまで進んでみようと考えたのだ。けれどひとりきりでは寂しいから、未だ出発する様子のなかったペスタを誘った。快諾に花を咲かせて喜んで、ペスタが一緒ならば、ともう一人、モスグリーンを探したが、既に出発してしまったようだった。残念。

各々が両手で拳を握り込み気合いを入れて、長い長い石畳を越えていく、道中。同じことを考えていたらしい船員、一足先にしゅうてんに辿り着いたと思われる後ろ姿を見た。遥か後方から彼の姿を視界に捉えたラズが、瞳を輝かせて声をかける。


「シャルル!!」

「お、ラズに、ペスタも。お前らもここ見に来たのか?」

「ええ、そうです。一番奥まで行きたかったラズに、ペスタが着いてきてくれました!」

「へへ、着いてきました!」

「はは、そうか。……あー、そんなお前たちに残念なお知らせなんだが、ここは何も無さそうだったぞ」


そう言って、シャルルが背後の建物を見遣る。彼につられるようにして、二人の視線も移動した。

第十三話: テキスト

しゅうてんの景観は、アハルディア47が停泊しているしはつのものとよく似ていた。視界の先の建物もどこか見覚えがある、というよりも記憶のしはつそのものだが、書かれている文字だけが異なっている。そしてパネルには、「しゅうてん」の文字が浮かんでいた。

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第十三話: 画像
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ここは、物事の終わり、終着点を意味する、しゅうてんだ。


シャルルの言葉を疑うつもりは毛頭ないが、このまま船へ戻るのも勿体無い、ような気がする。無駄足だったとしても、ひとまず中や奥にも向かうことにした。シャルルは少しも間を置かないでの二度目になるが、二人に連れ立って、再度しゅうてんへ踏み入れた。


中に入れば、外見の通り、ここもしはつと同じつくりであることがわかる。待合室に何も無いことを確認し、通り抜けると、足元に黄色いラインが引かれた、開けた場に出た。

第十三話: テキスト

そこに掲げられた、青空を背景とした看板には大きくその建物の名が刻まれ、ここで見ることはないだろうと踏んでいた「しはつ」の文字も見受けられる。そして、マップでしか目にすることのなかった、「ないしょ」の文字も。

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しはつでは段差の下に降りる階段があり、また、そこから橋が連なりはじまりを訪れられるようになっていたが、しゅうてんに段差を下る階段もどこかへ連なる橋も見当たらない。段差の下に地面は無く、マップにおいても終着点であるため、当然と言えば当然だった。


「う、高い……ですね。もし落ちたら……と思うとゾッとします……」

「下手なことしなけりゃ落ちねえよ、多分ペスタが助けてくれるし」

「僕ですか!?」

「シャルルは助けてくれないんですか……!?」

「はっはっは!それにしてもこれ、どう浮いてるんだろうな」

「ご……誤魔化し……!いいんです、ラズはシャルルのこともペスタのことも絶対助けますからね……」


軽く覗き込んでみれば、地面が無い……つまり、何も無いはずのそこには、しはつでも見たような黒い梯子が走っている。梯子の間から見える景色は、見上げた時に見られるものと同様、高い高い青。これはもしかして、宙に浮いている?アハルディア47も宙に浮く物ではあるが、複雑な機器があってこそそれは実現しているのだ。ただの金属の梯子には、そんなものはどこにも認められなかった。


「んん……でもやっぱり、シャルルの言う通り何も無さそうですね。……?」

「そーなんだよなぁ……、……ん?」


微かに、音が聞こえる。シャルルは、彼よりも先に気がついたらしいラズと、ぼうっと眼下の青空を見つめ続けていたペスタに目配せし、口元に人差し指を立てる。ジェスチャーの意味を理解した二人は、すぐに自身の両手で口を塞いだ。


耳をすまし、徐々に大きくなる音の出処を探る。


ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。


ガタン、


瞬間。


「……っこれ、」

「な……なんでしょう、これ……?」

「…………さァ……?」


目の前に現れたのは、乗り物?

アハルディア47とはまた異なるのだろうが、鈍く輝く、黒い装甲は彼らの船を思い起こさせる。ガタン、ゴトンと梯子の上を走行してきたようだが、どこから走行してきたのか、さっぱり検討がつかなかった。

速度をゆるめ、停止したそれを前に呆然としていれば、無機質な乗り物の扉が開く。どうやら、乗車することが出来そうだ。



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《____列車内にて》


「あ!あれ、トロイじゃないですか?聞こえますかね?おーーーーい!!!」

「まァ、聞こえないだろうな」

「ラズさん……よく見えますねえ」


大口を開け、声を張り上げた。窓の向こうに流れる景色のその最中、眩いまでの色彩に、見慣れた小さな榛色を確かに捉えたのだ。気がつく様子もないまま遠く背後に過ぎ去ってしまったのを見届け、しょんぼりと肩を落として再度対面式の座席に腰を下ろした。


しゅうてんにて、突然目の前に姿を見せた明らかな異物を前に見過ごしては探索の意味が無い。迎え入れるように開いた扉に、あえて罠にかかるようにして、三人は乗り物……列車に乗り込んだ。

その直前、足元に気を配りつつ乗り込んだ二人に対して、やめませんか、と声を掛けたのは意外にもペスタだった。普段であればいの一番に飛び乗りそうな彼女だ、何やら様子がおかしいのは明白だった。だが、返事をする隙も与えず扉は閉まりかけ、渋っていたペスタも分断される訳にはいかないと慌てて駆け込んだのが先程の出来事だ。乗ってしまえばもう彼女はいつもの通りの顔をつくっていて、何かあるなら話してくれと、力になりたいと伝えたものの踏み込んだ話をすることは出来なかった。それを、態度で拒絶していた。


そうだ、ペスタがどこか変なのだ。ぼうっとしていたり、なんだか元気がなかったり。いつもであればすぐに弾けんばかりの声が返ってきていたのに、思い返せばはじめから反応も鈍かった。

ラズは、対面に座るペスタをちらと見遣り、眉を下げる。

話すつもりのない相手に、無理を言って悩みを吐かせるのは彼の本意ではなかった。けれど、とりあえず今は気にしない、問題には後から目を向ければ良い……なんてことが出来るラズでもない。どうにか気を紛らわせて彼女の溌剌とした笑顔見られないものかと、声のトーンを少しあげてみたり、いつでもペスタがいつも通りに戻れるように、戻りやすいように、自分はいつものままでいようとしたり。現在進行形でから回ってはいるが、こうして様々な策を弄してみたりもした。取り繕った"いつも"ではなく、降り積もり瞳を曇らせる何かがすっかり解決して、心の底からいつも通りになることが出来ればいいな、と、そう考えて。


……ラズは、船員のことが大事だった。大好きなのだ、みんなのことが。いいことがあればまるで自分のことのように心が跳ね、悲しんでいたならば隣に腰掛け背を撫でた。想いとは言葉にしなくては伝わらないもので、愛情だってそのひとつだ。だから、ラズはいつでも愛を口にする。


「動いてるなあ。これ、船よりもだいぶ速いみたいだな。……さ、何処まで連れてかれるんだか」


開けた窓から吹き込む風は勢いが強く、シャルルは乱れる髪を鬱陶しげに押さえながら呟いた。そして、続けて、少し目を開いて零す。


「……何だ?」


ふっ、と、視界が、奪われる。

いや、光だ。一切が失われたのは、光。


「うえええ、い、いきなりどうしたんですかね……!?」

「え!?なんですか!?何も見えません……ラズの目、おかしくなってしまったのでしょうか……こ、怖いです…………」


四角に切り取られていた鮮やかな青が消え失せ、完全な、絵の具で塗り潰したような黒に覆われる。列車内に電灯は無く、窓から取り込まれた自然光であたたかく照らされていたそこもまた黒に染まった。自身の手ですら目に映らないまでの暗闇。前後も上下も分からないような、暗闇。


ガタン、ゴトン、という揺れと声だけが自身以外の存在を証明する。トンネルだろうか、それにしたってここまで暗くはならないだろう。列車内は今、振動と音だけが存在する空間へ変貌を遂げている。


「……風も無くなったな」


視界から情報が得られないだけで、こうも不安を煽られるとは。絶たれた情報源に気を取られ気がついていなかったが、知らぬ間に、爽やかでありながら煩わしい風もまた消えていた。


「い、いますか?そこに、二人とも」

「いますよ!」

「ああ」


一向に目が慣れる様子もない。視覚を根本から奪い去られたのではないかと疑いを抱くまでに、この暗闇は深かった。


ガタン、ゴトン。

変わらず身体を揺する振動と音。自身の触覚さえも疑いはじめ、頻回に瞬きを繰り返していれば、文字通り瞬きの後に光が射した。掛けられていた黒い幕が取り去られたように、辺りが一斉に照らされる。誰もが明るさに目が眩み、思わずそれを瞑った。

赤く光を通す瞼の裏から、どうやら光に慣れたらしいことを感じ取って、ゆっくりと瞼を持ち上げる。列車は速度を緩め停止した。空気の抜けるような音と共に、扉も開く。


「つ、つきました……?」


視覚が戻ったことを確認しながら、ラズは窓の外に視線を移した。その先の、目に付いた文字を、シャルルはそのまま読み上げる。


「……ないしょ?」


辿り着いたのは、しはつや、しゅうてんと同じつくり……だったであろう、寂れ、荒れた廃駅。看板を吊っていたであろう片方の支柱は朽ちて、「ないしょ」と書かれた看板は傾いている。切れかかった照明が、一層、不気味な雰囲気を演出していた。


暗闇が明け、照らされた外に出たものと思っていたが、完全な闇からの明暗差で明るく感じただけらしく、陽の光のようなものはほんの少しも感じない。ここは、先程までいた色鮮やかな心地よい欠片とはまるで真逆の、暗く澱んだ地のようだ。



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《____ないしょにて》


停止したきり動く気配もなく、開かれたままの扉に促され列車を降りた。乗った途端に閉じた先程とは対照的に、開け放たれた状態で在り続けている。

ラズとシャルルは駅を通り、ないしょ、その地を訪れた。


駅出入口の先、扉の外れたその奥を初めて目にしたその瞬間、息を呑んだ。どこもかしこも荒れ果て、建物はどれも全壊あるいは半壊している。どことなく埃っぽいような、砂っぽいような空気、自ずと呼吸は浅くなった。この欠片の行先は、駅から続く大通りらしきものと、そこからいくつか伸びている脇道だけのようだ。よくよく見なければ分からないだろうが、建物は何かしらのお店であったり、住宅であったり、廃れる前は通常の街に変わりないことが窺える。

どうして、ここまで廃れているのか。


ペスタも、ここまでは着いてきていた。一度は三人でこの通りを踏んだのだ。けれどこの景色を見た途端、一言、体調が悪いと言って確かでない足取りでないしょの駅へと駆け戻っていった。勿論そのまま行かせることなどせず、背を向けたペスタを追った。大丈夫かと声をかけ、覗き込んだ先の血の気が失せた顔に、すぐに列車で元の欠片まで戻ろうと彼女を支えながら三人で再び乗車したものの、扉は閉まらない。列車が動き出すこともない。……そう都合よく、戻ることは出来ないようだ。

ペスタが、探索に出られる体調でないのは明らかだった。だからと言って一人で列車内に寝かせておいて、もしも再び発車してしまえば一人で立ち上がれそうもない彼女と再会出来る確証はない。時空の果てへ、迷い込んでしまうかもしれない。ならば誰かがついていれば良いという訳でもないのだ。この得体の知れないないしょに、一人が残される事態は避けたかった。


そうして選んだのが、駅の待合室でペスタを休ませること。何も起きはしないだろうかと、しばらく三人で過ごして確かめもした。ただ淀んだ空気が流れ込むばかりで、これまで経験してきたような、誰かの存在を感じるようなことも無かった。一人残すことは気がかりだが、見知らぬ地にどちらか片方を送り出すことだって出来なかった。もしかしたら、この欠片にペスタの体調不良の原因があるのかもしれない。後ろ髪を引かれる思いで、なるべく早く戻ってくると、背もたれに体を預けるペスタに告げて駅を後にした。


「……酷いもんだな」

「ええ、本当に……早く行きましょう。早く、帰りましょう……」


大通りは駅から端まで見渡して、瓦礫やごみが残るのみであったため、隅々を見て回る必要はないと判断し脇道を覗く。


「…っ、なんだこの匂い……」


通りがかった途端、立ち込める腐臭にシャルルは思わず眉を顰める。

脇道には室外機や倒れたネオンの看板、ゴミ箱に、資材などが乱雑に転がっており、イメージ通り、テンプレートのような裏路地だ。


「…………これか。」

「ぅ、誰の……いえ、やめましょう……嫌な感じ、ラズにも分かります……」

第十三話: テキスト

腐臭の原因は、あらゆるところに付着した赤、だろう。

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第十三話: 画像

飛び散っていたり、こびりついていたり、溜まっていたり。その主がどこにも横たわっていないのが、幸いだった。ぐ、と無意識に込められた力に細めた目を逸らし、再び大通りを行く。


横目に確認していったところ、どこの脇道も最初に覗いたものと同様、赤に染められているようだ。特に何か目立つものが落ちているだとか、おかしいだとか、そんなことは無く、ひたすらに朽ち、廃れ、暴虐の限りを尽くされたような。ここは、そういう欠片らしい。


「ここにも、生きていた人達がいたんですね」


建物の瓦礫の奥、割れた写真立てやマグカップ、家具の残骸に視線を落としてラズが言う。


「元はこんなんじゃなかったんじゃねえかな。……バグのせいだろ、多分。」


欠片とは、どこかの並行世界が崩壊した名残。並行世界が崩壊する要因は、バグ……広義でいえば、あるいはそこにあるべきでない干渉すべてが要因となる。それを取り除くのが観測船であるアハルディア47の使命で、ラズやシャルルの仕事だった。現在、果たせていない務めだった。

もし、こうして探索している合間にもバグが発生していて、除去することが出来なくて、こうした悲劇を生んでいるのであれば、やはり一刻も早く船を直さなければならない。


「……ラズたち、しっかりお仕事しないとですね。こんなことが無いように。」


この欠片に異質であるのは、直接的に荒廃しきってること。これまで渡ってきた世界の欠片で見られたような、どこか不思議で時に不気味な事象はなく、ただ、ただ崩壊した世界がぽつんと取り残されている。


異空間に流れ着いた並行世界の残骸は、様々に合わさりながらゆっくりその特色を変化させ続けていく。多様な要素が複合された結果、通常ならば有り得ないような現象も起こるのが世界の欠片というものだ。しかし、この欠片には、まだそうした特色が見られない。恐らくここは、純に、何の混じりけもない、ひとつの並行世界の結末だった。

このないしょという欠片が、他の欠片に共鳴し生じた変化を強いて挙げるなら、駅があり、列車によって辿り着くことくらいだろうか。予想するに、この欠片もいずれ橋が架けられ景観は晴れ、人の営みを再現する「透明人間」が現れる何ものかになるのだろう。


「ここも、終わるのか。ここも、向こうみたいな綺麗なとこになるんだろうな。綺麗さっぱり無くなって、向こうみたいになったら、それは多分別物だ。…………崩壊する世界に生命のひとつも残されないのは分かっちゃいるが、思いまで無かったことに出来はしねえよなあ。どう、感じるんだろうな。……無くなるってのは、寂しいもんだな。」


倒壊した家屋を前に、眉を寄せたシャルルが零す。

ラズは、そんな彼の横顔をじっと見ていた。


「……シャルル、なにか……いえ、そうですね。きっと寂しいと思います」

「悪い、らしくなかったな。忘れてくれ」

「いいえ、どんなシャルルもシャルルですから。らしくないことなんて、誰にも、どこにもないんです!」

「はは、そうかァ。ラズは頼もしいなあ、本当に」


一通り見終えたはずだ。足早に駅まで戻ると、ペスタは横になっていた。途中、姿勢を変えたらしい。意識はないが、どうやら眠っているようだ。心做しか赤みを取り戻した彼女の顔に、そっと胸を撫で下ろす。


知らぬ間に列車の扉は閉じていて、ラズたちがそちらへ目を向けると音を立てて扉が開いた。ペスタを連れて乗車しておこうと、ラズが彼女を背負いあげる。

____そのとき、カシャン、と、物の落ちる音。

ペスタが以前、見た目よりも内容量があると自慢していたスカートのポケットから、滑り落ちたらしい。


手の空いていたシャルルが訝しげにそれを見つめ、拾い上げる。ペスタの持ち物だ、警戒することもないだろう。けれど、一度躊躇わずにはいられない、手放しに信用して手に取るには難しい見目をしている。


……こびりついた赤は、先程まで見てきた景色を想起させる。

第十三話: テキスト

「データ媒体?ですか?」

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第十三話: 画像

「……そうらしいが、何でこれ……」


何故、ペスタがこんなものを、肌身離さず持ち歩いていた?


顔を見合わせ、お互い心当たりがないことを悟る。黙りこくっていたって伝わった。


「帰ったら、誰かに聞いてみましょう!ラズたちでは分からないなら頼れば良いんですからね」

「ああ、そうしようか。……一先ず、帰ろう。」


三人が乗車し先程までと同じ座席に腰掛ければ、列車の扉は閉まっていった。汽笛の音と共に、動き出す。それが、知らぬ間にしはつの待合室にいた三人の、ないしょにおける最後の記憶だった。



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《____管制室にて》


朝礼にて告げられたミーティングは、終業時刻を待たずに開催された。ラズ、シャルル、ペスタのほかの船員はみな、既にこの管制室に集まっている。彼ら三人がそれぞれ探索へ出るのを見たと誰かが証言し、終業時刻には帰るだろうという予測と、「部品が集まったから次の欠片へ向かう」こと以外に特筆すべき議題もないことから、三人を待たずして話し合いは開始されたのだ。前置きに軽く労いの言葉をかけた後、本題に指先を掠めた程度触れたところで、船長へと通話が入った。皆に断って応答する。


「こちら船長、どうした?」

『今、しはつにいる。これから、探索途中で体調を崩したペスタを連れてすぐに戻るから、用意をしておいてほしい。……気が動転して、連絡手段のことが頭から抜けていた。伝えるのが遅くなって申し訳ない。』

「ペスタが?…………そうか、わかった。いや十分だ、事前の連絡ありがとう。医務室の用意をしておくよ」

『了解、ありがとう』


プツ。


「……聞いてたね、ハイル。僕はすぐに連れて行けるよう外に待機してるから、すまないが医務室の用意を頼んでもいいかい?」

「もちろん。エマ、手伝ってくれる?」

「!」


ぱっと顔を上げ頷いたエマを連れ、ハイルは医務室へ向かい管制室を後にする。船長もまた、皆に再び声をかけて去っていった。


次に、管制室の扉が開かれたのは、ラズとシャルルによってだった。ほとんど間を置くことなく、次いでハイルとエマも戻ってきた。一度様子を確認するから席を外してくれと、そう言われたらしい。

事情を聞こうと、シャルルに歩み寄ったのはシンシアだ。目を丸くして、何気なく問いかけた。


「ルルくん、ペッタンどうしたんすか?」

「詳しくは分からんが体調を崩してる、らしい。顔色、はじめっからあんま良くなかったからな……」

「へえ……心配っすね、睡眠不足とかだといいんすけど……」

「探索先もなんか、なんだかなあ、ってとこだったよ。どこも空気悪かったから、体調にも影響あったかもしれないな」

「空気悪い……?んなとこあります?この欠片」

「なぁ!そう思うよな!?そうそう、あったんだよ」


聞いてくれよ、と切り出すシャルルも、自覚はしていなかったが少しばかり参っていたらしい。事細かに伝えはしないが、どんなことがあったのか、ないしょがどんなものだったのか、誰かに聞いてほしかった。概枠を大まかに話せば、シンシアの顔が僅かに曇る。


「ああそうだ。ラズ、あれ、聞いてみよう。」

「!そうですね、忘れてしまうところでした……。これがなんだか、わかる人いますか?血みたいなのがついていて不気味ですが……」


ラズがそう言って差し出したのは、先程ペスタのポケットから滑り落ちたデータ媒体。それを見た多くは表情を強ばらせ、うち数人は目を見開いてそのまま逸らすなど明らかに避け、嫌悪するような反応をみせた。状況を窺えない二人は、怪訝な顔をするばかりだ。彼らは唯一、未だディスクの存在を知らぬ船員だった。


「そ、れ……どこで……?」


問うたエマに、ラズが答える。


「ええと、ペスタが辛そうだったので、移動のときは背負っていたんです。そのときペスタのポケットから滑り落ちてきたのがこれで……」

「ペッタンがそれ持ってて、そんで、はじめから顔色悪かったんすよね?……てことは……」

「……昨日、見た?昨日……ってその感じだとラズ昨日が何だか分かんなくね?あーもう、伝わんないってめんどいな〜!前回?前の探索のあと!」

「きのう?みた?…………ラズの分からない話をしないでください……!」


「いーじゃん教えてやればさあ。コイツらなーんも知らなくて憐れじゃね?教えてやろうか、俺がよ〜!」


ディスクを見ても眉ひとつ動かさず、退屈な表情を崩さなかったメルトダウンが一歩、歩み出た。


「そりゃあさ、それにはペスタのひっどい過去の映像が入ってんだよ。シアターで見られんぞ〜、ここまで来てて何も知らねーとかチョー純粋だなあ!お前ら!」

「……過去?」

「あ?まだここで皆生まれたんだ〜!とか思ってんの?んなわけねーじゃん、みんなどっかの誰かの腹から産まれてきてるんだよ。人間だろ?」

「……?」

「まだわかんねーなら体験した方が早えって。俺ってば天才じゃね!?行くかぁ!一緒に!」

「待って。」


メルトダウンの言葉を遮るように、ハイルが声を上げた。顔だけを声のする方へ向けたメルトダウンの口元は、変わらず貼り付けた笑みを携えている。


「見ない方がいい。絶対に。」

「なんだ、言うようになったなハイルちゃん」

「……メルトはいいから、ちょっと静かにしててくれる?大事な話だから。」

「ひゃ〜怖!」


縮こまり、ふざけたように腕を摩る動作をするメルトダウンに、やはりかつての仕事に真摯な彼は見られない。一体、何が、どうなっているのか。

ラズやシャルルにも、船内で常々感じてきた違和感はあった。それが今、説明という形をもって明らかにされようとしている。


「簡単に言うと、今メルトが言ったように、過去の映像が入ってる。みんな……かは分かんないけど、船に来る前に……消し去ってしまいたいような、辛い思い出を抱えている子がいて、その内容がそれには記録されてる。」

「これに……ですか……?」

「シアターの機能は、わかるよね?研修で使ったように、しっかり覚えさせてくれる技術が使われてるとか、そういうの。……私も、経験からの憶測で話してるだけなんだけどさ」

「……ハイル、辛い思い、したんですか?」

「……うん、辛かった。けど、もう大丈夫だよ。……そう、それで、ならシアターで思い出したくない過去の詰め込まれたデータ媒体を再生したら、どうなるかわかる?……思い出しちゃうの。全部、映像に無かったところまで、人生を、みんな思い出すの。あの時の気持ちだとか、そんなのも全部ぜんぶ、いっぺんに襲ってくる。」

「……」

「それに、辛い過去ってさ、……半分こして背負ってもらえたら、長い目で見たら立ち直れるきっかけになるのかもしれないけど、できれば、人に知られたくない……んだ。少なくとも、私はそうだった。だから、それ……ペスタだって、勝手に見られたくなんて、知られたくなんて、ない、かも。今体調崩してるのも、自分の過去を見て辛くなっちゃって、精神的に参ってると思えば自然じゃないかな。」

「……ラズ、何も知らないまま、励まそうとしていました」

「知って、何もかも共有するのが全部いいことだとは、限らないんじゃないかな。……私は助けられた、けど。」

「……てか、血なんてついてるディスク……普通に、見ない方がいいんじゃないスかね。精神衛生上?絶対、不味い中身じゃないですか。これ。」

「ううん、……まだ、あんまり分かってはいないんですけれど……お話を聞いて、決めました。ラズは、ペスタに見ていいかちゃんと聞いてみることにします!ペスタの大事なものですから、返さなきゃいけませんし。……ですから、今はこのまま。いいですか?シャルル……」

「俺もそれがいいと思うよ。見ないでおこう。……好奇心で軽く手を出していいモンじゃねえよ、多分」


ラズの問いかけにシャルルが頷けば、彼は再びディスクを仕舞う。その様に、ハイルは息をついた。得た情報を踏まえ、ラズとシャルルはそれぞれが体験してきた違和感について、確認するように口にする。


「……もしかしてメルトがなんだか変なのって、それが関係あるんですかね……」

「だはは!ご想像にお任せ〜!」

「やっぱり変ですよ!!」


「……ヘデラも夜中、なんか変じゃなかったか?会ったよな、廊下で」

「え?……夜中?いつのですか?」

「?朝礼前の夜中だよ。今回の」

「……?僕寝てましたけど……人違いじゃありません?」

「そんな、いくら暗くても見間違う訳ないだろ……何とぼけてるんだ……?」


顔を見合わせ、二人が頭上に疑問符を浮かべたところで、管制室の扉が開いた。船長が戻ってきたようだ。ペスタを一人にしているから手短に終わらせることになる、と謝罪する。


「よく眠っているから大丈夫だろうけど、いつ目覚めるか分からないから。ごめんね。」

『そんな話すことないなら大丈夫だぜ!』

「エンペラーもこう言ってるしだーいじょうぶ!早く終わった方がむしろ良いな〜アタシは」

「はは、じゃあ、すぐ終わらせよう。連絡事項だけだから」


そう言って始めた連絡事項は予定の通り、部品が集まったから始業を迎えたら次の欠片へ移動する、というものだった。たのしいに行くつもりだったらしい一部から上がった講義の声に、珍しくたじろいでいた船長は見物だった。

質問や意見はないかと、普段ならば形式だけの質疑応答に、今回は一人が口を開いた。リツィだ。


「船長、いいか?」

「うん?どうしたの?」

「……ディスクの件、今、全員に情報を共有した。もう船員は皆、ディスクの存在も過去の存在も知っている。……先程ハイルは全員じゃない、と言っていたが……全員、ディスクが、船に来る以前の過去が、忘れているだけで、あるんじゃないか?船長は、そのことを知っているんじゃないか?」

「……なるほど」

「答える気は?」

「……ああ、隠すにも限界があるからね。けど、今は駄目だ。ペスタが目が覚めたとき、一人きりには出来ないから。勘弁してくれないか?」

「ッはぐらかしていては、……ずっと、話さないだろう。次の朝礼、あるいは次の欠片への移動時間。話すと、ここで、皆の前で、言ってくれ。」

「…………」

「言ってくれ」

「…………わかった、……移動の合間に、話そうか。シアターについて、……ディスクについて。きっとみんなもう気がついているだろうことしか出てこないよ、それでもいいかい?」

「……事実なのかどうか、確認したい。疑いが杞憂なのか事実であってしまうのか、知りたいと思う船員は私のほかにもいる。」

「わかった、それじゃあ、……移動時間に。」


リツィの問い掛けに帽子の鍔を引き下げ、俯きがちに応じていた船長がぱっと顔をあげる。いつも通りに、ほかには大丈夫かと問い、何もないことを確認して、そうして、業務終了、解散を宣言した。



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《____シアターにて》


前日、終業時刻を少し回った頃。

リビングにふたつの人影が残っていたその時、ペスタはシアターにいた。


その日の探索で一人、たのしいという名の明らかに楽しそうなそこに意気揚々と踏み入れたペスタは、それはもうたのしいを満喫した。あらゆるアトラクションを制覇して、奥へ奥へと進んでいった。そうして最奥、残るアトラクションは観覧車のみ。きちんと、ゴンドラの扉が毎回開いたのを確認して、どこか特別そうなゴンドラに飛び乗ってみたのだった。そして、対面の座席、真っ赤に染め上げられデザイン性が高いなと感じていたそこに、見つけたのがラズやシャルルが拾ったディスクだった。対面の座席がただお洒落な訳ではないと気がついた際に思わず立ち上がってしまったペスタの動きに合わせてゴンドラは揺れた。そのとき、かしゃん、と床に落ちたのが、このディスクだ。


驚きに身を任せ、割ってしまおうかとも思った。

以前、ハイルのディスクを見たときを思い返して、投げ捨ててしまった方が皆にとって良いのではないかとも、そんな考えも一瞬だけ頭に過った。けれど、誰の物かも分からないそれを恐怖心のままに割ってしまうのは不味いと踏み止まり、一先ずポケットに仕舞った。一周し開いたゴンドラの扉から転がるように逃げるようにして慌ただしく降りたのが、駆け出したままに船まで帰ってきたのが、つい先程の話だ。


そうして今、シアターにいる。迷いに迷って、どうしたものかと腕を組み、全くもって気は進まないが中身を確認すべきだろうかと両手で頭を抱え込んだりもした。以前、たった一度きりの経験だが、ディスクを見た。そのときは……そのときだけでなく今だって、何が何だか分かっていない。今が楽しいから、昔がどうだとか、そんなの考える気にもならなかった。いつか、エマとリビングで話したとき、「その時が来ないと分からない」と、何気なく口にした。きっと、今が正に「その時」なのだろうなと直感しながら、その時が来たって分からないじゃないかと、過去の自分の無責任な言動に少しばかり怒りを抱いた。


顎に手を置いてみたり、眉間を揉んでみたり、思いつく限り何かを閃きそうなポーズをしてみても名案が思い浮かぶことはなく、いたずらに時間だけが過ぎ去っていく。痺れを切らした彼女は、元来自分はブレインではない、頭脳派ではなく肉体派なのだと行動に出ることにした。頭を悩ませていて良い解決策が浮かばないならば、行動あるのみなのだ。


「ええい、なるようになれ!ですね……!!」


慣れない手つきでディスクを挿入し、ボタンに指を置く。

ぎゅ、っと皺が寄るほど力を込めて目を瞑り、恐る恐る、薄目にスクリーンを覗く。指に、力を込めた。



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____開演____



【××の狂宴】


平和平和平和平和平和平和、平和!


平和とかいう言葉を体現したこの世界は、穏やかな気性の人々ばかりで、戦争や対立に危機だとか、そんな物騒なあれやこれはみんながみんなお伽噺。悪影響を受けて実行する奴が……なんてことも普通はなくって、警察やら自治組織だって形ばかりで、あー、平和!反吐が出るほどに、平和!


にこにこヘラヘラのんべんだらりな代わり映えしない毎日に、何の喜びを見出して笑うのか。僕にはさっぱりわからなかった。理解できなかった。分かり合えない人種だった。生まれる世界を間違えたんじゃああるまいかと思うほど、それほど僕はこの世界では異物だった。


この世界に馴染めない僕はなんてダメな奴なんだ……みんなをおかしいと思う僕がおかしいんじゃないだろうか……消えちゃいたい……とかメンヘラする【パム・ディ・スケッチ】さんじゃないですけど!

第十三話: テキスト

僕が合わないならば周りを変えればいいと、つまんねーくだらねー平和なんて壊しちゃえばいいって、ね、あなたもそう思いませんか?

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第十三話: 画像

平和だから壊す。平和だから殺す。楽しそうだから、残ったそれをつまみ食い。鶏肉よりはこっちの方がいいですが、牛肉が一番ですね〜!でもお高いんですよ、国産牛って!ご馳走です、やっぱり。ぴえん。まあ〜、お手軽に60kg手に入っちゃうのにプラスアルファでそこに至るまでの過程も楽しいんで、一石二鳥的な面からこっちで妥協ですね。鳥じゃないですけど!へへ!


きっかけは、圧倒的で救えないまでの退屈だった。

友人を名乗る目の前の見知らぬ誰かの、つまらない話に頬を引き攣らせて愛想笑い。誰も彼もが平和ボケした馬鹿だ、ここの人間は一人として暇潰しの当てにならなかった。けれど、自分まで馬鹿になって諦めたくなんてなかったから、繰り返す日々を消費しながら冷めきった心を動かす何かが無いものかと漠然と探し歩いていた。 

そんな折。運命の出会いだった。

気の向くままに電車に乗って辿り着いた終着駅。駅から続く大通りを見回しながら歩いていけば、いつかの脇道にぽつんと佇む店舗を見つけた。これまでの僕の人生には単語としてさえ交わらなかったそこは、映画館と呼ばれるらしい。さほどない所持金を握り締めて、そこで出会ったのがスプラッター映画だった。実行に移す人なんていないから、と信じて疑わないこの世界の人達は、スプラッター映画にさえ規制を設けてなかった。


虫も殺さないような平和な平和で生きてきた僕には、思いつきすらしなかった、まったく有り得なかった選択肢が、その時浮かび上がってきたのだ。

第十三話: テキスト

まさか、そんな発想があったなんて。

そんな刺激的で、"楽しそう"な遊びがあったなんて!


____退屈に覆われた世界が、瞬く間に彩やかに色づいたような気がした。

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第十三話: 画像

そこからはもう、やってみるだけだった。
まずは身近な人から、お試しでやってみた。楽しかった。人生で、初めて得た感情だった。悪いことだ、いけないことだと分かっていたのに、いつからかこれはもうやめようがないと悟った。家族みんなが居なくなったとき、開き直ってこれまでのすべてを捨てた。家はそのまま焼き払い、名前を変えて、髪を染めて、その身一つで電車に乗った。

第十三話: テキスト

もう何にも囚われなどしないのだ。
僕を、パム・ディ・スケッチを縛れるものなど、何ひとつとして、この世にない!

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第十三話: 画像

そうして辿り着いた先で、満足するまで遊んだ。出動なんてしたことがない警察官は統制が取れているはずもなく、また、命を捨てる覚悟を持ってその職についたでもない、他と変わらず穏やかな彼らが、異質で異常な僕とまともに対峙するだなんて土台無理な話だった。


満足す る  ま  で人の 腹  を   捌い    て、



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目が覚めたとき、映像は既に終わっていた。

あまりに衝撃的な映像、その上、"ペスタ"が上書きされるほどの殺人衝動が情け容赦なく体のうちから湧き上がってきたことに耐えきれず、映像の最中に意識を手放してしまったようだ。

吹き出る気持ちの悪い汗だけが原因ではないだろう、身体中が芯から冷えきったような心地がする。額に張り付く髪の毛に、燻っている自身の中の欲に、繰り広げられた悪夢に、果てのない嫌悪感に、喉の奥から迫り上がるものをどうにか飲み込んだ。あの人格に取り込まれこそしないが、肉を刺す感覚も、その味も、鮮明に五感が思い出した。思い出してしまった。

悪い夢に違いないと、信じたかった。逃避したかった。しかし、無価値にただ残酷なこれが事実だったと、誰でもないペスタ自身が経験をもって知っている。


……ここにいてはいけない。

ここにいては、衝動に囚われて、万が一があるかもしれない。

それだけはあってはならなかった。嫌だった。ペスタには、みんな、みんな大事で大切だった。

……ここにいてはいけない、そんなことは分かっているが、今のペスタがそれに呑まれず正気を保てているのはほかでもないみんなのおかげだ。ささやかな毎日の楽しみを教えてくれる、一緒にそんな楽しみを作り出してくれるみんなと離れるのもまた、彼女の精神を思えば危険だった。第一、嫌だった。こんな余計なもののせいで、今を諦めたくなどない。


今、ペスタは幸せだ。幸せで、居場所があって、追われることもなくて、楽しいのだ。楽しい、楽しいのだ。今のままで十分、楽しい。


「楽しい、今のままで、いまがいちばん、たのしい、これよりも楽しいことなんてない、楽しい、たのしい、大丈夫」


言い聞かせるように、ひたすら唱える。どうにか囁くそれに抗おうと、懸命に戦っている。必死に、いつも通りを求めている。収まれ、おさまれと、痛ましいまでに念じ続ける。

ガクガクと手足が揺れる。瞬きすら忘れて、視界も定まらない。伝う脂汗が自ずと止まる予感もなく、ただ、衝動が失せることだけを祈っている。不毛な悪足掻きに、身を砕いている。


時間が過ぎることだけを望み、ひたすら待っていれば、いつか、波は引いていった。息をついたのも束の間、油断できる状況ではない。ペスタの意思を差し置いて、身体は至上の楽しみを知ってしまった。退屈を感じた途端、きっとまた、自身の中の怪物に食われてしまう。


みんなを巻き込みやしないように、出来るなら、視界にすら入れないように。けれど、ペスタが今楽しくいられるのはみんながあってこそであって、誰とも関わりを持たないままでは退屈に身を焦がしてしまう。短絡的で刹那的な快楽を得ようと、無意識のうちに、惨劇を起こしてしまう可能性だってあった。

……退屈を感じないために、変わらぬ日常を営もう。いつも通りを何重にも貼りつけて、誰にも悟られないようにしよう。

大事で大切な毎日を、壊されないために。それを止められるのも、引き起こすのも、自分自身だ。今生きる自分が、過去なんてものに負けるはずがない、そう信じなければ、生きられない。

ああでも、たのしい、楽しいって、……掃除は、鼻歌は、楽しいんだっけ。そんなもの、楽しかっただろうか。



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《____医務室にて》


ミーティングを終え、船長はペスタの眠っている医務室へと向かう。

彼女は昨夜、自身の映像を見ていたから、心がもたなかったのだろう。無理をしたのかもしれない。目が覚めたとき、彼女を一人きりにするのはどうしても避けたかった。

到着して覗いてみれば、変わらず横たわる姿があった。ひとまず、離席中もそのまま眠っていたらしいことに安堵する。


備え付けの丸椅子に腰掛け、様子を見守る。彼女が目覚めたら、少し、話そうと思うことがあるのだ。



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……さあん、ペスタさーん。あ!気づいた!

いやービックリしましたよほんと!さっきのとこ、ないしょっていうんですか?僕らの世界でしたもんね!なんだかその辺りは僕もぼんやりしてるんですけど、ふーん、丸ごと壊れちゃったんですねえ。ま、どうでもいいですけど!なるようになったんじゃないですか?


そうそう昨日はありがとうございました!あのときは嬉しかったですね!見ろ!見ろー!!ってここでやってたら思うように動いてくれて、ようやくペスタさんが僕のことに気がついてくれたと思って涙涙でした!思わずよよよ……とお淑やかに涙を拭っちゃいましたね〜。


それにしたってなーんで途中で寝ちゃうんですか、あそこからこそいいとこだったのにー。【パム・ディ・スケッチの狂宴】、もっとちゃんと目かっぴらいて楽しんでくださいよ!きっとちゃんと見てれば、あなたももっとハッキリと!楽しさを思い出せたでしょうに〜。それにせっかくの僕の勇姿があれだけでお蔵入りだなんて、勿体ないったらありゃしません!!そう思いません?ね〜ですよね〜!


……ありゃりゃ?まだ状況飲み込めてない感じですか?

やだなあ、僕は僕ですよ。僕はあなただしあなたは僕だしあなたはあなたで僕は僕!みーんな一緒、一人の人間ですって!

でもぉ、どちらかと言えば僕の方がホンモノですよね?ということで、みーんな一緒、一人のパム・ディ・スケッチです!


あ、そういえばその地味な髪どうされたんですか?つまんない頃に後戻り髪じゃないですか!やだやだ、没個性の僕なんて僕じゃな〜い!絶対染めた方がいいですよ〜、見習ってみたらどうです?ほらほら、素敵な銀じゃありません?

あれっもう時間みたいです!ざんねーん!また会いに来ますね〜というより僕ずうっとあなたの中にいますけどね!ではではまた!



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「ペスタ!……よかった、魘されてたよ。大丈夫?」

「……船長、さん」


真っ先に目に入ったのは、白い天井だった。

次いで、安心したような、  船長の顔。


ゆっくりと上体を起こしたペスタは状況を掴めていないようで、浅い呼吸を繰り返しながら周囲を見回した。先程までいたはずの、廃れた故郷の景色は無い。ここがアハルディア47の医務室らしいと理解したのは、しばらく経ってからだった。


彼女と、話している夢を見た。

目一杯酸素を取り込まんとする肺を落ち着けようとするが、夢の中の、彼女の言葉が脳に反響して離れてくれそうになくて、いっそう加速するばかりだった。自身をホンモノと称した彼女に、自分は、いつか成り代わられるのかもしれない。あれも同じ自分だと受け入れることはどうしたってできなくて、また締め付けられるような息苦しさに見舞われた。

ペスタが上手く呼吸出来ていないことに、船長は慌てることなく努めて穏やかに宥めた。こうすればいいのだと、道筋を照らしてやる。


「……ゆっくり、そう、深く吐いて……うん、上手。大丈夫だ、ちゃんと出来てるよ」


ゆっくりと、吐いて、吸う。それを繰り返していれば、いつしか呼吸は楽になった。すみません、と告げ、膝を抱える。

自身に眠る衝動に怯えるようにその身を縮めるペスタは、ひどく小さく見えた。じっと彼女を見つめていた船長は、口を開きかけてほんの少しだけ言い淀み、けれど、伝えることを選んだ。

第十三話: テキスト

「ペスタ、僕は、……君を助けることができる。君は今、その記憶を抱えて、幸せかい?」

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第十三話: 画像

「どう、したんですか……?」

「……すぐに答えを出すのは難しいだろう。もしもすべて耐え難くなって、パム・ディ・スケッチとしての記憶を手放してしまいたければ、僕に伝えてほしい。……辛いだろう、その衝動を抑え込むのは。」


そう言って、船長は目を伏せた。

連なる言葉に、ペスタは目を見開いている。……何を、言っているのか分からなかった。そもそもあのディスクはずっとペスタが持ち運んでいたはずだ。誰かが見るタイミングなんてなくて、ならば、その名前だとか衝動だとかを自分以外の声で耳にすることなど、ない。あるはずがない。


「もちろん、必要無いならそれに越したことはない。断ってくれてもいいし、返事なんてしない、そんな選択もある。君は自由に選べるんだ。」

「ま、待ってください、さっきから、何を……それってどういう……」


……そしてその時、ペスタはディスクが手元に無いことにも気がついた。誰かがあの惨状を目にする事態を想像した途端、さあっと指先から温度が消えていく。


「……ひとまず、今は落ち着いてるみたいだね。一人で考える時間も欲しいだろうから、僕は外すよ。」


ディスクの在り処に気を取られているうちに、船長の姿は消えていた。医務室には、ペスタ一人。張り詰める空気には、戸惑いだけが残されていた。



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爆発事故というイレギュラーから始まった、世界の欠片を渡り歩く旅。


そのすべてをリセットして、過去なんて誰一人として無かった平穏な日々に、ふりだしに戻ることができるとしたら。そんな幻想を、もしも実現させられるとしたら。

もう、無知を気取ることなど出来ない船員たちは、一体どんな選択をするのだろうか。



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第十三話: テキスト
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