top of page

第五話

第五話: ⑤

《____シアターにて》


あのときと同じだ。未だに体は動きやしないし、涙も止まらない。溢れ続けるそれは視界を遮るばかりで鬱陶しい。

エマはひとり、シアターで泣いている。

静まり返ったシアターでは物音ひとつですら鳴り渡る。そんな場所でいくら声を押し殺したところで意味は無く、途切れ途切れの悲痛な叫びはシアターに反響していた。

そんな声を掻き消す、床を引きずるような重い音が響いた。シアターに光が差す。……扉が開いたようだ、人の気配がする。

エマには振り返る気力もないらしく、呆然と暗転したスクリーンを眺めている。前方の赤を目にした彼はいつものように声をかけようとしたが、明らかに様子のおかしいエマに言葉を呑んだ。

そのままエマの元まで足を進める。目が合うようにと彼女の前で膝をつき、声をかけた。


「……エマ、どうした?具合悪いか?」

彼……シャルルはその顔を覗き込むようにして、努めて優しく語りかけた。

____シャルルは、気がついていた。船内の異変に、違和感に、日常が崩れようとしていることに。憶測でしかないそれが実現などしないよう、祈っていた。

探索を終えた彼は個室に戻ろうと階段を降りたが、3階に差し掛かった辺りで耳にした不審な物音に少しだけ寄り道をした。恐らく、保管庫の周辺。3階廊下に人気はなかったため室内からかと考えたものの、保管庫は施錠されており内部を確認することは叶わなかった。ただの空耳だったのだろうか。……どことなく胸騒ぎがして、眉をひそめた。

部屋にいても考え事で気が滅入るだけだ。深く考えすぎないために、確信を抱いたりなんてしないために、現状を保つために、シャルルは船内を歩いていた。何も無ければそれでいい。近頃何かを隠している船員たちは皆誰かにサプライズを仕掛けようとしていただけだったとか、そんな結末でいい。

そうして最後に訪れたのがシアターだった。保管庫同様鍵が掛かっているはずの扉は、案外簡単に開いた。そんな経緯で、シャルルは今ここにいる。


彼の目の前には大粒の雨をとめどなく降らすエマ。よく知る彼女とは、まったく別人かのような、これまでに見たことのないような。そんな姿に言葉を失った。……だが、動揺を見せてしまえば相手を安心させることなど決して出来ない。そう考えたシャルルは心の揺らぎを悟らせまいと普段と何ら変わりない穏やかな表情を作り上げ、口を開いた。……彼は嘘が上手かった。


「大丈夫か?エマ。立てないなら手、貸すぞ?」

エマはシャルルを見て、シャルルがいることを認識して、俯いた。目が合わないように俯き、自身の膝だけを見つめている。その間も涙は溢れ、太ももまで伸びた赤にはじんわりと染みが出来ていた。


「…………で、す。」

ようやく絞り出した声はひどく枯れている。無理矢理声を殺し、喉を潰すような泣き方をしたのが原因だろう。

ほんの僅かな音だけで、シャルルはエマの心が暗く澱んでしまったことを理解した。淡々としているにも関わらず愛が滲み出るような、そんなエマの声を聞いたのが遠い昔だったかのように思われる。


「…い、いです。エマ、なんか、……いいです。……ありがとう、ございます。…………シャルルさん。」

兄と呼んで慕ってくれていたのは、一体いつの話だっただろうか。

たった一言で貼り付けた笑顔は剥がされ、シャルルは目を見開いた。懸念していた事態が起きてしまう。憶測が現実になってしまう、いや、既になってしまっている。

怯えるように自身の腕を掴み、シャルルに合わせる顔などないとでも言いたげに足元だけを見つめている。ああ、小さい、この子はこんなにも小さかっただろうか。口頭ではお礼を述べていても本心は異なるところにあるのだと、直感的に悟ってしまった。

自分のことを"なんか"と呼び、やめてくれ放っておいてくれと全身で主張する。……何が、どんな目に遭えば穏やかで優しいエマがここまで自分を追い詰めてしまうのか。だめだ、自分を責めるのは、良くない。


「エマ、自分のこと、嫌いか?」

「………役に、立てないなら、いちゃだめです」

「そうか、役に立ちたいのか。俺はさ、一緒に生活していくのに一番大事なのは……お互いを愛することだと思うんだ。」

エマが、わずかに身動ぐ。


「みんなを愛すること。それが一番、役に立てると思う。でも難しいよなァ、愛するってさ。」

これは説教でも励ましでもない、ただの雑談だ。こんなものでも届くだろうか、ほんの少しだって伝わるといいけれど。


「人に愛を与えるには、どうしたらいいと思う?……まずは自分を愛せ、だってさ。愛は与えた分だけ返ってくるんだと。受け売りだけどな。」

エマがゆっくりと顔を上げた。

はは、何言ってんだって思ってんのバレバレだぞ、エマ。

シャルルは笑顔を見せる。耳にタコができるほど聞かされた、口癖と言ってもいい彼の言葉を伝える。エマにはきっと、自己愛が必要だ。


「事情は分からないし、話したくないなら話さなくたっていい。でもお前がどう思ってたって、エマがどんな奴だったって……俺たちからしたら大事な家族だって、妹なんだって、それは心の隅にでも留めておいてほしい。そんで俺たちのために自分のこと大事にしてくれたら、……俺は、そりゃあもう嬉しいなァ」

シャルルの言葉に、エマは瞬きを繰り返す。いつの間にか涙は止まっていたらしく、痛々しく腫れた目元を惜しげも無く晒していた。意味を捉えあぐねているのだろう、何かを考え込んでいる様子だ。

……傍にいても考え事の邪魔になるだけだ。エマも、何か辛い目に遭っただろう場に留まったところで良いことなどない。彼女を部屋に送り届けさっさと退散して噛み砕く時間を与えよう。受け取ってくれるといいんだが。

シャルルは力ないエマを立ち上がらせ、支えるようにしてゆっくりとシアターを後にした。



▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____エマの個室にて》


……家族、だと、シャルルは言った。橋本絵真を知らないからそんなことを言えるんだなんて、駄々をこねる子供のような言い訳をしてしまえばすべてを閉ざして楽になれるのだろうが、それはあんなに真っ直ぐに自分を見て言葉を伝えてくれるシャルルに失礼だろう。よく考えて、咀嚼する。

エマは役に立たなければこの船にいてはならないと、そう考えている。シャルルが言うに、船員を愛することが一番役に立てる方法らしい。そうして船員を愛するには、まず自分を愛さなければならないらしい。……私が私を受け入れるなんて、出来るだろうか。

エマがその手で父を殺したことに変わりはなく、その罪や事実が消えることなど一生無い。エマはいつまでも、いつまでも、罪に向き合わなければならない。正常な価値観を持っている彼女は当然そのことを理解していた。一生償いきれない罪を抱えて、苦しむために生きていくべきだと、理解していた。

そんな人間に家族だなんて、身に余る幸福だと思っていた。それが今、すでに手の中にある?彼は家族として、エマを愛してくれている?家族でいて、いいのだろうか。

これまでと同じように接することは出来ないのに、……先程もシャルルに酷い対応をしてしまったのに、彼はいつも通りだった。つまり、エマの接し方が変わったところで相手はこれまで通り家族として扱ってくれる、らしい。そんなことは有り得ないと決めつけていたが、人の心は本人以外分からない。……こちらから突き放したところで、家族として扱ってくれたなら、ああ、私はきっと、甘えてしまう。あたたかい家族に浸りたくなってしまう。これじゃあ身動きなんて取れないじゃないか、家族であることを受け入れるしかないじゃないか。

エマの心に、弱々しく、小さな小さな火が灯る。吹けば消えてしまうような希望だが、希望が芽生えたことは今のエマにとっては大きな一歩だった。


彼女の一番の心配事は、親友だ。許せないと、突きつけられたその一言が頭に焼き付いて離れない。……許されるものではない。

だが今、人の心は正確に推し量れるようなものでなく、決めつけられるものでもないと学んだ。絶対に許してくれないだなんて勝手に決めつけていいものか、……いや、でも、ハイルには迷惑かもしれない。どうしたら、どうしたらいいんだろう。


役に立たなければならない。その強迫観念は、未だ彼女を支配している。いくら寝不足であれど、消化し切れないものが心に振り積もっていようと、朝を迎えればエマは管制室に向かう。役に立たなければならないから。

親友への向き合い方も、家族への考え方も、たった一夜で整理がつくものではない。……ただ、シャルルの言葉や態度によって、エマの凝り固まった観念には隙が生じた。あのまま孤独であれば、この一夜は自責に駆られ続け全く異なったものになっていただろう。その命も危うかったかもしれない。エマの考えが固まりきらないうちにその心の底にそっと置かれた彼の言葉は、既にエマを救っていた。あとは、どのように受け取るか。どのように、家族と、親友と向き合うか。強迫観念から逃れられる日が来るのかも不確定。

ここからはエマ次第だ。



▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____管制室にて》


始業時間。ハイルからは休むと一言連絡が入っていた。


「おはよう。部品のことなんだけど、エスペランサがいいもの作ってくれたから……みんなに説明してくれる?」

エスペランサは軽く返事をして、その手にある小型の機器を船員たちに見せた。


「船が特殊な金属で作られてるのは知ってる?世界の欠片には基本的に無い金属だ。だからそれを利用して、アハルディア47のほかに同じものがあるのかどうか探せる物……探知機を作ったんだ。船長と一緒に。

詳しい場所の特定までは出来ないし、範囲も世界の欠片一つ分くらいで、ただ"あるのかどうか"ってそれだけ分かる機械。基本的には管制室に置いておくから、必要な時に各自見てね。」

「そういう訳でこの世界の欠片には……あとひとつかな。回収状況からしたら一度探しに行けば見つけられるだろうから、よろしくね。ありがとうエスペランサ。」

エスペランサは船長の謝辞に薄く微笑み、これが自分の仕事であるから、と首を振った。

小型の機器、その画面の一部に赤と青の点が連なっている。いくつか並ぶ点滅のうち、赤いのはひとつ。エスペランサ曰く、アハルディア47の停泊場所以外にある、船に使われる金属の数だけ赤く光るらしい。

原理はよく分からないが、ラズが考えていたよりも部品集めは好調なようだ。


船員たちは皆心のどこかで、どこともなく気味の悪いこのS▍A*E-▍**W202に嫌悪を抱いていた。  残り一つ、それさえ見つかればこの世界の欠片とはおさらばだ。まだ到底直りそうにはないが、着実に前進はしている。塵も部品も、積もれば山にだって船にだってなるのだ。


滞りなく言い渡された始業に、部品を見つけようと……他の目的を持つ者もいるかもしれないが、船員たちは次々船を降りていく。

そんな中、ラズは船長に駆け寄った。


「船長!少しお時間いいですか?」

「ん?どうしたの?」

第五話: テキスト

「いつもの、おはようのハグです!手が離せないならいいんです、ラズは我慢も出来てしまうので。……よければ、おひとつどうですか?」

0B83D2E7-669D-4C81-A383-E128BF7F6D56.png
第五話: 画像

両腕を広げて待ちの姿勢をとるラズは、屈託のない明るい笑顔を見せながらもちらちらと船長の顔色を窺っている。

見ててください、ラズは気遣いだって出来るんです!引くときは引ける心の広さも大切ですからね!

そんな心の声が聞こえそうな、期待に満ちた瞳。船長はラズの様子に思わず笑みを零し、おはようのハグに応じた。

「やっぱり背、大きいね。ラズは。」

ほんの数センチの違いであれど、同じ目線に立つ相手となかなか出会わなかった彼としては、ラズほど背の高い相手とのハグは新鮮な心地がする。もっとも、ラズを除けばそんな身長の相手とハグすることなど無いためかもしれないが。


「それで、用事はハグだけかい?」

「うーん……あ、そうですね、この前の薬。あれは、どうなったら飲めば良いのでしょう?」

ハグのほかに用は無かったためふと頭に浮かんだことを口に出す。この管制室で、船長の黒い手袋の上、並んでいた薬を思い返す。


「明確な基準はないよ。僕はなったことないんだけど、気分が悪くなったり食欲が無かったり、理由もなく体が重くなったりとか。人によって症状が違うんだ。厄介だよね。……体調悪いなら、言ってね?大丈夫?」

おはようのハグを求めるラズに普段と変わった様子は見られなかったが、体調というのは本人が一番分かるものだ。もしもがあってはいけないから。ラズを見つめる。

「いえ、ラズは平気です!ピンピンのムキムキです!……けれど最近のみんな、元気がないです。ぺスタさえ遊んでくれなくてビックリしています!病気だったりしないでしょうか……?ラズは心配です……。」

きっと、思いもよらず零れた言葉。彼は心底船員のことを心配していた。そんなラズの思いを汲んでか、船長は口を開く。

「……そうだね、心配だよね。ラズは優しいなあ。大丈夫だよ、今は元気がなくてもみんながお互いを励ましあって支えていけば、きっと治る。あの子たち、お互いを励ます余裕なんてないかもしれないから……みんなにも元気分けてあげて、特別優しくしてあげてね。ラズ。」

「そうですか……。わかりました、任せてください!船長も元気が出ないときはいつでもラズに言ってくださいね!」

間髪入れず頼もしい返事を寄越すラズに小さく頷いたかと思うと、船長は目を伏せて笑った。


「……さあ、僕もラズも仕事だ。頑張ろうね。」

「あとひとつ、ラズが見つけたらみんな褒めてくれますよね!」


意気込むラズを見送り、船長もその背を追うようにして管制室を後にした。


▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____管制室にて》


始業して数刻、ペスジアからのメッセージを受信した。部品を見つけたらしい。直後船長から全員一度船に戻るよう通達されたため、管制室にはぱらぱらと船員が集まってきていた。


「聞いてくださいよアインスさぁん!」

「ペ、ペスタ殿そんなに詰め寄らなくても聞くよ?」

管制室では到着した面々が和やかに会話を楽しんでいる。つい先程到着したペスタは、手持ち無沙汰にしていたアインスによく通る声で呼びかけた。


「部品のことはそんな考えてなかったんですけど、ちょっと確認がてら樹花の方に行ったんですよね、僕……そしたらなんとなんと……縄が…………」

「確認?縄?……何の話?」

「え!アインスさん知らないんですか!あの首吊……先っちょにこう、丸が作られた縄ですよぉ!たーっくさん枝から垂れてたあれですよ!確認はー……この前樹花で嫌な物見つけちゃって、……よく分かんないんです!もう!」

「え!?ごめんなさい!?なんで僕怒られたの!?」

ペスタは、ハイルの過去を知る人物の一人である。だが、船で一体何が起きていてハイルの過去が何を示すのか、それを考えられる余裕は持ち合わせていなかった。端末を見つけた際の不気味なあれやこれと映像だけで心はいっぱいいっぱいで、目を回してしまいそうだった。何故自分は再び樹花へ行こうと思ったのか、その答えは直感以外の何物でもなかったが言語化するのは難しいらしい。思考が絡まり、ペスタはアインスに少しだけ八つ当たりをしてしまった。


「そう!それで……前はその縄、今言ったみたいにたくさん、ほんとたぁーっくさんあったのに、さっき行ったら綺麗さっぱりスッカラカンだったんですよ。そんなことってありますかね!?僕怖くってもう……途中で帰ってきちゃいました……」

「あったはずなのに無くなってた…って………、怖っ……」

ペスタはよほど恐ろしかったのか、顔を青ざめさせて話している。大量の縄を見ていないはずのアインスも、想像だけでその身を震わせていた。

第五話: テキスト

「いやアインスさん見てないでしょうがーい!あんなの、前を知ってたらもっとぴえん通り越してぱおんですよぉ……ぴえん」
「ぴえんのままだけど……」

89359778-FBD2-41F7-A12C-4841F3673573.png
第五話: 画像

そうして二人が話しているうちに、ハイルを除く全員が管制室に集まったようだ。船長から話があるらしい。

「みんな部品回収お疲れ様!これで今までよりも少しは長く航行出来そうだ。……と言っても、業務再開には程遠いんだけど……。それじゃあこれからどうするか、説明していくね。異空間のマップを表示させてくれる?」

船長の指示に応じて、ヘデラが管制室の機器を操作する。モニターにマップが表示された。相変わらずその画面は乱れている。船長は彼に礼を言うと、モニターを示しながら話を続けた。

「EMERALD00の西側、この辺りで爆破事故が起きた。その後この【202】にやって来たね。……船は、制限のない長時間航行が出来なければ業務を行えないから……そのための部品が【202】の方へ飛ばされていくのを見て、僕は手動操舵でここに来た。立て込んでてきちんと説明出来てなかったね、ごめん。」

「だが、異空間は不思議な場所だ。船や世界の欠片ほどの大きさがあれば話は別だが……小さい物なら異空間内を一瞬で移動させてしまうワームホールが、そこら中にあるのは知ってるね?」

パステルカラーの異空間には、船を除いて三つの異物が浮いている。異空間を構成する一要素を異物と呼ぶのか定かではないが、パステルカラー以外の物も存在しているのだ。


ひとつは世界の欠片。

多彩な形を与えられた崩壊した世界の残骸たちは無数に異空間に浮いている。形はもちろん、世界の欠片の内部もそれぞれ異なっている。いくら酷似していたとしても全く同じ並行世界など存在しないため、同様に全く同じ世界の欠片がないのも当然だ。

あらゆる世界は唯一無二で、だからこそ失ってはならない。そのために観測船は存在している。


ひとつは異空間と並行世界の"接点"。

チョーカーを操作すると表れるものとよく似た、青いモニターのようなそれは異空間と各並行世界を繋ぐ役割を持つ。窓のようなもので、そこから並行世界の様子を覗くことも出来る。世界の欠片と同様異空間に浮いているが、形や大きさに個性はない。

並行世界のバグを取り除く際は、この接点から情報を読み取りバグを割り出している。並行世界に干渉しているようにも思われるが、これだけならば罪に問われることはない。禁じられているのはそれ以上の接触。つまり、覗くだけなら何も問題はないが、そこから並行世界に侵入してしまえばその時点で禁忌を犯したことになる。そこからの侵入や干渉が可能だからこそ禁じられているのだ。不可能ならば禁じる必要も無い。映像を映し出しているが故に平面のように見える"接点"は、くぐることも出来るのだ。

したがって、"接点"は観測船の役割や存在に非常に密接に関わる重要な要素である。

また、"接点"と観測船に設置されたモニターは同期されているため、"接点"に映し出される映像は管制室でも同様に見られる。管制室で目を光らせることでバグを発見出来るのもこのためである。

……バグが起きている並行世界の"接点"は、異空間に面している縁や映し出す映像にかかる効果がわずかに他のものと異なっている。それはちらと見ただけで分かるものではないが、よく観察すれば、また場数をこなしていけば誰にでも分かるような違いだ。バグを見つける手段はこれに限らないが、主となるのはこの"接点"の観察だろう。


そして残りのひとつが、先程船長が口にしたワームホール。

オーロラのように幻想的な色を持つ楕円形の渦。異空間のねじれで、トンネルのようなもの。それがワームホールである。完全に渦に呑まれれば、一瞬ののちには異空間にあるどこか別の渦から吐き出されるのだ。

ワームホールは人の頭ほどの大きさであり、それよりも小さい物質でなければ渦に呑まれることは無い。したがって人間や船がワームホールで移動することは不可能であり、危険もない。渦に呑まれない大きさの物質は、まるでそれが同じ次元に無いかのように通り抜けてしまうのである。よって異空間を生きる船員たちは、知識としてはワームホールを知っていたがそれ以上に関わることはこれまでに無かった。


「部品はすべて、【202】の方へと飛んでいった。それは間違いないが、ここにはすべての部品はない。……恐らくワームホールに呑まれて、飛んでいくはずのない場所にまで散らばってしまっている。

ああでも、異空間に落ちてしまっていることはないよ。不思議なものでこういう事態が予測されてるのか、船に関わる物は世界の欠片が共通して有している引力の作用を…って話はここでしても仕方がないか。近くに世界の欠片があれば引っ張られてそこに落ちるようになってるんだ。」

船長は小難しい原理を説明しかけて、口を噤んだ。ルークに同じことをしてから回ったのは記憶に新しい。簡単な言葉に言い換え、脱線目前だった話を戻す。


「【202】に来た時にも言ったけど、こういう理由で色んな世界の欠片を転々とすることになる。この配置なら……次の目的地はここかな。」


そう言って指した先、バグにおかされるマップ上では7⊃NB3R-J▆CKL9と書かれていた。その欠片は、一部だけ他のものよりも酷く崩れている。バグの影響が強いのだろうか。


「この間の移動にはそれなりに時間がかかる。爆発時にアインスがやってくれたように目的地を設定し、自動航行にしてここに向かおう。出発は……早い方がいいね、でも休憩も兼ねて…昼休憩の終了時刻を過ぎたらまたここに集まってくれ。……世界の欠片の移動について、何か質問は?……良さそうだね。じゃあ、解散。」

分かったような、分かっていないような、そんな顔をしている船員も数名。最低限移動することだけ分かっていれば問題は無いだろう。

すぐに食事を摂る者、管制室でマップを見て何やら話している者、船員たちは思い思いに休憩に入っていった。


▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____食堂にて》


解散を言い渡されたその足で、リツィとウェルテルは食堂に向かっていた。道中会った何やら元気のないエマも半ば無理矢理連れて目的地に到着する。ひとり、先客……ペスジアがいたため、彼女も共に四人で昼食を摂ることにした。


食事を共にすると分かるが、ペスジアは案外味の好みが顔に出やすい。柔らかく微笑んでいたかと思えば何やら悲しい顔をしていたりとくるくる変わる表情は見ていて面白い。無表情を貫きながらもそれなりの速度で食べ進めるリツィとは対照的だ。

また、机にはエンペラーが横たわっており、ペスジアの食事中話し出す気配はなかった。


「あー、昨日は丸二日くらい食べてなかったからこんなんでも良かったけどさあー、もうムリ。もーヤダ。……てか丸二日食べてなかったにしてはお腹減ってなかったなー、昨日も。ぜえったいコレのせいじゃん!食欲減退効果バツグンじゃんね!食べる気起きねー……」

ウェルテルは伸びをしながら机に伏せると、ブロック食を片手で摘んで弄んだ。エマもまた食欲が湧かないらしく机上に並ぶ四角を浮かない顔で見つめている。

ふとウェルテルが視線を感じて顔を上げると、彼女の正面に座るペスジアの手が止まっていた。彼女は不思議そうな顔をしてウェルテルを見つめている。

「ペス?」

「……あっ、すみません。何でもないですよ。」

「えー絶対なんかある視線だったって!!アタシそういうの汲み取るの上手いかんね!」

「……じゃあ、少し。」


「マルフツカ……とか、キノウ?って……なんですか?」


口に出した途端、ペスジアははっと気がついたように目を見開いて謝った。きっとウェルテルの、小林小夜の記憶が関わっている言葉なのだろうと、探りを入れるのは失礼だったと、そう考えて謝罪の言葉を口にする。

投げかけられた疑問にウェルテルは目を丸くし、エマもペスジアの言葉を聞いて驚いたように顔を上げた。彼女たちが意識せずとも使い当然のように知識にあったその言葉は、ペスジアには少しも通じていないようだ。

過去を知る前、何も知らない「ウェルテル」と「エマ」であった頃を思い返すが、あまりにも馴染み深いその言葉を船内で聞いたことがあるかどうかなど思い出せるはずもなかった。途端に血の気が引いていくような、そんな感覚に襲われる。


「き、昨日……って、分かんない?じゃあ……今日とか明日とかって、もしかして?」

「キョウ……?アシタ…………ごめんなさい、知識不足みたいです。……私、もしかして不味いことでも聞きましたか?」

戸惑い、眉を下げて不安そうにウェルテルを見つめるペスジア。ウェルテルは咄嗟にエマを振り向く。

「エマは!?」

「エマ、は、わかります……」

「……じゃあ、……記憶が原因でもない…?」

「あ、でも、エマ、……記憶…………う……、……」

思い出してしまったのか、ひどく顔を歪めて俯くエマに、ウェルテルは既視感を覚える。……少し前の、自分?ならば、ならば。

「……ッ!!もしかして、エマ、も……?」

エマが俯いたまま、小さく頷いた。

彼女は今のウェルテルの口振りや部屋に篭っていたことから、わずかにその可能性を考えていた。先程のウェルテルが零した「記憶」という単語、そして今の「エマ"も"」という言葉から、エマはウェルテルも"そう"だと確信した。ウェルテルとハイルとエマという三人には船員でなかった頃の記憶があるのだと、エマだけが知っている。


「リ、リツィは、……アタシと話してて指摘してきたこと、なかったよね……?」

「……聞き馴染みのない単語だったが、話の流れから推測した。きっと……前回だとか、次だとか、そういった意味だろう?キノウや、アシタ、というものは。」

「合ってるけど…………そっか、これ通じないのか……」

ウェルテルは力なく項垂れる。自身は皆と違うのだと、再認識してしまった。エマも同じ境遇であることに心なしか親近感を覚えるが、今はそれどころではない。

…………アハルディア47には、"昨日"や"明日"の概念が無いらしい。



▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____管制室にて》


昼休憩を終え、船員たちは再び管制室に集まった。

ついにこの世界の欠片を去り、次の世界の欠片へと向かって旅立つのだ。移動中は通常業務を行うらしい。確かに、異空間を航行しているうちは普段通りの状況に戻る。異なるのはその航行に目的地があることだけだ。


船を発着させた経験など当然船員にはなく、その作業は船長に任せるほかない。船長は皆が集まったことを確認すると、何やら準備をすると言って管制室を後にした。……手持ち無沙汰だ。誰ともなく、雑談をし始めた。


「……ヘデラ、彼岸花持って帰ってきてたよね。あれ、どうしたの」

「ん?ああ、部屋の花瓶に立ててあるよ。結局どうして青いのか分からずじまいだけど」

「……バグの影響か、本来の世界が"そういう"世界だったとしか言えないんじゃないかな」

「はは、そうだねルーク。あんな花畑でも、もう見ないとなるとちょっと名残惜しい気もしてきたなあ」

「ま、花ならいつでも見れるしいいんじゃない。」

ルークが自ら話しかける数少ない相手の一人が、親友のヘデラである。何か意図がある訳でもなくふと思いついたことを口に出しては適当な返事をするような、何気ない会話が許される関係性。二人はそんな自らたちの間柄に、心地良さを感じている。


「ルーク、リリィとは探索行かなかったんだね」

「……なにその顔。いいでしょ別に」

「いやぁ?なんでも?応援してるってことだよ」

大人びたヘデラも、ルークの前では彼と意中の少女との関係をからかうような年相応の顔を見せる。ルークはじとりとヘデラを見るが、彼は笑顔を崩さず軽くルークの背を叩いた。

何か言い返してやろうと、ヘデラの恋人を思い浮かべる。が、彼の脳裏にはハイルを追ってシアターを出てきた悲痛な表情のローレが焼きついていた。からかう気も失せる。……シアターへ入れてしまった身としては、彼女が失意に満たされていることに対して責任を感じるのも事実。しかもそれが親友の恋人と来た。……心配でない、訳ではない。

デスクで大人しく資料を捲るローレを見やり、口を開く。


「……10番、ちょっと調子悪いんじゃないの」

「……そうなんだよね、最近なんか元気ないみたいで。……悩みなら相談してくれればいいのに、力になりたいのにな、僕。……いくら取り繕ったって頼りないかな?」

「…そんなことないよ」

ヘデラは茶化すようにそう言って笑うが、本心だろう。ローレを支えられない自分に、悩みを解決どころか知ることすら許されない不甲斐なさに、彼は少々参っていた。それを理解しているからこそ、ルークはそんな卑下を曖昧に否定することしか出来なかった。


ローレの悩みは、人に話したとて解決できるものではない。ローレが中身を見ようと提案し意気揚々とその再生ボタンを押したのは事実であり、軽々しく「ローレのせいではない」などと励ませるものでもない。

誰でもないハイルと顔を突き合わせて話さない限り、解決しないのだろう。

また、ヘデラは未だ映像を見たことがない。アハルディア47の世界の欠片への停泊において、日常から逸れているのは通常業務が無いことと探索に出ること、少し船員の休みが目立つこと。彼はまだそれだけだと思っている。無理もない、ルークの知るような事態は、想像なんてつくはずないほどの非日常だ。……そんな彼に一連の異常について何をどう伝えたらいいのか。ローレもそんなことを考えて、相談していないのだろう。体験した当事者にしか、あの異常性は、絶望は、分からないのだから。

ルークが信頼を置く友人たちに対して隠し事をしているのもこのためである。余計な不安を煽りたくないがために、目下一番の心配事を誰にも共有することなく抱え込んでいる。無口な彼は、それを隠すのが上手かった。現にヘデラや翠、トロイというルークと話すことの多い三人も彼の不安に気がついてはいなかった。

何気ない会話でそんな不安を中和して、同時に隠し事をしていることに後ろめたさを覚えて。ルークはずっと、悩んでいた。



雑談をしていれば知らぬ間に時は過ぎ、船長が管制室へ戻ってきた。どうやら準備が済んだらしく、ここからは管制室で操作を行うようだ。

手際良く、管制室前方の機器に何かを打ち込んでいく。どこかのボタンを押せばそれで動き出すような、そんな単純な構造ではないらしい。リツィがその様子をまじまじと見つめている。

「私達では出来ないのか?」

「うーん任せてもいいんだけど、なかなか複雑な操作だから……今後ずっとやらなければならないものでもないし、覚える手間を考えれば僕がやった方が合理的だよ。」

「……まあ、確かにそれはそうだな。」

船長の返答に納得した様子のリツィだが、変わらず船長の作業を後ろから覗き込んでいる。リツィのほかにも数名が興味深そうにその様を観察していた。先程までは無かったギャラリーに船長はほんの少し居心地の悪さを感じつつも、その手を止めず次々に工程を踏んでいく。

……どうでもいい話だが、のちの密告で、見学していた船員達の中には何が何だか分かっていないのに真面目な顔で頷いていた知ったかぶりがいたらしいと噂が立った。

ついに最終工程をクリアし、あとはある一点を押して作動させるのみ、というところまで辿り着くと船長は一度手を止めた。船員を振り返り、その旨を告げる。


「準備はいい?振動とかはあまり無いから、心の準備なんだけど……」

異議を唱える者はいない。彼らの表情は落ち着いている。

「それじゃあ、【202】を出ようか。」

船長が画面に触れる。……アハルディア47が、航行を開始した。


▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


しばらく経っただろうか、既に船体は安定し問題なく異空間を進んでいる。操作は必要ないようだ。ここからは通常業務、バグが見つかれば除去し、見つからないのであれば前回のバグやこれまでの記録の整理を行う。

……ふと、船長から声がかかる。

「みんな、少しいい?この移動中に伝えておきたいことがある。」

「シアターについて。」

空気が変わる。

もっとも、そのように感じるのは心当たりのある数人だけだが。何も知らない船員たちは一体何の話だとでも言いたげに怪訝な顔をしている。

……例の、媒体についての話だろうか。核心に触れるのだろうか、いやそもそも船長はあれを知っているのだろうか。発される言葉に神経を注ぎ、息を呑む。


「……知ってる子もいるんだろうけど、今シアターの鍵が壊れててね。誰でも入れる状態になってしまっている。」

「だから、封鎖しようと思って。」

変わらず穏やかな口調で、にこやかに話す船長。

本来入ってはならない場所の鍵が壊れているから封鎖する。自然な考え方だ。シアターの鍵のことを初めて知った船員らは少しも疑問を抱いていない。そんな中、一人が声をあげた。

「そいつは、おかしいんじゃねェか?」

シャルルだ。

「ここで言うべきじゃないんだろうが……船長、何を隠してるんだ?」

「……俺は前回探索を終えて船に帰った後、船内を見て回ってた。最後にシアターに行って、……そしたら一人で悲しんでる奴がいた。あの場で何があったのか知らねェけどよ、そんな怪しい場所を封鎖して全部誤魔化して蓋して終わり、って何も解決してないだろ。それで有耶無耶にするつもりか?」

船長はじっと彼を見つめている。

「……不安だろうなァ、みんな。なーんにも知らねえもんな、俺もだけど。……シアターが何なのか、どんな場なのかは分からない。だがそれを知る機会すら奪って取り上げて知らないままで平和だ、なんてどんな毒親だよ。なあ、船長。……信用させてくれよ、家族でいたいんだ。」

船長はじっと彼を見つめて、話を聞き終えると静かに目を伏せた。帽子の影で表情は窺えないが、口元はの笑みはいつの間にか消えていた。

「……これ以上何も、話すことはない。けれど、そうだね……君らの知る権利まで奪ってしまうのは、良くないか。……わかった、封鎖はやめにしよう。ただ……ただ、僕は、……もしも目にしたら、その使用を妨害してしまうかもしれない。」

何かを堪えるように固く握られていた船長の拳から、ふっと力が抜ける。彼が顔を上げれば、普段通りの船長がそこにいた。

「それじゃあ、何も変更はないね。業務を再開しよう、仕事を中断させてしまって申し訳ない!……みんなも、聞きたいことがあるならまた終業後にでも僕の部屋に。」

それだけ伝えて、彼は船員たちに背を向けた。



▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____2F廊下にて》


終業時間。無線にてそれが言い渡され、業務を終えた。

ようやく仕事が出来ることに安心しているのか、メルトダウンは終業するつもりはないらしい。飲み物でも取ってくるか、と食堂に向かう。……道中、白い影にばったり出くわした。


「船長!」

「ああメルト。……お話かい?」

「……ほんの少しだけ、いいですか?」

「もちろんいいよ。……まだやることがあるから、あまり時間は取れないけど。大丈夫?」

「はい、大丈夫です。」

二つ返事で快諾した船長とともに、立ち話も何だからと食堂で腰を落ち着けることにした。船長の分まで飲み物を取りに行こうとすると、知らぬ間にいつものようにホットミルクが置かれていた。船長も向かいでコーヒーを飲んでいる。……毎回、ホットミルクであることに何とも言えぬ羞恥を覚えるが、光栄なことに船長からいただいた飲み物であるため無下にも出来ない。大人しくお礼を言って、口をつけた。慣れ親しんだ味に、少し緊張が和らぐ。


「それで、メルトダウンの話って?」

メルトダウンは、また一口飲みマグカップを置いた。これから聞くことは、きっと船長は聞かれたくないことなのだろう。そんな思いから、船長と目を合わせることが出来ない。少し下に視線を向け、ゆっくりと口を開いた。

「……あの、失礼を承知でお聞きしますが……みんなは、どこかの世界から来たんですか。船長は、船員の過去をご存知なんですか……?」

「……過去?どこかの世界?……メルトダウン、君も見たんだね。」

船長はメルトダウンの言葉に数度瞬きをすると、一度マグカップを傾け目を閉じた。どう答えるべきか、思考を巡らせているのだろう。

「……今みんながここにいる、それだけじゃあだめだろうか。」

悲しげに眉を寄せ、まつ毛の影を瞳に落とす。それでも船長は笑顔だった。痛々しい笑顔、表情を取り繕うことも今はしていない。

「そ、うですよね。すみません、いきなり変なことを聞いて……俺は、船長を信じてます。俺は船長の味方で、これからも船長について行くつもりなので……って、何の話してんだか、……」

「はは、ありがとうメルトダウン。」

空のマグカップを手に、船長が席を立った。

「一服するくらいしかいられなくてごめんね。」

「……、船長!……俺のッ……いえ、なんでも……」

何か聞こうとしたらしいメルトダウンだったが、それは音にならなかった。彼が言葉に詰まる様子に言及することなく、船長は少し笑ってその場を去った。


……大きくため息をつき、自身の右腕をそっと掴む。知らぬ間に息が詰まっていたのか、やはりこんなことを聞くには緊張してしまったのか、心臓が煩かった。……今みんながここにいる、それだけでいい。その通りだ。それだけでいいんだ。分かっている、が。

少しだけ涙が滲む。自分の気持ちがよくわからない。自分のことすら分からないのに、他人のことやら船のことやら気にする余裕なんてある訳ない。人間、それほど万能ではない。

押し寄せる投げやりな思考の波に呑まれかけたが、頭を軽く振ってそれを制する。

……俺は船長を信じてる、と自分に向けて呟くと、彼は食堂を後にした。


▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____ハイルの個室前にて》


まだ入れてくれないか。

やってやろうと決めたシンシアは、真っ直ぐにそれを追及するような性格、つまり彼は大切な人の危機に対してはそれなりに頑固だった。自身の思いを伝えたすぐ後に追うような真似はしなかったが、しばらく経てば合間に時間を見つけてはハイルの部屋を訪ねていた。

無理に外から声をかけることはしない。彼女はそんな状況に対して非常に根深く今もなお癒えることのない心の傷を抱えている。わざわざ悪夢を呼び起こすなんて、すべきではない。

ただ部屋の外で彼女が出てくるのを待っている。訪ねた際に数度ノックをして、自分が来たことを知らせるだけだ。

扉越しであれど、そばにいる。一人になんてさせる気は毛頭ない。

そんな心づもりが伝わっていればいいと、彼は気長に待っていた。


……ふと、支えが消える。扉が、開いた?

扉に背を預けていた彼は思わず体勢を崩しかけたが、何か、他のもので支えられた。後ろに、ハイルがいる。背中に彼女の体重がかかる。


ぽつりと、ハイルが呟いた。

「……シンシア、……私あれから、考えてたの。君がくれた言葉と、私が、皆に何をしてしまったのか。誰のことも見ないで、独りよがりに八つ当たりなんてして…………ねえ、わたし、謝ってもいいのかな。……めいわくかけてごめんって、ひどいこと、言ってごめんって、謝っても、いいのかなあ……ッ!」

次第に嗚咽混じりになる声に、以前のような誰彼構わず否定する棘は見られない。

ただ自身の行動を悔いて、他の誰でもない"シンシア"に話しかけ、"船員たち"に謝りたいと泣いている。誰と重ねることもせず、ここにいる皆と話したいと、そう言っている。

背中に感じるほのかな温もりに、シンシアは少し笑って声をかけた。


「そうっすねえ、謝ったら、許してくれるんじゃないですかね。許してくれなくたって何回だって顔合わせて本音で話して、そういうのが大事っすよね。」

第五話: テキスト

「……うん………………ごめん、ごめんねシンシア、ありがとう…………」

361413B5-2941-4EFC-8579-C73D2E40E52E.png
第五話: 画像

彼の背中に顔を埋めたまま、ハイルはシンシアの名を呼ぶ。

凍った心が溶けきったかと言われればそうではないのだろうが、一人ではないと教えてくれた彼の隣は紛れもなくハイルの居場所だった。彼女はようやくそれを知った。

この世に居場所が無いなんて、とんだ早とちりだ。


夜が明ける。


▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁


《____管制室にて》


始業時間。管制室には、ハイルを含めた全員がいた。

「ごめん、穴開けちゃって……もう大丈夫だよ。」

今どこにいて、これから何をするのか。離陸時管制室にいなかった彼女は、始業前にシンシアから説明を受けていた。


船長が始業を告げると、船員たちは各々の仕事に目を向ける。……が、まずは仲間の復帰祝いで管制室は賑やかだった。一通り声をかけられた後、ペスタがハイルに目掛けて駆けて来る。


「ハイルさぁん……!!心配しました!もう、本当に心配してました!!よかったー!!」

ペスタがハイルに抱きつく。困ったように笑い、ハイルは彼女を受け止めた。

ペスタの全く変わりない態度に、ハイルは内心安堵した。彼女もあれを知ったのに、変わらず"ハイル"を心配してくれていたようだ。改めて、誰にも目を向けず何もかもを決めつけていた自分を省みた。

……謝らなければならないのは、ローレと、エマ。


ちらちらとハイルの様子を窺っていたローレの正面に立ち、頭を下げる。

「ごめんなさい、ローレ。」

「ッ、謝らないでくれ!!ボクが悪いんだから……」

「ううん、私。私が悪い。……八つ当たりだった。本当、ごめんなさい。」

「……ううぅ……ハイルぅ……ごめん……」

「……ふふ、ローレ、泣いてるの?」

ローレは瞳に涙を溜めて謝ると、ハイルを強く抱きしめた。ずっと謝りたかった、ボクが勝手なことしたから、とポロポロ泣きながら文章にもならない思いを連ねるローレの背を優しく撫でる。

自分が悪いと考えているのはお互い様だ。それを否定したところで待っているのは堂々巡り。お互いが悪かったと受け入れて謝って、そうしてまた手を繋ぐこと、それを仲直りと人は呼ぶ。


……視界の端に、赤が映る。……エマだ。

エマはハイルから目を逸らすようにしてそこに立っていた。親友の復帰を一番に喜びそうな彼女が、管制室の端で静かに佇んでいる。……ハイルのことを、避けている。

どっと、彼女にしてしまったことが思い返され重く心にのしかかり、声が出なくなる。……まだ、謝ることなんて、話しかけることなんて、出来ない。……本当に酷いことを、してしまったのに。

ハイルは唇を噛み締め、エマから目を逸らす。……今後、二人の視線が交わることはあるのだろうか。

少しして、モニター前に座っていたルークが声をあげた。


「マップからすると、……あれかな。目的地。」

彼は、正面に映し出される世界の欠片を指さした。

第五話: テキスト

____あれが、7⊃NB3R-J▆CKL9。

3026E524-3D88-400E-8755-CF5B3453B9FE.png
第五話: 画像

さすがは個性豊かな世界の欠片のひとつ、何とも不思議な形をしている。アハルディア47は安全に停止出来る位置まで世界の欠片に寄ると、自動航行を停止した。ほぼ夜に移動は出来ていたらしく、始業後一、二時間で目的地に到着した。

船長から無線が入る。


『こちら船長。次の世界の欠片に到着したから錨を下ろしてくるね。全員管制室に集まって、僕が行くまでその場に待機してて。』

「了解。」


プツ。

船長の無線に、船員を代表して返事をするのはいつもリツィだ。今回も例に漏れず、彼女が返事をして無線は切れた。

錨を下ろす音を聞くのは二度目だが、やはりこの不協和音には耳を塞いでしまいたくなる。ずん、と錨が下ろされきった音が響くと、すぐに船長が戻ってきた。


「それじゃあ……うん、まだ時間はあるね。これから前と同じく部品を回収してきてほしい。新しい場所だ、もしかしたら危険があるかもしれないからそんなに遠くには行かないようにね。そうだ、ここまで来ればマップ情報受信出来てるかもね。ルーク、開いてみて。」

指示を受けたルークがマップを開く。これまではS▍A*E-▍**W202のマップを表示していたその画面は、大きく乱れたかと思うと全く異なるマップを表示した。7⊃NB3R-J▆CKL9のものだろう。


「これに沿って探して行こう。それじゃあ、よろしくお願いします。」


新しい世界の欠片、未踏の地に心躍らす船員たちは、慣れたように船を降りていった。管制室には、船長ひとり。


ふと、探知機のことを思い出す。しまった、事前に見てここにいくつあるのかを共有しておいた方が良かっただろうか。そう思い、小型の機器を手に取った。

……?

点を用いて数を示すはずの画面が、赤に埋め尽くされている。いや、一部は赤になったり青になったりと忙しなく点滅を繰り返していた。……不具合だろうか。S▍A*E-▍**W202では、正常に作動していたのだけれど。

せっかくの探知機だが、これでは数が分からない。一度整備し直すことにした船長は、探知機を手に船長室へ向かった。



▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁ ▁ _ _

第五話: テキスト
bottom of page