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第三話

第三話: ③

《____ウェルテルの個室前にて》


 ウェルテルに拒絶された船長は、すぐに彼女の個室を後にした。今無理に介入してしまうのは良くない。衝撃を受けていた彼とはいえそのくらいの判断はついた。いくら動揺していたとしても判断を誤ってはならない、彼は船長なのだから。

 ウェルテルの個室前。頭を冷やさなければならないと、船長はしばらくその場に留まった。一度はオーバーヒートしかけた脳も、少し息をつけばそれなりに働いてくれるらしい。


……やはり、シアター。問題があるとすればそこと、対処が遅すぎた自分自身。"あれ"を見られるのは誤算だった、そこまで予測が出来ていなかった僕の過失だ。早く対処しなければ不味い。また、いつまでも【202】で足踏みし続ける訳にもいかない。回収し終えたとしたらそれをどう確認するか。ウェルテルのことも心配だが……それでも今、僕が最も優先すべきは生活の維持。温室が使えない以上食堂の機能にも限界がある。今はまだ余裕があるが、早く何とかしなければ餓死しかねない。……ここは異空間ではないのだから。

問題は山積みだ。考えなければならないこともやるべきことも、誇張ではなく無限にある。早く、切り替えなければ。


感情に流されてやるべきことを見誤るのは悪だ。分かっている。

しかしそれならば、人を気にかけることも悪なのだろうか。


悩みは尽きない。


____足音が聞こえる。コツ、コツと、進むことを躊躇うような、ゆっくりと踏みしめているような足音。……ヒールの音が、響く。


「……リツィ。」

俯き、一歩踏み出しては立ち止まってを繰り返していたのはリツィ。

コバヤシ サヨの映像を見たうちの一人だ。

誰もいないものと思っていたのか、彼女は船長の声を聞くやいなや弾かれたように顔を上げた。一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにその色は失われた。いつも通りの顔。それを努めて作っている。


「船長。どうした、こんなところで。……ウェルテルに、何か用でも?」

訝しむように船長を見る。リツィは船長を疑っていた。

いや、コバヤシ サヨの映像を見て以来、疑いは確信に変わっていた。


船長は何を隠しているんだ。

勝手な行動に意味があるのなら納得出来るように話せばいいのに、何故それをしないのか。……あのウェルテルは、今のウェルテルは、何なのか。


だがそれを、疑念を向ける張本人に対しておいそれと口にするほど彼女は浅はかではない。誰もが無条件に信じてついてくるのではないと、その視線と態度をもって雄弁に伝えようとしている。彼女はその立場故に、時に船長を否定することも自身の役割だと自負していた。


「……そんな顔してるってことは、見たんだね、君も。」

参ったなあ。そんなことを言って、困ったように目を伏せて笑う。

笑う、笑っている。口ぶりからしてすべてを知った上で、笑っている。……何故、何故、なんで笑えるんだ、こいつは。

ふつふつと湧き上がる激情を抑え、リツィは船長の目の前まで歩みを進め、目を合わせる。


「"あれ"は、何だ?何故ここに上陸した。このまま全部黙っておくつもりか?」

「…………」


このまま煙に巻かれるつもりはないらしいリツィの剣幕に少しもたじろぐことなく、船長は数度瞬きをした。笑みを崩さず、そのまま彼女をじっと見据えている。

静かな拒絶。これまで船員たちを安心させてきた微笑みが、途端に機械的で得体の知れない恐ろしいものであるかのように感じる。リツィの背筋に冷たい汗が伝った。


「リツィ、君は……いや、……世の中には知らなくていいこともあるよ。……ウェルテルのこと、頼むね。」


直後、船長は視線を外し踵を返す。

説明する気はないのかと食い下がるが、彼が歩みを止めることはなかった。


一人残される。ウェルテルの個室の前に。……まだ、立ち入る勇気は無かった。今は何をしても、どんな言葉をかけても、私のエゴでしかない。傍に寄り添うだけでもと体の動くままにここまで来たは良いが、何も出来ないのならいないのと変わらないな。


薄くも厚いその扉に手を置きゆっくりと頭を預ける。開かない扉の奥に閉じ篭ってしまった彼女を想って、そっと瞼を閉じた。



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《____田園にて》


船が停泊している辺り一帯を田園と呼ぶらしい。

果たしてこのマップは正しいのか。今はこれに従うしかないとはいえ、手放しに信じてしまってもいいものか。

アインスは、経験したことのないこの状況に未だ不安を抱えていた。

彼は田園を歩いている。


「あー、怖い!一人で来るべきじゃなかったかな……」


田園と、マップ上では称されるその地帯。

しかしその土は乾ききっており、到底作物が育てられるものではない。数回しか入った覚えはないが、温室の土は少なくともここまで乾きひび割れてはいなかった、と、思う。

彼がマップの信ぴょう性に疑問を抱いたのはその点だ。まるで田園地帯とは思えない。

第三話: テキスト

一部は水田だったのだろうか、乾いた土に反して水溜まりのようなものが所々に残っているのも奇妙で、彼の不安を煽っていた。

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第三話: 画像

また、固まった土には無数の靴跡が生々しく残されている。どうやらここの土は、何者かに踏みつけられてここまで固まってしまったらしい。

肩を竦め、辺りを見回しながら虱潰しに歩いていると、明らかにここにあるべきでない「何か」が落ちていることに気がついた。拾い上げる。


「これは……部品、かな?」

何に使われるのかは分からないが、恐らく部品。地面に転がるに相応しくない金属片は、船で見かける素材によく似ていた。


「とりあえず、持って帰ろう!損はないだろうし……うん、さすがにこんなときにやらかしはしないよね、僕。多分……」

でも、僕じゃなくてもっと船に詳しい人が見つけてたなら、すぐに分かるんだろうな。

自身の知識がその域に及んでいないことに、思わず気分が沈んでしまう。これではいけない、切り替えるべきだ。頬を両手で包み、軽く叩く。

これを無事に届けるのが、僕がやるべきことだ。今ここで知識不足を嘆いたってしょうがない。きっと、これを届ければひとまず役目は果たせる。

大切そうに部品を手に取ると、アインスは船へ戻ろうと顔を上げた。

そして、視線の先。……倒れている、人影らしきものが目に入った。


息を呑む。

ゆっくりと、近づいていく。

……人ではない?

第三話: テキスト

「マネキン……?」

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第三話: 画像

精巧に作られたマネキン。泥がこびりつき、ひび割れ、肢体はバラバラに分解されて地面に散らばっている。何故こんなところに。

恐怖心から、なるべく見ないようにと薄目でぐるりと辺りを見回す。

先程のマネキンと似たような影が一定の間隔ごとに点々と続いていた。どれも同じもののようだ。


「……気味悪いなあ………………、!?……何!!!?」


初めての外、慣れない業務、不気味な風景。

それらはアインスの警戒心を最大限に引き上げていた。それゆえ、慣れ親しんだ突然現れる画面にもその通知音にも過剰に反応してしまったらしい。過敏になっていた自分にわずかに羞恥を覚えつつ、画面を見る。……ラズから、全員へのメッセージのようだ。


『優秀なラズが部品をみつけました✌️

 持ち帰るので、後で褒めてくださいね』

「ふふっ」


思わず笑いが漏れる。なんだ、拍子抜けしてしまった。

先程まで張っていた肩から自然と力が抜けている。……ラズ殿は凄いな、文字上でも僕の緊張を解してくれた。

アインスは、今度こそ前を向いて歩き始めた。


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《____甲板にて》


S▍A*E-▍**W202に上陸し日常業務を行えなくなって以来、終業時刻は曖昧になっている。ここのところ、船長が休んだ時のように探索を終え船に戻り次第各自終業、という形に落ち着いていた。

この世界の欠片は常に頭上には赤が広がり、船内のように定刻で照明が切り替わることなどないようだ。したがって、今は時刻としては夜であるのに甲板は昼と変わらず赤く照らされている。もっとも、異空間でもこの時刻に限らず常に甲板が明るいことには変わりはなかったが。

エスペランサと鮫は、甲板にいた。


「エスはなに、これからは修理にあたるわけ?アインスとラズと……あと何人か、部品持って帰ってきてたし」

「そのつもりだよ、ボス忙しそうだしね。ああそう、あと部品の探知機みたいなのも作れるといいねって話してた」

「探知機ぃ?」

「部品、特殊な金属で出来てるんだって。マップだって曖昧だしどこにあるのかまでは分からないだろうけど……その世界の欠片にいくつあるのかどうかくらい分かれば楽だよね。まあ、あったらいいなってくらいの話だよ」

第三話: テキスト

「ふーん。エスなら出来るよ。出来るでしょ?
この俺様の親友ならそれくらいちょちょっと出来なきゃ釣り合わないっていうか〜」

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第三話: 画像

探知機のことを夢物語のように話したエスペランサに対して、鮫は至って真面目にお前なら出来ると肯定する。あっけらかんと言ってのける。エスペランサは目を丸くして、異空間を見ながら退屈そうに何か呟いている鮫を見つめた。

そうだ、自分の親友とはこういう男だった。きっと大した意味もない言葉なんだろうけど、だからこそこれが本心だと伝わってくる。彼は、大真面目に僕なら出来ると信頼を寄せてくれているのだ。

そう思うと、自然と笑みが零れた。本当に素直な男だなあ、君は。


話し込んでいて気がつかなかったが、既に午前0時を回っていたらしい。もう自室に帰って休もうか、そんな別れ言葉で甲板を後にした。


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《____管制室にて》


始業時間。ウェルテルの姿はない。


「ウェルテル、どうかしたんですかね。お腹が出てるので冷やしちゃったんですかね。ラズはいつも心配してました、お腹……。

はっ!シャルルやスイは大丈夫ですか!?やっぱりしまったほうがいいと思います!!」

「ぐ、腹痛くなってきた……」

「シャルル!!!!?!?」

「じょ〜だんだよ」

シャルルの一言にラズは顔を真っ青にして彼の両肩を掴む。ラズの様にくつくつと喉を鳴らして笑うシャルルは、心底愉快そうだ。騙されて不服なのか、元気なことに安心したのか、ラズは不思議な表情を浮かべる。シャルルはそれを見てまた笑った。


「続けて、なのは心配ですね。船長は何があったか知らないんですか?」

ヘデラが船長に尋ねる。

船長はいつも通り、笑みを携えている。


「……少し、体調を崩してるみたい。世界の欠片は不思議な場所だから、人によっては気分が悪くなることもあるんだよ。何か異変があれば皆も言ってね。」

「へぇ。船長サンに言えば解決できるんスか?」

「ああ、そうだみんなにはまだ教えてなかったね。確かここに……あったあった。」

そう言って船長は自身のコートを探る。ポケットに目当てのものがあったらしい。船員に見えやすいよう、手のひらにそれらを並べた。

第三話: テキスト

「……薬?」

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第三話: 画像

船長の手袋の上には、包装されたカプセル剤。何の変哲もない、ただの薬だ。船内で風邪薬として用いている錠剤とは形状が異なるが、このような形の薬もあることは知っていた。


「そう、薬。世界の欠片に上陸することで体調が崩れる子もいるから、そういう人のための薬。用法用量を守って飲めば効果的なんだけど……もし適量以上飲んでしまったり必要ないのに繰り返し飲み続けたりなんかすると特殊な副作用が出るんだ。危険だからこれは僕が管理するよ。……ってことで、体調が悪くなったら言ってね。」

「副作用……って、どんなの?」

「……幻覚幻聴、中毒作用に気分の高揚。あとは単純に体に悪い。出来ればあんまり飲んでほしくないな、怖い目に遭う可能性があるから。予備も少ないしね。」

きゅっと薬を握り込み、再びポケットにしまう。……ウェルテルのために持ってきた物が船長のコートにそのまま入っていたようだ。こんなもの、彼女には不要であったが。

実感が湧かないのか首を傾げている者もいるが、ひとまずウェルテルのほか全員へ説明することは出来た。皆の返事に満足気に頷いた船長はひとつ手を叩くと始業を宣言した。それに応じるように、船員たちは次々と船から降りていく。


「ボス、探知機のことなんだけど」

「ああエスペランサ。そうだね、取り掛かろうか。っと、その前に僕用事あるから先に動力室に行っててくれるかい?遅くなるかもしれない、ごめんね。一人で出来そうならやっておいてくれると助かる」

「了解」


エスペランサが管制室を出ていく。

……さて、やるか。


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《____樹花にて》


たまには、外に出てもいいのではないか。要約すればそんな誘い文句で、エマはハイルを連れ出した。とはいえ特に見せたい景色がある訳でもない。宛もなく連れ立って歩いていると、いつの間にか赤と黒の森にたどり着いていた。

……二人だから大丈夫。ハイルが、エマの手を強く握った。エマも、それに応えるように握り返す。エマ曰く、彼女はハイルの先輩らしい。だからハイルを守らなければならない。しっかりと前を見据え、エマは奥へと歩みを進めた。


樹花。以前、ラズとエマが発見した地帯。

S▍A*E-▍**W202に着陸する際、田園よりもアハルディア47の航路としては近かったはずだったが、あえて避けられた場所。恐らく船長もこの赤に危険性を感じ取って避けたのであろうことが伺える。それほどまでに、樹花地帯は不気味だった。言い知れぬ不快感がまとわりついてくるような、そんな地帯だった。

進み始めたとはいえ、そうも手放しに奥へ行けるほど命知らずではない二人は、群れることで奇妙な森を作り上げている木々を観察することにした。敵を知らねば対処のしようもない。果たしてこれを敵と呼ぶものか、意気込む二人がそんなことに気がつく余裕はなかった。


最も手近なところに立つ木を見上げる。

刺々しい印象を受けるどこまでも黒い幹と縦横無尽に伸びる枝、それに赤い葉が繁っている。____いや、葉ではない?

近づいてよく観察してみれば分かるが、枝から生えているのは、葉ではなく花弁だ。花が咲いている訳ではない、ただ花弁が枝を覆い尽くすように余すところなく生い茂っていた。

彼岸から一瞬だけ見た、黒と赤の塊。その正体は細く鋭く立ち並ぶ不気味な植物。

……お揃い、嫌だな。彼岸でも同じようなことを考えたが、間近で見てしまうと尚更嫌悪感が勝った。エマは、黒と赤で染まった背の高い自分ももしかしたら同じように不快に思われているのではないかと、皆に忌避される自分を想像して顔を歪めた。嫌だ、嫌だ。

ハイルはそんなエマには気がついていないようで、何か考え込んでいる。

「この木……なんだか変だ。」

「んぇ……前、図鑑見た。ちょっとだけ、さくら?みたい。でも、ラズ兄ちゃんみたいなピンクじゃない、かわいくない。」

「さくら……私も聞いたことあるかも。」

彼女は、ヘデラから教わったことを思い返していた。植物に詳しい彼との何気ない会話の中で聞いたこと。木からは枝が分かれて生え、そこに葉や花がつくのだと。この木は、それに当てはまっていない。……そういう種もあるのだろうか。

……観察したところで森が奇妙であることに変わりは無かった。むしろ恐怖が煽られたような、そんな気さえする。進んでしまっていいものか。

____いつも、私が不安な時に助けに来てくれる、あの人が。いつもみたいに来てくれたらいいのに。

パーカーの裾を握る。


その時。

一際大きく溌剌とした声が響いた。


「うっわ〜!赤、赤、赤!!!どこ見ても真っ赤じゃないですか!!木が燃えてるみたいですね〜!!」


一人、腰に手を添え遠くを見るような仕草をしながら、はしゃいでいる。ペスタだ。こちらに気がついたらしい彼女が二人に声をかける。


「あれ!?エマさんに〜ハイルさん!ご機嫌いかがですか!?」

「ペス姉ちゃん、エマ、元気」

「よく一人で来たね、こんなところ」

「おー!元気!何よりです!!てへへ……船の中じゃこんな景色そうそう見れないから新鮮で……ちょっと気味悪いですけど!!」


鼻をこすりながら、快活に話すペスタはまるで普段と変わりない。船内にいるかのようだ。先程まで感じていた不安は掻き消され、二人の心は不思議と落ち着いている。


「いやー、一人だとこの先どうしたものかなーと思ってたんですが、お二人に会えたので百人力ですね!!さあ!行きましょー!」


駆け出したペスタに促されるようにして、三人は赤と黒に飲まれていった。

そんな三人を、何かがじっと、見つめていた。



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《____湖水にて》


「……で、結局誘えなかったのかにゃ」

「うっ」

トロイが前回見つけたという、湖。そこに向かう道中。

どこから漏れたのか、……おそらくトロイだが、翠はヘデラがあと一歩及ばなかったことを知っていた。


「し、仕方ないじゃないですか……ローちゃん誘うの勇気がいるんですよ……断られたらショックだし……」

ローレの前ではいい顔をしたがるヘデラだが、同年代の翠やルーク、トロイとは弱音も吐ける仲だ。今回の敗因は勇気。いつも通りの敗因である。

視線を背けて歯切れ悪く言い訳を重ねるヘデラを見る翠の目は険しい。呆れている。

「アビーはヘタレだにゃー」

「…………それについてはもう、何も言い返せないです……」

大きなため息をついて両手で顔を覆うヘデラ。

恋人関係にまで発展したのは良かったが、どうしたってそれより先に進めない。むしろ、近しさでいえば退化したような……いや、ローちゃんに意識されるようになったのだから立派な成長だ。

そんなことを考える彼は、これが自分に言い聞かせているに過ぎないことも自覚している。のしかかる現実に、自分の情けなさに、思わず項垂れた。ヘデラの様子を一部始終見ていた翠は、下から覗き込むようにして声をかける。


「んにゃ、……アビー、落ち込んだのかー?ワガハイのせいかにゃ…?」

「いえ!リリィのせいじゃないですよ。大丈夫です。あ、ほら!湖、見えてきましたよ!」

申し訳なさげにヘデラを見上げる翠。心なしか、跳ねた一房の髪が力なく萎びているようにも思われる。これはいけないと慌てて否定し、眼前の景色を指し示した。

「!!!広くてでっかいのだ!!アビー、アビー!あれが"うみ"ってヤツなのかにゃ!?しょっぱいのかにゃ!?」

途端に元気を取り戻し、目を輝かせ興奮したようにまくし立てる翠に、ヘデラは胸を撫で下ろした。翠を悲しませたなんて知られれば、よく知る彼にそれはもう冷たい目で見られてしまう。翠は、喜んで元気に飛び跳ねている方が似合っている。……彼が好きなのも、翠の笑顔だ。ここにはいない親友、朝礼で浮かない顔をしていた親友を思い浮かべてヘデラは少し笑った。

「うーん、確か海は地平線があって……もっともっと大きいみたいですよ?なのでこれは海ではないのかもしれませんね」

「そうなのか!"うみ"もいつか、見てみたいのだ!」

第三話: テキスト

目当ての湖、マップにおける湖水地帯。彼岸の中心。青い花畑を越えれば、そのすぐ先に湖が現れた。

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第三話: 画像

縁から、湖を覗き込む。

湖の水は、この世界の欠片の下、世界の欠片を覆う膜の外に存在する異空間の幻想的な空まで見通せるほど透き通っている。非常に綺麗な水。……異空間まで、見通せる?と、いうことは。この湖には底がない。

もしも異空間に落ちてしまうともう戻ってこられないらしい。誰も底を見たことがない、噂程度しか情報がない、船長が知らなかった。そんな情報の欠片から予測したのだろう、トロイはそのように話していた。

湖に底がない、つまりここに沈んでしまえば異空間に落ちるのと同義である、ということ。……恐ろしいな。

冷静に得た情報を整理し考察するヘデラとは対照的に、翠は先程から忙しなく視線をあちこちに飛ばしている。


「アビー、あれ!あの囲いみたいなやつ、何なのか知ってるかー?どうやって浮いているのかにゃ、不思議なのだ!」

「あれは……たしか、鳥居、みたいな名前だったかと。」

第三話: テキスト

青い彼岸花。それに囲まれた湖はこれ以上ないほどに透明で、そんな湖に立ついくつかの鳥居は彼岸花をそのまま映したかのように青に染まっている。

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第三話: 画像

「あ、リリィ。彼岸花って、リリィの名前のネリネに似てるらしいですよ。鳥居もトリィに似てますしここは二人の場所みたいですね。」

「……ダジャレかにゃ?でも、二人の場所って響きは好きなのだ!嬉しいのだ!」


「アビーアビー、あれは分かるかにゃ!?」

「……わかりません……なんでしょう、あれ……」

翠が指した先には、建物のような。鳥居をいくつかくぐったその先、湖の中心、そこに立っている小さな建物。小島のような土地に建てられているが、湖を渡る術は無くたどり着けそうにない。……泳いだとしたら話は別だろうが。


「泳いだらあの真ん中の建物までいけるかにゃ?ワガハイは水がキライだからアビーが行ってくるのだ!進むのだ!潜水艦アビー号!」

「えぇ!?僕が泳ぐんですか!?僕も湯船に入ったことはあっても泳ぎは自信ないですよ……溺れたら助けてくれます?いやいややっぱり危ないですから!他に何かあれば行けるかもしれないけど……いや潜水艦アビー号?なんですか?潜るんですか?」

和やかなやり取りをする二人だが、やはりあの建物に心当たりはないらしい。青に囲まれた、謎の孤島と建造物。好奇心を擽られるが、ヘデラには理性があった。見知らぬ不気味なものに無闇矢鱈と触れてはその身を危険に晒すだけだと、彼は知っている。


「喋ってたら喉乾いてきたのだ」

「飲むのは危ない可能性もあるのでやめた方がいいかもしれませんね……でも気になります。これだけ綺麗なら、美味しかったりするんですかね」

翠とヘデラは目を合わせる。それだけで、通じ合う何かがあったらしい。翠が、湖に顔を近づける。ヘデラが両手で水を掬う。恐る恐る、飲み込んだ。


……おいしい。透き通った水は喉越し柔らかで、なんというか、美味しい。不快な匂いも一切無く、非常に美味しい。何が、何故とは分からないが、とにかく美味しい。


あまりの美味しさに、一人でも賑やかな翠が無言で飲み続けている。ヘデラはその勢いに気圧されているが、彼の表情も湖水を飲む前より穏やかだ。得体の知れない世界の欠片のものを大した躊躇いもなく口にした彼だが、少しばかりは緊張していたらしい。

「持って帰りたいくらいですね。船長、何か持ってないですかね、いい入れ物。」


____背後で音がする。彼岸花を掻き分けて、誰かが来ている。音のする方向を振り向いた。


「……ヘデラ、と翠?なんでここに……」

呆気にとられたような顔をする、船長。眩しく激しい青に、白はよく映える。すぐに居場所が分かった。


「船長!丁度良かった、聞きたいことが____」

「ローレは?」


「ローレ、見なかった?」


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《____樹花にて》


奥に進むにつれて、土を照らす陽の光が少なくなってきている。鬱蒼とした雰囲気と揺れる木々は、どうしたって三人の恐怖心を掻き立てた。頭上で厚く層を成す花弁がひらひらと舞い散る道を、真っ直ぐに進んだ。


「うわ、綺麗な花吹雪ですね!僕たちのお出迎えですか!?怖ー!!?」

「ペス姉ちゃんのんき……でもこれ綺麗、エマもそう思う」

「……怖いね…………」


腕を振って大股で歩くペスタと、エマにしがみつくハイル、そんな二人に挟まれるエマ。一行の足取りは重い。本能的に、進むべきでないと感じているのだろうか。


チラリ。


視界の端に、何かを捉えた。


末端に輪を形作っている、縄、のような。

非常に固く縛られているらしく、簡単に解けることも、千切れることもないであろう、麻縄。

一瞬見えたそれが何なのか、理解が及ばず半ば反射的にそれが見えた方へ顔を向けた。それが、間違いだったのかもしれない。

第三話: テキスト

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……目に入る範囲の枝すべてから同じ形状の縄が垂れ下がっている。異様な光景。

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第三話: 画像

「わ!こんなにロープが……!!にしても、奇妙な形ですねぇ!用途は何でしょう!気になります……」

「っ、……なに、こわい……」

「な、縄……?なんでこんなに……何、この形……」


三人に思い当たる使用用途はない。だが、これは、明らかに。


ほんの少し怖気付きながらも、ペスタは未だ威勢よく声を上げる。対して、エマは固く目を瞑り、おそるおそる薄目を開けては閉じてを繰り返していた。ハイルも顔面蒼白、ここに来たことを後悔しているらしいことがその表情から痛いほどに読み取れた。怯えきっている。


そんな二人の様子を見たペスタは、焦ったようにその場を彷徨き、辺りをキョロキョロと見回した。奥まったところに開けた土地を見つけ、二人を連れてそこへと向かう。恐ろしいと感じるものに囲まれたままでは気の毒だ。少しでもそれの無い場所へ。その一心で、持ち前の底抜けの明るさで二人を励ましながら目的地へ向かった。


ペスタの想像通り、開けた土地には木々は見当たらなかった。ぽっかりと森に穴が空いたように、そこだけに木々が生えていない。

____一本を除いて。


恐らく他の木々と同様黒を塗り潰すほどに生い茂っていたであろう花弁、それがすべてさっぱり枯れ落ちてしまっている、ただの黒い木。中心に、ぽつんとそれだけが立っている。

また、枯れているにも関わらずその足元には異常なほどに花弁が留まっていた。風が吹いて飛ばされても、他の花弁が吸い込まれるようにそこへ落ちる。その繰り返しで、その辺りの地面が見えることはない。そしてその真上には、枯れ木から垂れる一本の麻縄。


麻縄には、「何か」が引っかかっている。


「あれ!何でしょ、あの黒いの!!!引っかかってるみたいですし、取ってみましょー!!」

「やめたほうがいいんじゃない……!?」

「だーいじょうぶですよ!二人はそこで見ててください!」

麻縄の直下、花弁の山。ペスタは麻縄の下に潜り込んだ。花弁に足を取られ、うまくジャンプすることが出来ない。ほんの少し、届かないらしい。……この中で一番身長が高いのは。


「エマさん!お願いします!」

「う、うん……エマ、とる」


木が減ったことが幸いしたのか、エマは先程より幾分か赤い顔をしている。役立てるチャンスとばかりに、戸惑いながらもペスタのいる場所へ歩みを進めた。

そして、手を伸ばす。

第三話: テキスト

「……古い、端末ですかね!?USBメモリもついてますねぇ!船でたまに見かけるタイプに似てる気がしますが……うーん、どこで見たんでしたっけ……?」 

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第三話: 画像

「……?何だろうね、それ……」

「ま!何はともあれ収穫ですね!!帰りましょー!!」


エマの手元をペスタとハイルが覗き込む。

満足したらしいペスタが、木に背を向け歩き出した。エマとハイルもそれに続くようにして来た道を戻ろうと、一歩、二歩、三歩、進んでいく。


____ドサリ。


「えっ。」

重い物が落ちる音に、ペスタは反射的に振り向いた。

……吊り下がっていた麻縄が、千切れて落ちている。


「何、今、ドサって。あの、………………誰かいるんですかぁ!??」

張り上げた声は森に反響して消えていった。返事はない。


「………今の、縄が落ちただけの音、だった……?」

三人ともが感じていた違和感。

麻縄が千切れたにしては、質量のある音がした。

明らかに、麻縄が落ちただけの音ではなかった。


さあっと顔を青くして、三人は逃げ帰るようにその場を後にした。



【旧型の端末とUSBメモリを入手しました。】



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《____船の近くの田園にて》


樹花地帯を無事に抜けきった三人は、詰まっていた息を大きく吐き出した。怖かったと口を揃えながら、うるさい鼓動を収めるために田園をゆっくりと歩いている。ふと向けた視線の先、だだっ広い田園では遠くの人影もよく見える。見知った白衣姿に向けて手を振った。


「ローレさあん!!」

「わ、びっくりした!ペスタ?あれ!エマ何を持ってるんだ?」


探索後の帰り道だったのだろうか、三人はローレと合流した。

目敏いローレがエマの手にある端末を見逃すはずもなく、開口一番言及する。


「そうなんですそうなんです聞いてくださいよお!あのですね___」

「ちょっ……ペスタ、こっちで話そう」

自らがどんな目に遭いどれほど怖い思いをしたのか、全身を使ってローレに伝えようとするペスタをハイルが制す。二人はローレから背を向け、何か話し合っている。

「不味いんじゃないかな。ローレ、15歳だよ?あんまり怖い話なんてしないほうが……」

「たしかに!守るべき最年少……ですね!」

「なんでボクだけ蚊帳の外なんだよ〜!」

こそこそと話す二人の背後から、ローレがひょっこりと顔を覗かせる。隠し事をされているのが気に食わないらしく、その表情は不服そうだ。

このローレを相手に隠すのは難しいんじゃないか。そんな思いが過ぎるが、一先ず端末とUSBメモリを彼女に手渡し、これを見つけた旨を経緯は省いて伝えた。


「へぇ〜、絶対何か秘密があるじゃないか!!!ボタンっぽいとこ、押しても……電源はつかないか。じゃあこれだな、このメモリに何か隠されているんだな!!」

目を輝かせUSBメモリを掲げるローレ。これは……やはり知られては不味かったのではないだろうか。怖がらせてしまうとかではなく、彼女は知識欲を前にすれば何だってするような、そんな人間だから、もしかして。

「どうにか中身見れないかな」

嫌な予感ほど的中するものだ。こうなった彼女は、持てる手すべて試さなければもう気が済まない。また、ここには楽しいことが大好きな、彼女もいた。

「おっ!いいですねえ!!」

ペスタとローレはああでもないこうでもないと、既に作戦会議を開始している。ハイルは何か言いたげな顔をしながらも、言葉が音になることは無かった。エマは少し眉をひそめ、不思議な表情をしながらも、無言で作戦会議を眺めている。怖いような気持ちもあるが、好奇心もあるらしい。


「やっぱりシアターだよなあ〜、ボク全戦全敗なんだけど……」

「敗因を分析しましょ!船長に捕まるなら船長をどっかやっちゃえばいいんですよ!!」

「なるほど!!!」

そうこうしているうちに作戦が定まったらしい。どうやら、船長をおびき出した間に船に戻り、何とかしてシアターに忍び込む、という作戦のようだ。

エマとハイルはチョーカーを使うのがあまり得意でないらしいこと、ペスタは正直すぎることから、ローレがおびき出す役割を買って出た。

「準備はいいか?みんな、船長が船を降りるのを見たらすぐ乗るからな!」

ローレが首に手を添える。


『はい、こちら船長。どうかした?』

「船長、ボク今彼岸にいるんだけど、なんか見たことない物落ちててさ……何かあったら嫌だしまだ触ってないよ。見に来てくれないかい?」

『?ローレが触らないなんて珍しいね。よっぽど異様な物なのかな……。分かった、彼岸だね。向かうよ。そこにいてくれる?』

「ありがとう船長〜ここにいればいいんだね、了解」


プツ。通話が切れる。

「あっ……ぶなかった〜……」

「怖!怖!ドキドキしますねえ、スリルありますね!」

船長に疑われた瞬間、心臓が跳ねた。バレたのかと思った。

船長に何にだって興味を示して触ると思われていることは心外だが、言及すればボロが出てしまいそうで早々に通話を切った。

ペスタは通話を聞きながら心を躍らせ、いてもたってもいられないと言わんばかりに足踏みをしている。


「あのさ、ほんとに見るの?それ。」

「え!?ハイルさん見ないんですか!?」

「いや……うーん、……なら見ようかな……」

ハイルはずっと考えていたことを何とか口に出したものの、ペスタの勢いに負け二つ返事で了解してしまった。隣の親友を見やる。


「んん……ハイル、こわい?大丈夫、エマがイルちゃん守る」

両手に握りこぶしをつくったエマが得意げにハイルを見る。探索前にも心を決めて挑んだが、惜しくも先程は負けてしまったため今度こそ守る。そんな気概を見せるエマに、ハイルは笑う。

「ふふ、何から守るつもり〜?」

ハイルの笑顔が嬉しいのか、エマもつられて笑った。


「エマさーん!ハイルさん!船長さん降りました!行きますよお!」

「時間稼ぎしてる間に鍵を開けられればいいんだけど、いや!いけるな!いざ!!」

非日常に、念願のシアター侵入に、二人は胸を高鳴らせている。横槍を入れるべきではない、ハイルはそう判断して嫌な予感に蓋をした。四人連れ立って、甲板に乗り込んだ。


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《____甲板にて》


ローレが船長に無線を入れる少し前。甲板には、船長とルークがいた。


「船長さん、……何してるの?」

「ん〜?シアターさ、鍵壊れちゃってたみたいで。知ってた?」

「……いや……。」

ウェルテルの映像を見て以来、ルークの船長への不信感は、彼の胸の内で膨らみ続けている。今、自分が映像を見たことは知られない方がいいだろう。そう考え、ルークは慕っていたはずの船長に対して嘘をついた。

「……だめだな、これは。」

何やら難しいことを呟きながら作業をする船長だったが、一通り検査と考察を終えると、鍵の修復は不可能であると結論づけた。

じっとその様を覗き込んでいたルークに、ルークはこういうものに興味があるのかと船長は原理を説明したが返答はない。ルークはよく分からない話をする船長に怪訝な顔を向ける。特段興味は無かったようだ。から回ってしまった。


「……あれ?ルーク、外行かないの?」

「うん。今はいい。……どこ行けばいいか分かんないし。」

「まあ、業務は何すればいいか決まってたもんね。船直るまではお休みみたいなものだから好きなことしていいんだよ」

「好きなこと……」


反芻するように呟いたルークは、そのまま黙り込んでしまった。

通常業務においても、頼まれたことはやるといった受け身の姿勢でいたルーク。能力自体は高いが、彼には自主性が欠けていた。

だが今、ルークは自らが覚えた不信感に真っ向から向き合い、答えを出そうとしている。そのきっかけが、ルークを気にかけていた船長への不信感であるのは皮肉な話だが。


しばらくそうしてそれぞれが考え事をしていると、船長の目の前に画面が現れた。ローレからの無線。応答する。


「はい、こちら船長。どうかした?」

『船長、ボク今彼岸にいるんだけど、なんか見たことない物落ちててさ……何かあったら嫌だしまだ触ってないよ。見に来てくれないかい?』

「?ローレが触らないなんて珍しいね。よっぽど異様な物なのかな……。分かった、彼岸だね。向かうよ。そこにいてくれる?」

『ありがとう船長〜ここにいればいいんだね、了解』


プツ。通話が切れる。

見たことない物。部品が、あるいは。とりあえず、行ってみないことには分からないな。

足元に散らばる道具や資料を片付け、ルークに声をかける。


「ルーク、外に行かないのなら見張りを頼まれてくれないかい?シアターの鍵開いてるから、誰も入れないようにね。」

「……うん、わかった。」

目を見開き一瞬面食らったような表情を見せたルークだったが、その後すぐに引き受けた。じゃあよろしくね、と言いつつ船長は船を降りていく。


シアター前に一人残されてしまった。つい最近、入った場所。そこで見た映像について、思いを巡らせる。

あの反応を見るからには、映像は彼女自身のことで間違えない。しかし僕たちはずっと共同生活を送ってきた。……記憶が違う、いくら考えたっておかしい。もしかしたら、自分も?

嫌な考えが頭を過ぎり、背筋が冷えた。自分の知らない自分が、いたとしたら。


____バタバタと、数人の足音。甲板に顔を見せたのは、船員たちだった。その中には、先程船長と通話していた、彼岸にいるはずのローレもいる。


「……10番?なんで、こんなとこいんの」

「ルーク!?あちゃー、通話聞いてた?あれは嘘!で、キミはなんで甲板にいるんだ」

「……シアターの見張り、頼まれただけ」

「見張り?シアターに?鍵はどうしたんです?」

「鍵……壊れたんだって、たぶん爆発のせい。……ねえ、もういい?早くあっちいってよ」

「鍵開いてるってことですかあ!?大チャンスですよローレさん!作戦大成功!?」

何事も無く過ぎ去るだろうと考えていた、見張りという役割。まさかこんなにも早急に働かなければならなくなるなんて、聞いてない。面倒そうにルークは4人と対峙する。

そしてルークは、はたと気づく。


「……ね、何の用?シアターに。」

予感が当たらないことを祈って、聞いた。


「エマたちが何か見つけたから、中身見てやろうって話だよ」

…………ウェルテルの時と、同じ?


「さあルーク、通してもらおうか。安心していいよ、全部ボクのせいにすればいいさ。キミは何も悪くないから、ただちょーっと目を離した隙に忍び込まれちゃったって、そう思えばいいよ!」


「やめた方がいいよ、それは。」

「なんだ?堅物だなあ」

「本当に……やめた方が、いいと思う。」

ルークのただならぬ雰囲気に気圧される。しかし。


「ごめん!でも知識欲には人間勝てないんだよ、やめた方が良かったのならそれもそれでいい経験になるんだ」

ローレはするりと横を抜け、シアターに入る。ペスタも続いた。


「ルーク、心当たりあるの?」

ハイルはシアターへ足を踏み入れて良いものか、未だに戸惑っている。何かを知っているらしいルークに声をかけた。


「……僕からは何も……言えないけど、……」

……あの衝撃は、実際に目にしなければ伝わらない。それで皆が船長に不信感を抱いたなら、…………仲間は多い方が、いいかもしれない。


そのまま黙り込む。ハイルはルークのことを気にかけながらも、止める素振りを見せない彼に背を向け、呼ばれるままシアターへ入った。


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《____湖水にて》


「ローちゃん……?ローちゃんに何かあったんですか。」

船長が放った愛しい人の名前に、緊張感を走らせる。話を聞くと、彼女が船長を呼び出したらしい。


「おかしいですね……僕ら、お互い以外は見かけていません。誰もこの辺りには来てないはずです。」

「……そう、ありがとう……」

船長は顎に手を当て、何か思案している。翠は何が起きているのか、何故船長が来たのか分かっていないらしく首を傾げている。

……一体、どういうことなのだろうか。


「いなさそうだし、一旦船に戻るよ。通話も繋がらないし……二人とも気をつけてね、落ちないように。」


また彼岸花を掻き分け、船の方へと戻って行った。彼の姿はすぐに花に隠され、見えなくなってしまった。


「なんだったのかにゃ」

「さあ……?」

何が起きているのかはまるで分からないが、もしかしたら恋人が危険に晒されているのかもしれない。……大丈夫だろうか。

ヘデラは何か胸に引っかかるものを感じながら、目を伏せた。


【探索箇所解放:祠】


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《____甲板にて》


4人がシアターへ入ってしまってしばらく経った。出てこないということは、おそらく。入れてしまって良かったのだろうか。どうすべきだったのだろうか。シアターの前に座り込み、考えていると、また誰かが甲板へ上がってきた。船長が帰ってきたのかもしれない。


「……4番。」

「ああ!クール!探索終わって帰ってきたんすけど……なんでそんなとこいるんすか?」

「…………見張り。でも、中入れちゃった。」

「……シアターの見張り?」

「そのやり取りさっきもやったんだよね。はあ……」


来たのは、シンシアだった。いつも通りの笑顔と声に、なぜだか落ち着いた。最近は常に考え事をしていたせいだろうか、日常に安心する。


「へえー、中で何やってんすかね!?覗いていいと思います?」

そう言って、彼がシアターに近づいた瞬間。


____勢いよく、扉が開いた。


「っ……!?」

飛び出してきた誰かとぶつかる。シンシアは突然の衝撃に驚きはしたものの揺らぐことなく、その人を受け止めた。


「……ハル、ちゃん?」


…………ハイルは、泣いていた。その大きな瞳からぼろぼろと涙を零しては、無理やり擦る。少しも事情は分からないが、想い人が泣いている。

……泣かないで。自然に彼女の目元に手が伸びた。


「ハルちゃん、どうしたんすか?そんな風に擦ったら赤くなっちゃいますよ____」

拭おうとしたその時、ハイルにその手を振り払われる。

「え」

……目の前が真っ白になった。


「……ひ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい………やめてください……………………」

「ハ、ル……ちゃん……?」

「ああ、あああ、見ないで、私のこと、見ないで、触らないで、お願いします……謝るから…………」

ハイルの目は何も映していない。シンシアを通して、別の誰かを見ている。少し気恥しさもあったのか、いつも遠慮がちに合わせてくれていた鮮やかな黄緑は見る影もない。悲痛なまでに涙に濡れてうわ言のように謝り続けている。なんだ、なんだ、なんだこれは。頭が回らない。


「……ハイル……!!?」

いつの間にか船長が戻ってきていたらしい。意識の外にあったのか、少しもその音は聞こえなかった。呆然としたハイルが、ゆっくりと船長の方を見る。


「……パパ…?ちがう、パパじゃない……船長さん……、あれ?あれ……」

「ハイル、落ち着いて。大丈夫だ。」

船長がハイルに駆け寄る。ハイルは、船長にも誰かの面影を見ているらしい。少し屈み、ハイルと視線を合わせる。努めて優しく、それでいて強い語気で話しかける。彼女を正気に引き戻すように、語りかけた。


「ね、せ、船長さん。あの、あれってさ……船長さん、知って……?」

「……っ…………。」

震える声で、口元を歪に引き上げながら、ハイルは船長に手を伸ばす。それを聞いた船長は、言葉を詰まらせ、途端に顔を強ばらせて俯いた。

ハイルは目を見開き、そしてその顔からは表情が抜け落ちた。

絶望。そう例えるに相応しい、見ているだけでも胸を抉られるような、そんな顔。


「あ、そ……そうなんだ、船長さん、さいしょ……から知って……う、……」

船長に向けて伸ばしていた腕は、重力に従ってだらりと垂れ下がる。ハイルも俯いたかと思うと、傍にいた船長を押しのけて船の外へと飛び出していった。この場所から逃げるように、人目から逃れるために、船の外へ、一人で。ごめんなさい、そんな言葉を残して走り去っていった。


立ち尽くす船長、彼は変わらず俯いたままだ。その場から動けないでいるらしい。シンシアは、船長に詰め寄った。

「……どういうこと、っすか。知ってるんですよね、ハルちゃんが泣いてたわけ。」

「…………」

船長は答えない。顔を上げることもしない。甲板の空気が張り詰める。


その時、ギィ、と重い音を立ててシアターの扉が開いた。ハイルを追って出てきたローレは、外の状況を見るやいなや声を上げる。

「ボクのせいだ、無理に、見ようなんて言って、まさか中身があんな……」

混乱しているらしく、ガタガタとその身を震わせている。罪悪感からだろうか、その目には涙も溜まっていた。

ペスタも甲板に視線をやっており、何を言う気配もない。どうすればいいのか分からない。動揺、戸惑い、そんな感情に支配されている。

最後に出てきたエマも、唇を噛み締めて足元を見ている。守るなんて、全然、出来なかった。力不足だった。……ハイルの、頼れる場所にはなれなかった。


「……何を、見たんすか。みんなは。」

「い、いえない、ボクらからは……言えないよ…………」

笑顔でないシンシア。温厚な彼が、怒りを顕にしている。

シンシアは船長を睨みつけ、口を開いた。


「船長、説明しろって言ってんの、わかります?」

「……ああ。」

「……その態度だと、説明する気は無さそうっすね。あの子たちが見たなら、俺も良いっすよね」

「ハイルはっ……それを望んでいない。」

「は、なんであんたがそんなことわかるんすか?」

「…なら君は、あの子が、見られるのを望んでいると思う?」

「見てみなきゃ分かんないっすね。俺は何も知らないので。」

「…………頑なだな。……はぁ、分かった。でも一人で見せることはしない。僕も同席する、それでいいかい?」

お互い一歩も譲る気のない応酬。折れたのは、船長だった。

提案を受け入れ頷いたシンシアを連れ、船長はシアターに入っていった。


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《____シアターにて》


「……じゃあ、いいね。再生するよ。」

「いつでもどうぞ。」

船長は慣れた手つきで機器を操作すると先程まで再生されていたらしい機器を特定し、そこに挿したままにされていたUSBメモリと傍らに転がる端末を手に取った。再生準備は、整ったらしい。整ってしまった。

船長は最後まで再生ボタンを押すのを躊躇ったが、約束は約束だ。ゆっくりと、人差し指に力を入れた。

第三話: テキスト

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____開演____



【××の酷薄】


何が悪かったのかな。

何か悪いことしたかな。

何すれば良かったのかな。

何したって駄目だったのかも。


何も、してないのにな。



10歳。大好きだった両親の離婚。ママに引き取られ、私の苗字は【冬島】から【桜本】へ変わった。事情は知らない。

私の記憶の中のパパは、今もかっこいい警察官の制服を着て優しい笑顔を浮かべている。私とそっくりの顔で。


「【入ちゃん】は片親なのに、いつも頑張ってて偉いね。」

ママと二人暮らしになった。ママはいつも通り優しい。昔と少しも変わらない。そこにパパがいないだけ、何も変わっていない。変わっていない。

変わらないために、ママが離婚を後悔しないように、ママが恥をかかないように、少しだけ努力した。片親なのに頑張ってて偉い。そう言われるよう、片親だからって恥ずかしいことなんてないと胸を張れるようにって。あんまり特別なことはしていない。でも、私は今胸を張れる。

第三話: テキスト

「【入】、おはよ!昨日のテレビ見た?」

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第三話: 画像

学校に行けば、友達がいる。地元の公立高校なんていう狭い世界だが、そこに私の敵はいない。いるとしたら、試験くらいのものだ。将来の夢だってある。まだ夢でしかないが、いつか叶うといいなって、ちょっとだけ資格の取り方を調べたりもした。


平穏な日常。続いていけばいいって思ってた。それさえあれば良かった。それだけ残ってくれればよかったのに。



15歳。

変わった。

全部、変わった。


『昨夜未明、元■県警警部補の【冬島巡】容疑者(39)が■■駅前通りにて一般人3名へ発砲。全員病院に搬送され、うち1名は意識不明の重体、また、2名の死亡が確認されました。【冬島巡】容疑者は現行犯逮捕され、現在犯行動機や被害者との関係は捜査中とのことです。____』


マグカップに注いだ牛乳を飲みながら何気なく見ていた朝のニュースで、こんなところで聞くはずのない名前が挙げられていた。

目に耳に、見慣れた聞き慣れた名が突き刺さる。

……冬島、巡?警部補、警察官。

…………間違いない、間違いない、間違いない!父だ、パパだ、どうして、どうしてそんなところにいるの。

薄い液晶の中で迷いなくこちらを見据える男。証明写真らしい。切り取られた一瞬の表情は険しく、カメラを向けられると顔が強ばってしまう大好きな癖を思い出した。間違えるはずがない、父だ。


「……どうして、……?」





そこからはまさしく地獄。生き地獄。

私は【桜本入】から『極悪殺人犯の娘』に生まれ変わったらしい。


もう準備も済ませていたし、突然学校を休む訳にもいかない。

そう考えて玄関の扉を開けた。瞬間、人、人、人。「いいネタを撮ってやろう」という、欲に満ちた視線を一身に浴びる。……気持ち悪い、嫌だ!

「……すみません、もう、関係ないので、急いでいるので失礼します」

サブバッグで顔を隠し、人の壁をすり抜けて一心不乱に駆け出す。何これ、何これ、何これ。怖い。壊れてしまう、私の大事な毎日が、壊れてしまう。


息を切らせて、何とか学校に辿り着いた。

大丈夫、きっとみんなは知らない、そんな話したことなんてないし、私、何もやってない。

下駄箱で息を整え、自分に言い聞かせるように繰り返す。私、何も、やってない。

教室の扉を引き、おはようといつも通りに挨拶する。

静まり返る。

皆が振り向く。なのに目を逸らす。

一人が、泣き腫らした目で私のことをじっと見る。息を吸う。


「人殺し」


たった5文字。されど5文字。

絞り出したような掠れ声だったにも関わらず、それ以外の音はすべてこの世から抜け落ちたかのような感覚に襲われる。

ひとごろし。凪いだ面に落ちた水滴が波紋を広げて、それでようやく私はその言葉の意味を理解した。


……後から知ったことだが、どうやら彼女の父は、私の父に殺されたらしい。


学校に居場所はない。




『冬島巡の生い立ちは?顔写真は?家族構成は?犯行動機がヤバい!』

____ネットニュースはあることないこと騒ぎ立て、小学校の文集なんかを根拠にとっくに変わったに決まってる将来の夢や未熟な文章を晒しあげて喜んでいる。自分の名を上げたいがために流行りの餌を意地汚く貪って、人間の生活を壊して、数日経てば新しい餌にまた食いついて。そういう奴こそ私たちのことなんて忘れて、のうのうと暮らしていくんだ。

…………そのサイトには、私やママの写真まであった。

見ないで、誰も、全部知らないままでいて、私のことなんて、忘れて。

父が殺人犯なら、その家族にも同等の罪があるのだろうか。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


鳴り止まない電話。郵便受けはもういっぱいで、外からはずっと声が聞こえている。知らぬ間に、住所も電話番号もネットに流出したのだろう。情報源なんてもう考えたくもない、そこかしこに散らばっている。

ニュースは見ていない。絶えず震えていたスマホは、もうしばらく充電していない。恐ろしくてどんなメディアにも触れることが出来ない。

雨戸を閉めて、電気を消して、いないような振りをして、やつれたママとふたり、真っ暗な部屋の中。それでもママは大丈夫だって、私を励ましてくれる。ママが守ってあげるからって、笑顔を見せてくれる。

家は、私の居場所だ。まだ生きられる場所はある。まだ、大丈夫。


ずっと引きこもったままで生活なんて出来ない。日中堂々と外には出られないからスーパーの閉店時間ギリギリに買い出しに出た。

あの人はスマホを見ながら歩いている。きっと、私のこともネットニュースで知っている。あの人は私の方を見ている。背後のお店だろうか、いや私なんだろうな、知られてるんだろうな。嫌だ、誰にも知られたくない、知られたくない。

肩を竦めて、できる限り小さくなって、フードを被って、怯えながら歩く。外はこんなにも怖かっただろうか。


私は殺人犯の娘。それは事実だ、否定出来ない。

……我慢するしかない。ほとぼりはいつか冷めるはずだ。生きてさえいれば、何とか。


____人目を気にして夜に外出したのが良くなかったのだろうか。

誰かに、肩を掴まれる。


「うっわ、本物だ」

「冬島……じゃないのか。桜本、入ちゃん?可愛いね」

血の気が引いた。体中からあらゆる熱が引いていく。

逃げなければ、逃げなきゃ、でも、体が、動かない。


「見てこれ、ネットのね、掲示板っていうんだけど」

「俺が入ちゃんに会えたって言ったらみんな羨ましがってんの」

ニヤついた見知らぬ男が見せる画面には、私の写真。隠し撮りだろうか、撮られた覚えも見た覚えもない。

第三話: テキスト

そしてそれに対する、……コメント、の、ような。

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第三話: 画像

気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い

助けて


第三話: テキスト

逃げようとする。髪を掴まれる。引っ張られる。痛い、嫌だ、怖い、嫌だ。

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第三話: 画像

何とか振りほどいて走り出す。早く家に、私の家に帰りたい。怖い。外は怖い。


一度も振り返らず、脇目も振らずに逃げ帰る。家の扉を乱雑に開け、すぐに閉めた。そのままその場にずるずると座り込む。なに、なに……あれは、何。分からない、分からない、分からない。恐ろしい。こわい。

あの男の劣情に満ちた瞳が忘れられない。気持ち悪い。夏だと言うのに震えが止まらない。気持ち悪い。あの男に、引っ張られた。髪。このままだとまた。全部、ぜんぶ気持ち悪い。


考え始めたら止まらなかった。明かりの灯らないリビングへ向かう。気持ち悪い。引き出しからハサミを取り出す。洗面所へ向かう。

気持ち悪い。

こんな髪、無くしてしまえ。


ザク

ザク

ザクザクザク


ザクザクザクザクザクザクザクザク

第三話: テキスト

鏡を見て、初めて涙が零れた。

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第三話: 画像

私が謝って済むのならいくらでも謝るから。謝るから。……私の日常、返してよ。なんて、無理だよなあ。


足の力が抜ける。洗面所の床にへたり込んで、散らばるゴミを握りしめて蹲った。


なかなか顔を見せない私を心配してか、ママが様子を見に来てくれたようだ。そっと抱きしめられる。あたたかい。ママがいてくれて、よかった。肩口が濡れる。ママも泣いているらしい。ごめん、ごめんなさい、私、弱くって、ごめんなさい。やっぱり、ママは強いんだね。





16歳。


「……………………」

影が揺れている。


「……マ、マ…………?」

天井の梁が、嫌な音を立てる。


「やだ……」

ママがいつも座っていた椅子が、床に転がっている。


「やだよ、ママ」

入へ。ごめんなさい。ママより。


生気のないママの目に私は映っていなくて、私いったいどこにいるんだろうって。

いつだって優しくて強かったママは、とっくに限界を迎えてしまっていたらしい。こんなに近くにいたのに、お互いだけが唯一の味方だったのに、ママを支えられたとしたら私だけなのに。

私は、みすみす見殺しにした?それって、私も、


………………


蛙の子は蛙。


家に居場所はない。

この世にも居場所はないらしい。



【桜本入の酷薄】




____終演____




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音が消え、シアター内にぱらぱらと照明がつく。

シンシアは眉間に皺を寄せながらも、繰り広げられる悲惨な光景から片時も 目を逸らさなかった。いつの間にか握りしめていた拳には血が滲んでいる。座席についたまま、静かに俯いた。向ける矛先のない怒りに打ち震える彼は、一度座席を強く殴ったかと思えば再び俯いて頭を抱えた。


……これは事実なのだろうか。だが、あの子は泣いていた。長い睫毛は瞳に影を落とし、彼女は目元を濡らしていた。

控えめなあの子の笑顔は意外にも快活で、シンシアの話を聞きながら楽しそうにくすくす笑う、彼女のそんなところが好きだった。いつまでだって笑わせてあげたくて、つい話しすぎてしまって、知らぬ間に眠れぬ夜は明けていた。一人で過ごす夜はあれほどまでに長いのに、彼女と話し明かす夜はほんの一瞬で過ぎ去った。漠然とこんな日常が続いていくものだと、信じてしまっていた。……それが、どうだ。

彼女の涙を拭おうとして、振り払われてしまった右手を見つめる。容赦なく突きつけられる自身の不甲斐なさに、無力さに、そして今、絶望のどん底にいるであろう彼女のことを思って顔を歪めた。

「……くそ、……っ」

なんであの場に居合わせられなかったのか。

自身の腿を殴る。

飛び出していった彼女を追えなかったのか。

殴る。

何も、何も出来なかった。

俺は、何も出来なかった。

一番辛いときに手を差し伸べられなくて、崩れ落ちようとしている好きな人ひとり守れなくて、それでいいのか。いいはずがない。早く、迎えに行かないと。


上映中一度も顔を上げなかった船長は、そんなシンシアの様子を感情の読めない目でちらと見て、再び帽子を深く被った。固く閉ざしていた口を開く。


「シンシア。」

「ハイルは、それを望んでる?」


____言葉に詰まる。先程も言われた台詞、その結果がこれだ。

いや、知らないままで上っ面の慰めを並べ立てるなんて、本心が伝わるはずがない。見たのは間違いじゃない、自分は、間違って、いない。


「……好きにするといいよ。可能なら、支えてあげて。」

射抜くような瞳でシンシアを見る。船長は、一言残して席を立った。


……可能なら。

自分にその資格はあるのだろうか。

同じ苦しみを味わってきた訳でもない、他人と言われれば否定出来ない。船員ならば家族だと当然のように思ってきたが、彼女は……オウモト ハイルは、既に天涯孤独らしい。

変化を恐れて現状に浸かり、消費してきた時間はどれほどあったのだろうか。その何倍の時間をかければ、彼女の苦しみを癒せるのだろうか。いや、癒せることなどあるのだろうか。自分は、それに相応しいのだろうか。


思考は沼に嵌っていく。


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《____船外にて》


思い出した。思い出してしまった、いや今はそんなことどうでもいい。

知られた。知られた。知られた。皆に、知られた。

私が犯罪者の娘だって、人殺しの血を引いているって、知られてしまった。嫌われてしまう。いやだ、いやだ、やっと見つけた居場所が、また崩れてしまう。日常が壊れてしまう……いや、もう壊れちゃったかな。


彼にも船長にも、合わせる顔がない。酷いことを言ってしまった。

振り払ってしまったときの、彼の動揺に満たされた顔が脳裏に焼き付いて離れない。そんな顔、させたくなかった。桜本入じゃ、私じゃだめだ。こんな私、大嫌いだ。


桜本入なんて、殺して。

私はアハルディア47の船員のハイルでいたい。

みんなの家族のハイルでいたい。ああ、でも、知られてしまったから。


船にもきっと、居場所はない。


……ならもう、いいかな。楽になりたいなあ。

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第三話: テキスト
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