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第七話

第七話: ⑦

《____トロイの個室にて》


……あの後、例の紙を手にした船長がシアターに駆けつけた。言い淀むような一瞬を跨ぎ、ここを出ていくようにと彼は指示を出した。

____シアターにいても自分たちにできることはないのだ。

船長の指示によりそんな悲惨な現実を再度突きつけられ、自身の無力さに打ちひしがれる。ショックを受けども指示を聞き入れて、後ろ髪を引かれる思いで出口に向かったルークとは対照的に、トロイは呆然と足元を見つめるだけだった。何も耳に入っていないのだろう、動く気配はない。そんなトロイの腕を引き座席から立ち上がらせたのはエスペランサだった。

三人は船長からの指示に従い、ありもしない痛みに喘ぐ二人を残してシアターを後にした。


……船長の行動は手馴れた対処のように思われるが、彼によって扉が開け放たれたのちに数秒の静寂があった。きっと目の前の惨状に立ち尽くしていたのだろう。指示を飛ばす声は僅かに震えていて、船長も動揺していたであろうことが伺えた。……そんなことに気がつくほど冷静な者はあの場には居なかったが。


シアターを後にした三人は、各々考える時間を求めて個室へ向かっていた。その足取りは重い。ルークは二人に別れを告げることもなく奥へ進み個室に入っていった。エスペランサは向かいであるトロイの個室、その扉が閉まったことを見届けると、彼もまた自身の個室へと消えていった。



そうして、しばらく時間が経って、今。

トロイは椅子に座り込み、膝を抱えていた。

頭が冷えたと自分では思っているらしい。思考に溺れ、彼女は自分を責め続けている。


救いたいのだ。心の底から愛している二人を、トロイは救いたい。

その思いを邪魔するのは、覆しようもない、二人が本物の家族であったという事実。自分は所詮偽物で赤の他人なのだ。

姉妹のようだと、親友と語った。気の置けない同世代で全く性格は違うのに妙に反りが合った。

……どの口で姉妹などとのたまうのかと、自嘲した。

もし、オオキナタテモノに向かわなければ。もし、嫌な予感に従ってすぐにタテモノを出ていれば。もし、鏡を割ってしまわなければ。何事もなく戻ってこられたかもしれない。

もし、起き上がるな安静にしていろと二人ともを医務室に寝かせていれば。もし、シアターに入らなければ。あんな過去を見なくても良かったのかもしれない。

思い返せばキリがない。自分のせいだと目を伏せる。

後悔により蝕まれたトロイの精神は、あらゆる思考を負に染めていた。


二人のためと大義名分を掲げて取った行動はどれもこれも空回った。独りよがりでしかないそんな行動を再びとったとして、それは一体どんな意味を持つというのか。むしろ、空回るに留まらず自身の行動はすべての引き金になってしまっているのではないか。……きっと、そうだ。

何もしてこなかった奴が、今更何かをしたところで。何もしてこなかったツケが回ってきて、珍しく行動を起こした結果がこれだった。


……兄が妹を必死に守る姿。それが目蓋の裏に焼き付いて離れない。胸が痛い。ひどく、痛む。きっとあれが、愛しい彼の本質だ。家族愛に満ちた、優しい彼の本質だ。家族を支えに生きてきた、ヨウ ハンリンの本質だ。……ただの他人である自分のことは、もう、愛してくれないだろう。


もっと素直に、愛せば良かった。


トロイが膝に顔を埋める。

船内の照明は、気付かぬうちに暗く切り替わっていた。



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《____メイロにて》


チイサナタテモノを抜け、アインスとメルトダウンは入り組んだ裏路地を歩いていた。以前、アインスはここを訪れたようだ。内部に進む術を知らないメルトダウンに入口を教え、そのまま二人は行動を共にしている。


「メルトダウン殿も仕事でミスすることあるんだね」

「ぐ……ミス……ミスじゃない!あれは俺に出来る最善だった」

「そうかな……でも怪我してたら元も子も無くない?」

「うぐっ……」


手元の包帯を指され、思わず言葉に詰まる。普段と一転、メルトダウンがアインスにより攻勢をかけられていた。どこか楽しげなアインスは何か調子が良いらしく、メルトダウンにじとりと視線を向けられても怯む様子はない。何かと叱り叱られの関係ではあるものの、二人は案外馬が合うようだ。


「僕、前はあの扉に入って地下に行ったよ。たぶん、ここからはメルトダウン殿も同じかな?入るとこだけだもんね」

「ああそうだよ!悪いか!」

「あはは!ごめんってば」


「前回、俺たち二人ともが下に行ったならまた行くなんて無駄かもな。」

「じゃあ……え!?」


人差し指を立てて頷くメルトダウンに、アインスは目を丸くした。上だ、なんて、一体どこから。そもそも、上を指している、痛々しく包帯が巻かれた手は大丈夫なのか。だって上って……そういうことだろう。


アインスの視線から言いたいことを察したのか、メルトダウンは乱雑に包帯を解き始めた。不可解な行動に、アインスはいっそう眉を寄せる。


「ほら。もう治った。痛くないから不思議だったんだけど……やっぱり傷も、綺麗に消えてたみたいだ。」

「えっ?…………ほんとだ……」


覗き込んでみるが、その手に異常は見られない。アインスはメルトダウンの怪我をその目で見ていないため、包帯があんなにきっちり巻かれているならきっと重症なんだろうな、という程度の推測のもと彼の怪我を心配するほかなかった。だが今、目の前にかざされているその手には傷跡ひとつ見当たらない。大袈裟に巻かれただけで事実軽傷だったのだろう、とアインスが結論づけるのも無理のない話だった。


怪我を気にする必要はないらしい。具体的にどう上るつもりなのか、メルトダウンはアインスに懇切丁寧に説明した。アインスは失敗を恐れている。何事も下準備を大切にし、シュミレーションをしてから本番に臨む、そういうタイプだ。不安要素を見せれば途端に怖気付くに違いないと、こういう訳でメルトダウンはひとつひとつ段階を踏んで説明した。

無言の気遣いが功を奏したのか、アインスは珍しく型破りな策にも乗り気らしい。気の変わらないうちに行動に移してしまおう。


誂えたように置かれた室外機や見事に段になって重なっていく錆び付いたひさし。それらを次々乗り越えていく。既に後悔しているらしいアインスを連れたメルトダウンは、苦節の末屋根の上へと辿り着いた。



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《____医務室にて》


痛み止めと鎮静剤が効いたのか、二人はぐっすりと眠っている。その顔に先程までの苦痛はないようで、ようやく一息ついた。医務室にいるのは、船長と鮫、翠の三人のみだ。

彼らが選択した結果だ。彼らが向き合わなければならない問題だ。彼らを形作る、彼らの一部だ。……分かっている。だけれど。

備え付けのベッドに並んで沈む兄妹を見遣り、その静かな姿に痛ましく顔を歪ませた。船長は、しばらくそのまま二人を見つめ、そしてふっと視線を外すと再び手元の二枚の紙に目を落とした。


「……ヨウ、ハンリン。検体番号046。負荷試験、臨床試験に使用。強度・精神力共に高く、次回以降負荷試験(Lv5)と投与量の調整・経過観察を行う。廃棄予定なし。」

「ヨウ、リンシン。検体番号047。脳手術ののち失語。不妊手術結果、全摘出。以下、摘出部位。____、上記要因により、……廃棄。」


紙から目を離して拳に力を込めれば、淡々と綴られた凄惨な日々の記録はいとも簡単に潰れた。

第七話: テキスト

「……なんで、こんなものが。」

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第七話: 画像

紙くずごと握りこんだ拳は、有り余る力に震えている。

行き場のない感情を拳に押し込め、じっと黙って見守る、彼に出来ることはそれくらいだ。苦しみを取り除く方法が無い訳では無い。けれど、解決策にはならないだろうことを知っている。よく知っている。


無い物ねだりは人の性だから。

そうだ、よく知っている。

自分に無い物を得たとき、望んだ結果になってくれるほど世界は優しくない。

それに、ねだったところで得られない物もある。

無い物は無い、僕にそんな力はないのだと。

ああ、本当に、嫌になるほどよく知っている。



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《____迷路上部にて》


屋根の上は随分見渡しがよかった。入り組んだ路地に悩んでいたのが嘘みたいだ。誰一人いないだろうと思っていたが、少し先に人影が見えた。この辺りに足跡は無いから、別のところから這い上がったのだろう。

……こんな無茶、他に誰がしたのだろうか。アインスは一人、安易にメルトダウンの策に頷いたことを後悔し、それと同時に薄く見えるその人影にも怪訝な顔を向けていた。


「アインス?何ぼさっと立ってるんだ、ほら行くぞ。」

「何でもないよ……はあ、あんなに錆びてたし、構造とか大丈夫なのかな……怖いなあ……」

「まあ大丈夫だよ。雪って結構重いって言うし、こんだけ積もっててビクともしてないんだから……え、大丈夫だよな……?」

「ちょ、不安になること言わないで……!!」


今この瞬間足場が崩れ落ちてしまう想像が駆け巡り、アインスの顔からはさあっと血の気が引いていく。アインスはメルトダウンの肩に手を置き、彼に連なるようにして歩いていた。メルトダウンの頭からアインスの顔が覗くなんとも奇妙な隊列で、一先ず人影に向かい進んでいった。


「!メルトダウン、とアインスか。」

「リツィ殿!……っ…!?」

リツィの手元に、見覚えのない異物が収まっている。


「……な、え、…何持ってるの……?」

「ああ、これか。さっき屋根の上で拾ったんだ。弾はないらしい。人に向けるのは危険だとどこかで聞いた覚えがある、取り扱いには注意しよう。……あとは、USBメモリも。」

第七話: テキスト

そう言って彼女が差し出したのは、USBメモリと、拳銃。

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「これっ、……拳銃?なんでそんな物騒な物が……」

メルトダウンが手に取ると、ずしりと重みのあるそれが自身の存在を主張する。ここにいる誰一人これまでに拳銃を手にした覚えはないが、これは本物なのだと全員が確信していた。確信の由来は直感に過ぎないが、恐らく正しい。弾が入っていないことが救いだろうか。拳銃とは、簡単に人の命を奪えるらしい。

金属の塊、ただそれだけの重みだけではない。気の所為だ先入観だと言われても、きっと、この拳銃には命の重みがのしかかっているのだろう。そう思った途端、これを手放してはならないような気がした。グリップ部分を軽く撫でたのち、視線を戻したメルトダウンは半ば確信めいた口調で続けてリツィに問いかけた。


「……USBメモリ、って。」

「おそらく、また"そう"だろうな。誰の物かは分からない。」

「ま、待って待って、何の話……?」


アインスは、シアターのことを知らない、今や数少ない船員の一人だ。リツィとメルトダウンが目を合わせると、心得たように頷いたリツィが口を開いた。


「これには、誰かの過去、恐らくアハルディア47に乗船する前の記憶が収められている。これをシアターで再生することで、その本人に記憶が戻る。」

「……えっと、……?」

「そうとしか言えないんだ。それ以上に説明がつかない。」


確信を抱いてそう言いきれるのは、リツィが寄り添ってきた彼女が間違いなく自分の記憶だと告げたからだった。記憶に苦しみ、耐え、乗り越え、震えながらも確実に歩み始めた彼女は、ひどく脆くてひどく強い。

そんな姿を一番傍で見てきたリツィが、どうしてウェルテルの言葉を疑うだろうか。

目を見てはっきりと、自身の見解を告げた。隠しておいた方がいいなんてことはない。アインスもいずれ知るのだから。彼なら大丈夫だろうが、好奇心に走る前に事実は告げておいた方が良いだろう。

メルトダウンも概ね同意見のようで、二人の会話を静観していた。

とはいえ、目にしなければ実感が湧かないのもまた事実。今まさに、アインスは言葉の意味を上手く受け取れておらず困惑した様子を見せてい

る。


「ごめん、僕、せっかく教えてくれたのにあんまり分かってないみたいで……」

「……口で言っても分からないさ。気にするな。ただ、これがそういうものだということだけは頭に留めておいてくれ。」

「補足。記憶が戻るって言ったけど、俺の考える限り、多分幸せな記憶じゃない。忘れたい、封じ込めたい、そんな記憶が強制的に思い出される……んだと思う。」

「ええ……怖ぁ…………」


これ以上移動可能な範囲の屋根の上に収穫は無いようだ。建物が隙間なく連なっていれば内部全体をぐるりと上から見て回ることも出来たのだろうが、そう簡単に物事は運ばないみたいだ。

下りられそうな場所を発見したリツィは、踵の高さをものともせず軽々と下っていく。腰の引けたアインスがそれに続き、最後に拳銃を手にしたメルトダウンが下りる。屋根の上から人影が消えた。


【USBメモリと拳銃を入手しました】



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《____迷路にて》



一度地下に下りて、再び地上に上がってきた。この欠片の内部はこんな風になっていたのかと、ルークは物珍しそうに辺りを見回している。


自分が何をするべきか。何をしたいのか。周りに流されるばかりで人に指示されたことだけをこなしてきた彼は、今、変わろうとしている。他でもない、翠のため。

元の彼女に戻ってほしいなんて単なる理想の押しつけで、彼はそんなことを望んではいなかった。ただ、受け入れ難い現実を飲み込めるように、可能ならばこんなところを去って家族の元へ帰れるように。翠の支えになりたいと、弱音を吐ける居場所のひとつにでもなれたら良いと、翠を守りたいと、そう考えた。

無力でも付き添ってみようかとも考えたが、目が覚めたときに初めて会うべきはきっと自分じゃない。兄と妹が再会して絶対的な味方がこんなにも近くにいるのだと知った方が安心するに違いない。

だから、外に出た。家族の元に帰す方法はルークには分からないが、船が直ればそれも可能なのだろう。少しでも役に立てたならばと受け身だったルークは初めて親友を探索に誘った。


……家族の元に帰す方法。事情を把握していたらしい船長は知っているのだろうが、どうせ話してはくれないのだ。

もう、ルークは彼を信用出来ない。


「……ルーク?」

「ごめん、何でもない。」


ぼんやりと建物の壁を見つめていたルークに、ヘデラは不思議そうに声をかけた。

ヘデラも気がついている。友人たちを取り巻く環境が目まぐるしく変わっていることも、自分はそれをひとつも知らず蚊帳の外であることも。気がついているが、当事者ではないから。当事者にしか分からないことがあるのだろうと無闇に立ち入ることはせず打ち明けてくれる時を待っている。

ルークから誘ってくれることなんてまず無いから、もしかしてと思ったんだけどな。

考え事をしながら隣を歩くルークを見て、まだ話してはくれないかと、ほんのわずか、悟られない程度に肩を落とした。


「この道は前も来てないや。足跡も無いし、誰も見てないみたいだね。部品ありそうだなあ」

「……うん、あるといいね。」


雪を踏みしめて歩いた先。出口でないことは分かっていたし、当然行き止まりだ。一見何も無いように見えた、けれど。

雪の眩しさとはまた異なった"何か"が視界の端で光ったような気がした。


散々だ。

また見つかってしまった。見つけてしまった。


立ち竦むルークをよそに、ヘデラは何の疑いもなくそちらへ向かい光の元に手を伸ばす。足跡ひとつない雪の上、ぽつんとそれだけが存在していた。

第七話: テキスト

「何これ?……え、割れてる。ルーク、わかる?これ。」

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第七話: 画像

穴を中心にヒビが広がっているような、撃ち抜かれたような跡が残る、割れたディスク。データ媒体としての意味を成すことが出来るのだろうか。ただ、この周辺には破片も足跡も無く、元々このような形をしていたとも考えられる。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

発見したのが、ヘデラだから。もしかしたら。

映像を見た直後、泣き、喚き、苦しむ、ウェルテルや翠の姿が脳内を駆け巡る。嫌だ、大切な人が苦しむところはもう見たくない。


「ヘデラ、……それ、頂戴。」

「……ルークが悩んでるの、これ、関係してるよね。」


息を飲む。


「話してくれない?……僕じゃ、ルークの力になれないかな。」


いつものように笑って、それでもその目に強い意志を携えて、ヘデラは酷い顔をした親友を見た。


【割れたディスクを入手しました。】



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《____食堂にて》


迷路を後にしたアインス、メルトダウン、リツィの三人はその足で食堂を訪れていた。この時刻、食堂にやってくる船員はほぼいない。今、手元にあるこれらの処遇を話し合うには都合のいい場所だった。


「リツィ殿はコーヒーで、メルトダウン殿はホットミルクだよね。取ってきたよ。」

「ありがとう。」

「ああ、ありがと……別にそれじゃなきゃいけない訳じゃないからな」

「なんか、いつも船長に貰ってるからイメージ定着しちゃって……」


アインスは照れたように笑うとメルトダウンの横に腰掛けた。拾ったふたつをテーブルに置き、三人は改めて思考を巡らせている。

不意に、メルトダウンが口を開いた。


「……アインス、これホットミルクか?」

「え?そうだよ、僕も同じのだし……」


眉間に皺を寄せ、考えるような素振りを見せる。自分はまた失敗したのかと、アインスは緊張した面持ちでメルトダウンの次の言葉を待っていた。


「……いや、なんでもない。」

確かめるように一口飲んで、メルトダウンはマグカップを置いた。


「俺、見るよ。それ。」

「何故?本気か?」

「多分、俺のだから。」


メルトダウンは拳銃を手にしたときからこのUSBが自分のものだろうと考えていた。再度それを手に取り、裏返す。グリップ部分に薄らと浮かぶ、十字架のような、プロペラのようなマークにはひどく見覚えがあったのだ。

「このマーク。……俺の、背中にもあるんだ。」

自身の身体に刻まれたそれが、USBメモリとともに落ちていた拳銃にもまた刻まれている。それが何を意味するのか、わざわざ口にするまでもないだろう。


「俺は、俺の物だと分かった上で、そんな覚悟の上で見ようとしてる。絶望するような事実が映し出されても、一人じゃなければ立ち直れると思うんだ。みんなそうして支え合ってて、そりゃあショックは受けるかもしれないけど、……俺は自分のことを知りたい。見たいから、見る。」


……もう何を言っても決意が揺らがないのは確かだろう。真っ直ぐに見据えるメルトダウンに気圧され、二人は口を噤んだ。

覚悟に水を差すような真似は出来ない。このまま一人で送り出すことも、出来るはずが無かった。



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《____シアターにて》


「……付き合わせる形になってごめん」

手際よく準備を進めながら、メルトダウンは二人に向き直りいつになく素直に謝罪した。そんな姿がなんだか変で少し笑う。何が繰り広げられるのか実感が湧いていないアインスは、恐怖に怯えながらもどこか呑気だった。リツィは腕を組み目を閉じて、メルトダウンの言葉に耳を傾けている。気にするな、と僅かに頷いた。


ずっと疑問に思ってきたことが明らかになる。自分を知ることが出来る。それだけで、見る価値はあるように思えてくるのだ。代償があれど、きっと大丈夫だ。一人ではない、船員が、家族がいる。


……映像が始まる。

第七話: テキスト

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____開演____



【××の渇愛】




愛、愛、愛。

この世界には愛がある!

快楽は、愛だ。



腐った世界に生まれた。暴力殺人強盗スリに酒薬、被むる害のすべてが自業自得で、何をしたって許されるアンダーグラウンド。ちょっと上には富裕層が住んでるらしいが、薄汚い路地に来る酔狂な貴族様はいなかった。このクソッタレな街には明確に格差があった。


愛に飢えていた。ここにいるガキどもは大抵親無しで、俺もまたそのひとり。普通の家族にあるらしい、それ。愛を得ると幸せになれるという。……まるで想像がつかなかった。家族なんて知らないから。まあ別に、要らないけど。

愛も家族も要らない。現に、無くたって生きている。

本気でそう思っていたのに、ぽっかりと穴が空いたような心地はしつこくついて回っていた。なんて言うんだろうなあ、これ。昨日も一昨日も運が悪くてろくな物を食べられていないから、腹でも減ったのだろうか。学のない頭を捻ってみてもカラカラ音が鳴ったような気がしただけで何も分からなかった。悪知恵なら働くのに、生きる術なら分かるのに。定義やら感情やらを教えてくれる大人はいないのだ。


……


ああっかわいそ〜な俺!ここからが輝かしいシンデレラストーリーって訳だよ、なぜなら愛を知ったから!あっはは男にシンデレラとかきっしょいな!ん、ふふふ。ふふふふふ、いい気分だなああ。

まだ何にも知らないクソガキだったんだ、俺にだってそんな時代もあった。完璧に生きてきた俺にだって。バカデカい組織のトップ、ここらじゃみ〜んなに顔も名前も割れてる俺、【溶ける】にだって。

第七話: テキスト

何の組織かって、教えてやろうか?
麻薬カルテルだよ、meltdownって言うんだ。ご贔屓になあ?

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第七話: 画像

……


よく冷える冬の夜だった。澄んだ空気のおかげで、星の輝きは俺みたいなチビにも分け隔てなく降り注いでいる。人も環境も何もかもが汚れたこの街角、そんな場所でも狭い夜空はいつだって綺麗だ。綺麗なだけで、何も与えてくれやしないが。

治安なんて知ったこっちゃない世の中で、夜に子供が出歩くのがどれほど危険か。理解していたはずなのに、その日の俺は裏路地を歩いていた。何か用事があったような気もするが覚えていない。


突然腕を引かれ、いっそう狭い路地に倒れ込んだ。

星の光も届かない路地になかなか目が慣れず、置かれた状況が理解出来ない。固く掴まれた腕は解放される気配がなく恐れていたはずの"危険"に巻き込まれたことを悟ってしまった。


「大丈夫だよ、」

男の声。

手には  注射?


「すぐに効くからね。」


痛み。



____ここで、俺は、愛を知った!


途端に頭が冴え渡って、男への恐怖は綺麗さっぱり消え失せた!モノクロだった世界が鮮やかに色づいた!心の底から自信が湧き上がって、俺は価値のある人間なのだと気がついた!ふわふわと足元が覚束無いような浮遊感に酔いしれ、なんとも言えない快感が全身を駆け巡って、ああ、まさにこれこそ幸せなのだと思い知った!!


クスリを打たれた後のことは、ほんの少しも覚えていない。男の目的も分からず仕舞いだ。でも、そんなことどうだっていい。俺は愛を知った。だって幸せになったんだ。愛って、幸せを与えてくれるんだろ?それじゃあコレは、クスリは、愛だ。クスリによってもたらされる快楽は、きっと家族によってもたらされる愛と同義なのだ!

これを知らずに生きていたとは、なんと惨めで滑稽か。俺はこの時、人生の意味を知った。生きがいを得た。快楽を、愛を、思う存分享受すること、それが俺の生きる意味だと心得た!それに、俺はなんだってできるんだ。完璧で、人の上に立つべきで、その能力もある特別な人間だから。


クスリの効果もあったのだろう。完璧な俺であるために、俺の性格は少しだけ変わった。価値のある人間なのだとトんでいない時にも思いたかったから、何事も完璧にこなした。まあ、心が折れそうになったって刺して吸って飲めば全部忘れられるのだ。気分がよくなって幸せになれる。

どうしても愛で満たされていたくて、でもそれには金が必要だった。

金になると聞いたからガキをとっ捕まえて売っぱらった。行先は知らない。そのまま家畜みたいに生き続ける奴も、中身だけすっぽり取られて棄てられる奴もいるらしいが、俺には関係ない。泣き喚く商品のことはひとつたりとも覚えていない。


買うばかりなのにも飽きたから、ちょっと頭を使ってみた。奴らは面白いように騙されて、その様を笑っているうちにあれよあれよと売買組織のトップに祀り上げられていた。案外簡単なものだなと物足りなさも感じたけれど、愛はそんな物足りなさだって満たしてくれた。幸せだった。間違いのない、完璧な人生を歩んでいる。笑いが込み上げて止まらない。最高の気分だ。あは、しあわせ。……。

あれいま、なんの話してたっけ。


組織。

組織とは、たった一人、トップに立つ者が絶対だ。そいつが法だ。

逆らうのは賢くない。その身を滅ぼしかねない向こう見ずで、そんなもん阿呆がやることだ。


俺はmeltdownのトップだった。優秀な奴や信頼できる奴がいても結局そいつらは部下に過ぎなくて。

俺は、最後まで独りだった。


最期まで。




こちらへ向けられた、哀れな程に震える銃口をぼんやりと眺める。もやのかかった頭ではなかなか焦点が定まらなくて、揺れているのが俺の視線なのか奴の手なのかしばらく分からなかった。

他人ばかりの組織の中、唯一信頼していた部下。


愛はやはり、人からは得られないんだな。


小気味いい発砲音と嗅ぎなれた硝煙の匂い。それと、右肩からの痛み。

やけに煩いその音は、熱をもってどくどくと溢れ出す血は、ぼやけた意識を覚醒させるには十分だった。……仕留めてないのに、勝手に項垂れてんじゃねえよ。余計な情は判断を鈍くするだけだって、再三教えたのに。

第七話: テキスト

「人を殺す時に余計なことを考えるなって言ったろ、バカ」

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第七話: 画像

腰元に潜ませていた銃を構え、引き金を引いた。



よく冷える、冬の夜。地面を覆い尽くす白には赤がよく映えて、俺の居場所を知らしめていた。俺の顔も名前もみ〜んな知ってる、この街に逃げ場はない。ならば、俺が、俺自身が俺の完璧な人生に完璧な幕引きをしてやろう。


meltdownは俺のものだ。

築き上げた、俺がいたことの証明。栄光の象徴。崩れ去ろうとしている、既に過去の組織。俺のものなんだから、俺の死とともに瓦解するのは必然だった。それじゃあ、一緒に死のうか。俺の死に場所はここだ。

まだ誰の足跡も無い屋上に足を踏み入れる。中央辺りで座り込んで、裏切り者を始末した銃をこめかみに当てた。

見上げれば、星は変わらず美しく輝いている。やけに眩しく、それでいて大きく光がぼやけているのは、ここが夜空に近いからだろうか。いやに頬が冷たい。


胸にぽっかり穴が空いている。見て見ぬふりをして、抱えたままに生きてきた。何なんだろうなあ、成り上がっても偉くなっても、結局ずっと分からないままだ。

本当は気づいていた、快楽という愛では穴が埋まらないこと。いいや、俺の人生は完璧で、愛に満ちた最高の生涯だった。そんなことは無い。酷い人生だった。


あれ?


悪に手を染めた。

善悪なんて、誰が教えてくれた?

ずっと幸せだった。

クスリの副作用だよ、ヤク中の勘違いだ。

快楽は愛だ。

愛とは何か、辞書でも引いてみたらどうだ?


……愛に、満ちていた。

たった一人でも、愛したか?愛されたか?愛を貰った記憶はあるか?


あれ


愛。 愛は、 この世界に、愛。愛、愛がある。この世界には。愛が。

あは、寂しい人生だな。


胸にぽっかり空いた穴が空いたような、この気持ち。へえ、これ寂しいって名前なんだ。


知らぬ間に頬を濡らす何かに、問い掛ける自分の声に、ぽっかり空いた穴を吹き抜ける冷たい風に、力なく腕を下ろした。なんで、引き金を引けないのかまるで分からない。これでは完璧な幕引きが出来ないじゃないか。汚点だ、人生の汚点だ。


銃を捨て、たったひとり、子供のように膝を抱える。

第七話: テキスト

なんかごちゃごちゃ考えたけど、ぜんぶめんどくさいな。

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第七話: 画像

早く、早く早く早く。

俺に愛を。




【溶けるの渇愛】



____終演____



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映像が終わり、シアターにはぱらぱらと照明がつき始める。

彼自身の予想通り、メルトダウン……の姿をした全くの別人、"トケル"の映像。別人としか思えなかった。メルトダウンとは、まるで違う。不愉快極まりない物語を、見知らぬ他人の物語を、無理矢理見せられたような心地がした。……メルトダウンの、過去、なのだろうか。何かの間違いではないか。


アインスは、隣に座るメルトダウンを視界の端に捉えた。彼は俯き、何の言葉も発する様子はない。

……見た本人に記憶が戻ると、リツィは言った。彼女は眉間に深く皺を刻み、メルトダウンの様子を案じている。

そしてメルトダウンは、それを望んでいた。望んでいたはずだったが、自分の知る彼はこれを見て何を思うのか。想像すら出来そうになかった。


「……う…、ぐぅ…、ッ…………」


静まり返ったシアターは、微かに漏れた呻き声すら反響する。メルトダウンは肩を震わせ、俯き、顔を覆って呻いていた。


アインスは思わず彼に手を伸ばそうとして、

____絶句した。


「……っ、ふ、ふふ、んはは、はっはは!あははははは!!」


大口を開け、心底楽しそうに、膝を叩いて笑っている。


「はぁー、ああ、ああああ。あ〜、ふふ、そうだそうだ、分かった。なーんか足りない満たされないと思ってたのは、愛が、快楽が無かったからだ。」


だらりと両腕を垂らし、椅子に頭を預けて笑うこの男は、


「良かった良かった、良かったじゃん!な!?絶望することなんてただのひとつも無かったしようやく俺は俺に戻れた訳だ!!てかむしろ今までのメルトダウンくんの方が可哀想だったなあ、うんうんうん可哀想だった。家族ごっこに巻き込まれてさあ、ダッハハハ家族家族って、みーんな赤の他人だろ!気色悪!なあ、アインス、お前もそう思うだろ?いーよいーよ答えなくって、んふふふ、ふふふ。」


誰だ。


「やべーテンション上がっちゃった〜……見捨てないでくれ〜ッ俺こんなじゃないんだよぉ、本当は……だめだ死にたくなってきた、あー、あれ、無かったっけ。」

「メ、メルトダウン、殿……?」


ゆらりと立ち上がりシアターを去ろうとする誰かに、声をかける。


「あは、俺見てそれ言うんだ。残念!メルトダウンくんはいませんでしたー!溶けるって言うんだけど、呼びにくいならメルトでいいよ。俺、適応能力バッチリだから!それじゃまた。俺は〜薬探しの旅に出る〜♪」


軽やかな足取りの彼とは対照的に、体は少しも動かない。アインスとリツィには、重く厚い扉がゆっくりと閉じ、シアターに射す光が細くなっていく様を呆然と見届けることしか出来なかった。



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記憶は、人格を形作る大きな要素のひとつである。

もしも欠けていることを知っていて、欠けたピースをそのままに生きているとしたら、それは本当に自分が生きていると言えるのだろうか。

歯車が欠けたからくりは不良品だ。


人生における選択とは、不可逆的な事象である。

記憶を取り戻した結果彼が死んでしまったとして、それを選択したのもまた彼だ。

苦痛と、今の自分を失うリスクをも背負って記憶を取り戻すか。

全てを忘れて目を逸らし、無知のままに虚構の幸せに浸るのか。


彼ら自身の記録を彼ら自身で綴る今、彼らは選択を迫られている。



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第七話: テキスト
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